文字を持たなかった昭和 続・帰省余話8~お出かけ

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴ってきた。

 あらたに、先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、強く印象に残ったことの簡単なまとめに続きエピソードを書いている。(ミヨ子さんの表情が乏しくなったこと、「膝かっくん」状態住戸内外の手摺、いっしょに過ごした中秋など)。

 次は帰省中の行動を順に振り返ることにして、前項ではお出かけの準備について書いた。

 さて、お出かけだ。まだ暑さの残る秋の週末、長男の和明さん(兄)の車で鹿児島中央駅方面へ向かう。レンタカーを借りる前にランチするのだ。レンタカー会社から近いファミレスは事前にチェックしてある。駐車場についても。

 車を走らせ始めると前方の丘の向こうに鹿児島のシンボル桜島が頭を出してきた。
「あの山は何?」と和明さんがミヨ子さんに訊く。そんな唐突に質問しなくても…。
「大きな山だねぇ……。桜島?」
正解が出て、ほっとする。下手な答えだと和明さんから「指導」が入るからだ。

 目的地に近づいた。大きな駅なので停車しづらい。ファミレスの前で停車してミヨ子さんを下ろしてほしかったが、後ろの車が「早く行って」と言わんばかりにクラクションを鳴らした。やむなく駐車場へ進む。満車だったがすぐに一台出たのはラッキーだった。

 駐車場は店の裏手にある。大人なら1分もかからない距離だが、杖を片手に車から降りて、あまり整備されていない歩道から店の正面に回って……となるとかなり時間がかかる。つまり、ミヨ子さんには重労働だということに、今さらながら気づく。腕を抱えてあげても脚が前に進まない。植え込みのタイルの縁を手摺代わりにしながらなんとか進んだが、席につく頃にはすっかり疲れているのが見てとれた。先に入店した家人が入口から至近の席を確保してくれたのは幸いだった。

 お母さん、ごめんね。二三四(わたし)は心の中で詫びる。同時にこの先の行程に不安が過る。

 食事は平穏に進んだ。ファミレス名物(?)のドリンクバーでは、「母ちゃんはこれが好きだから」と和明さんが運んでくれた抹茶ラテを、ミヨ子さんは機嫌よく飲む。ごはんもしっかり食べた。

 あらたな問題は、食事の後のお手洗いだ。この店はビジネスホテルの1階にあり、トイレはホテルのロビーを横切った奥にある。席からの距離は、駐車場から店までの距離の2/3くらいか。くらっとくる。でも一度トイレには行っておくべきだろう。

 広くないロビーだが、ミヨ子さんの脚ではトイレまで5分以上かかった。二つあるトイレの個室も狭い。様子を見て適宜介助したいのでドアは開けたままだ。隣の個室に入ろうとする人が、ちょっと驚いた表情で見ている。何も悪いことはしていないのに、つい「すみません」が出てしまう。

 手を洗うのもひと苦労。自動水栓が感知する範囲にミヨ子さんの手が届かないのだ。二三四が手を伸ばして出てきた水を、ミヨ子さんの手にかけてあげる。

 トイレから出たら、ロビーに椅子を用意してあった。和明さんがホテルの人に借りてくれたのだ。一息ついている間にレンタカーが来た。こんどは店の前の広めの歩道に車を乗り入れてくれた。おかげでミヨ子さんを延々歩かせずにすむ。和明さんとはここでいったんお別れし、しばらくは三人旅だ。

 やれやれ、1回の食事でこれだけ難儀するとは。お年寄りのお世話の大変さを、二三四は改めて実感しつつあった。

※前回の帰省については「帰省余話」127


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?