わたしとスパイスとのなれそめを語る。実は最初からスパイスにハマっていた訳じゃないんです。
「美弥さんのスパイスを仕事にするきっかけは何でしたか?? 」
学校や職場など、出会いから恋人になるまでの経緯を含め「なれそめ」と言いますが、私がスパイスと出会い、今がどうあるのか?私とスパイスがつながる経緯をお話したいです。
とある事件
幼い頃から食事の時間が苦痛でした。酷い偏食だったからです。
食べられたのは、ナス、だいこん、豆腐、海苔、白ご飯。魚はアジのみ、肉は牛挽肉と小間切れだけ。ほぼ記憶にない離乳食が始まった頃から、食べる事が苦労と苦痛でしかなかったのです。
ある事件がおきるまでは。
重度の偏食で入院
「美弥さんは死ぬかもしれません」
そう告げられたのは、私が中学2年の夏の終わり。初の海外旅行、訪れていた米国でマイコプラズマ肺炎に感染し入院した時。
でも、死ぬかもしれないと言われた原因は、肺炎ではなく栄養失調でした。
肺炎自体は数日後には回復したのですが、精密検査で偏食が理由の栄養失調がみつかり、退院ができなくなったのです。
「お嬢さん、よく今まで生きていられましたね」
医師にそう言われた私の母は、相当青ざめたと聞きました。
当時、私の母は栄養士の資格を持ち、料理家として仕事をしていました。この事件の前から、私の偏食をなおそうとあの手この手で料理を考えてくれていた母でしたが、それでも私の栄養状態はめちゃくちゃ。
この出来事が決定的になり、私も母も私の偏食をなおすためにできることに取り組むようになりました。
今でこそ、私自身も親として息子の栄養バランスを考えたり、スパイスライフアドバイザーとして生計を立てていたりしますが、当時の母の心境は私の想像を絶します。
私の想い
肺炎は2週間で完治。でも、退院できない。衝撃は相当なものでしたが、相対する感情もありました。
今まで理解できなかった体に起きる事象の原因が分かった。だから、ショックと腑に落ち感が同時にやってきた記憶があります。
入院するほどの栄養失調だったショック、聞いて納得できた自分のカラダ。
白血球や赤血球の数は一般的なのに、ひとつひとつの大きさが小さく、酸素を運べない状態。加え、鉄欠乏性貧血。
医師の説明は「酸素濃度が人と全く違うので苦しかったはずです」。
私一人毎日が富士山の山頂生活、スポーツまでこなさねばならない。
だからマラソンが辛かったんだ、根性論じゃなかった。一度も倒れたことの無い私だったけれど、死の恐怖に耐えられず、一人病室で泣くばかりでした。
スパイス&ハーブの登場
いきなりスパイスやハーブ溢れる食卓が始動したわけではありません。
当時はスパイスといっても、まだまだ“香辛料”というレトロ感強めのカレーオンリー時代。まずはカレーからチャレンジが始まります。
ただ口に入れるだけカレーではなく、香って味わうカレーは初めて。なぜか正体不明のなつかしさを感じてしまい、香りってこんなに気力が湧くのかと最初の気付きがありました。
今までの考え方は大きく変えないとならない。生死に関わる。今はとにかく“嫌いは甘え”だと方向転換。偏食が過去の記憶に変わっていくのです。
ルーから作るいつものカレーは少しずつ具材が増える。人参や、ほうれんそう、じゃがいもはどうやって食べさせるか?当初はどの具もNG。母忍耐。
カレー以外のスパイス料理は?
