文字を持たなかった昭和 続・帰省余話2~表情が乏しく…

 昭和の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を軸にして庶民の暮らしぶりを綴っている。

 あらたに、先だっての帰省の際のあれこれをテーマとすることにして、前項では帰省中強く印象に残ったことを簡単にまとめた。本項からは具体的なエピソードを書こうと思う。

 今回の1週間ばかりの帰省中に感じた、というか二三四(わたし)自身が不安になったのは、ミヨ子さんの表情が乏しくなったように思える点だった。認知機能が低下すると感覚や情感への感度が下がり、表情へも出にくくなるという。つまりは、外的な刺激への理解と感度が鈍る、ということのようだ。

 ミヨ子さんもその傾向は徐々に出てきている。半年ほど前の前回帰省時にもそれは感じたのだが、今回はさらに顕著になったように思う。

 いちばんは、ミヨ子さんがもっとも執着している(ように見える)食の面で。出されたものを残さず平らげ(ようとす)る姿勢は変らないし、「おいしい?」と訊けば「おいしい」と答えるものの、自分から「あら、おいしいわね*1」とにっこりする場面はほとんど見られなかった。

 2回入った温泉でも、「いいお湯だね」と話しかけると「そうだね、ちょうどいいね」とリラックスした様子ではあっても、目を細めて「ああ、気持ちいい」という反応は見せなかった。

 手土産などを渡して、パッケージを開いて中身を見せ、「お母さんが好きそうだから買ってきたよ」などと説明して「ありがとう*2」と言ってはくれても、表情がぱぁっと明るくなる、という場面には出会えなかった。もっとも、説明に理解が追いついていないのかもしれない。

 そういった場面、場面で、二三四は「おいしい?」「気持ちいい?」「よかったね」などと、ミヨ子さんのプラスの感情と反応を引き出そうと試みるものの、ミヨ子さんは問いの語幹部分を複唱するだけのことがほとんどで、ほんとうにそう感じているのか、二三四が押し付けるように質問するからしかたなく合わせているんじゃないか、とすら思った。

 二三四自身そうだが、加齢とともにいろいろなことが億劫になってくる。「ま、いいか」「どうでもいいや」と思うことも増える。もしかしてミヨ子さんは、反応することも億劫なんだろうか。娘相手であっても――。

 こんな疑問を、誰か専門家にぶつけられないかな。

*鹿児島弁。*1「んだ、うんまか」*2「おおきに」
※前回の帰省については「帰省余話」1《URL360》~27《URL392》。

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