カレー以外の話をすると、和のスパイス、シソ、みょうが、山椒、唐辛子。受け入れハードル高かった。ただ、世間で馴染みの深いシナモンは早くから試されすぐに浸透。どうやら、私にはスパイスの香りが特効薬。シナモンを通して実感しました。
少しずつ食べられるものが増えていくのですが、野菜はキャベツから挑戦し、キャベツで一番記憶に残るのは焼うどんでした。
スパイスたっぷりのウスターソースが味の決め手。醤油で仕上げます。慣れてきたら、たまねぎ、人参をほそ~く切って同時に炒め始めました。ウスターソースはスパイス盛り沢山の調味料です。
徐々に嫌いな食べ物は減っていきますが、中2秋の退院後から大学進学まで、それほどスムーズには行かなかったです。
少しずつ、焦らずにを心掛ける母そして私でした。
食道楽のはじまりはじまり
さあ、ここから巻き返し。
花の女子大生、大学デビューします。アルバイトも始めました。
サークル活動や、バイト先での人達と外で食べることが増えます。新たな食べ物との出会いが私を更に変えてくれました。
学生時代の思い出は、原宿のシェーキーズ食べ放題(意外と多いハーブ&スパイス)と友と集まれる鍋料理。虎ノ門でのバイトではランチにイタリア料理やフランス料理を。ここではスパイスやハーブがセンス良く使われていて、食べた料理を表現する際“香り豊か”という言葉を覚えました。
バジル、セージ、オレガノはチーズ、トマトをより美味しく感じさせたり、セージは豚肉のこってり脂をバランスよく調和してくれたり、オレガノはマジョラムやタイムと合わさるミックスハーブにすると絶妙だとか、
新たな世界を開いてくれました。
反動ここにきたる!
どんどん食べるようになり、横にも大きくなっていったこの頃。
「美味しい料理は香りが違う」と豪語していました。食べられない食材はほぼ無い状態にまで。食べっぷりが良いおかげで、バイト先の方にご馳走していただいたことも。
私の完全変態。
就職し社会人になってからも食への探求心は続き、とにかく食べることに夢中。結婚、転居、再就職、環境が変わっても食べられる人となりました。
食べる事で得られる幸福感はMAX。
この頃は既に見かけふっくら。細くガリガリで可哀想に思われていた幼少期は塗り替えられました。
いつも憧れの対象がいて
“瞬間を必死に”
が私の全て。金融機関からコンサルティング会社で働くも、いつの頃からか、私にしかできない仕事をしたいという思いから離れられなくなりました。
有難いことに配偶者のサポートもあり、会社、組織という場所から外へ飛び出す決断をします。
まずは知識が欲しい。学生時代に食べ、スパイスやハーブの世界を広げてくれたフランス料理やイタリア料理の基礎理論を学びます。
ここで私の食人生と学びが始めて向き合い、瞬間的にはまりました。カチッと音がした。音が鳴るほどの“なれそめ”がここにあります。
実は、私は最初からスパイスにどハマりしていたわけではありません。
自宅の偏食克服から、外食で得たプロの香りのマジックに引き込まれ、私の中で料理におけるスパイスの位置付けが高くなり、スパイス一直線に。
ただ美味しいから学びたいではなく、当時は上手に説明できない複雑でかつ豊かな香りのスパイスの秘密を学びたい。惹かれるとはこういうこと。
スパイス一直線になった私は、植物学観点から、構造を理解する為の化学式まで一から学びます。文系出身の私は想定外の学びに興奮。
スパイスの学校を卒業と共に、五感と言われる視覚(見る)、聴覚(聴く)、味覚(味わう)、嗅覚(嗅ぐ)、触覚(皮膚で感じる)の感覚が変わりました。
スパイスを学んだおかげで人生が変わるかもしれない。
自分自身、苦しかった経験、表現できない、具体化もできない不甲斐なさがあり、自分の人生、どのステージでも憧れの対象がいました。
あの人は素敵だな…。そしてこの世には自分の見えていない世界を見ている人がどれほどいるだろう?あの素敵な人は見えている人だろう。羨ましい。とすら思った。
スパイスを味方につけるまでは、自分の不遇を憂う時もあれば、前向きに何かに取り組める日があったり。アンバランスな日常でした。
社会において何にもなれない無益な自分、過去の偏食時代を思い出し鬱々とした気持ちだった日々。
次第に私の心の葛藤は、苦しさからケセラセラに変わり
スパイスやハーブの力を借りた私の人生に色がついてきました。
だからこそ、この知識を広めたい・伝えたい思いで教室を始めることに。
スパイスがわかると、使いこなせるようになる。
そこから変われる五感、思考、生き方、人生観。何気ない毎日が変わります。と説きました。
“スパイスを学びたい”と問い合わせして下さる方は
問い合わせの主は毎日を丁寧に過ごし、知識欲が高い人だろう。
メールから丁寧なご挨拶を拝見すると、既に満たされ、新しい何かを模索するために私の元へいらっしゃる!素敵な方々。そう思っていました。
ところが、
知識欲はご経験は豊富ながらも
悩みを伺うと日々のちょっとしたことが気になり鬱々。行動に移せない。
過去の私とあまり変わらないのです。
余裕綽々で上から高見の見物なんて方は皆無でした。
知識を身に付けるレッスン後には人生相談を受けることが増えていきます。
1on1という形式が良かったのかもしれません。
折角ですから…と対処法はスパイスの知識から導き、
ご自身で自分の人生の主人公になってもらう。
イキイキした目に変わり、卒業されいく姿を
私自身の目で見届けられるようになりました。
広がった仕事の幅
今ではスパイス教室での指導以外にも仕事の幅が広がっています。
レシピのお仕事(企業、メディア)
スパイスやハーブの知識をお届けする仕事
偏食に向き合う母と子のライフスタイル(食育含む)
大人・子供向けのスパイスブレンドを主としたワークショップ
スパイスとハーブから広がるライフスタイルの設計
料理家からスタートし、
今ではライフスタイルの提案・発信もさせていただいておりますが、
私自身の経験も役に立っています。
重度の偏食から食事を「美味しい・幸せ」と思えるまで
博物館学において文化財修復や保存を学び、財産・ものと向き合う
いくつも転職を経験。雇用形態や業種の壁を行き来するキャリア形成
都会から田舎、田舎から都会へ。住んでみてわかる居住スタイル
婦人科系疾患による7時間に及ぶ手術経験
子供が授からないことへの不安、体質改善法
4年間の不妊治療の心身ストレス
子供の早期教育の意味、幼児教育についての考察
上記の経験はいいことばかりじゃなかったけれど、
スパイスを学び生き方が変わった私だからこそ乗り越えてこれた
と前向きにとらえ、仕事に生かします。
こうして私は今を生きています。
楽しい!幸せ。
スパイスとハーブは、私の人生を変えてくれた
今回は、私がスパイスと出会い、今がどうあるのか?
私とスパイスがつながる経緯、なれそめをお話ししました。
重度の偏食だった私に、食べる楽しみや料理のおいしさを教えてくれたのは、スパイスとハーブでした。
こうして改めて書き出してみたことで、過去の自分と今の自分のちがいに驚きます。以前までの偏食の私は、楽しくごはんを食べることが難しく、
一人はもちろん、誰かと一緒に食事をすることを楽しめない自分に後ろめたさがありました。
何より、自分に対しても「なぜ食べられないのか」「人と同じようにできないのか」と答えの出ない問題に苦しんでいました。
でも。スパイスを味方につけてからは、食べられるものが増え、食べることが楽しくなりました。
私の人生は、スパイスとハーブに支えられて、彩り豊かに変わっていきました。そして、スパイスによって人生が変わっていくのは、私のような偏食持ちに限りません。
私のスパイス教室にきてくださる方々もまた、
スパイスを通して自分を捉えなおしたり、人生をみつめたりすることで、ご自身なりのよりよい生き方ができるようになっていきます。
私自身としても、これからもスパイスとハーブを日常に取り入れていくための知識や、より豊かな人生を歩むためのヒントをみつけていきたいと思っています。
今後は、私が得た知識やヒントを、ぜひ皆さんへもシェアしていけたらと思っていますので、どうぞお楽しみに!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
(もし、私のことをもうすこし知りたい!と思っていただいた方がいらっしゃれば、プロフィールをまとめたnoteがありますので、読んでいただければうれしいです!
もし、もし、良かったら。サポートがいただけたら嬉しいです。 頂いたサポートはこのnote執筆に繋がる使い方をさせていただきます。 スパイスの購入とか、カレー店の訪問とか 毎週水曜日は投稿をしております!