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僕はまだYOASOBIの欠片も知らないのかもしれない

今では日本で知らない人も少ない人気音楽ユニットYOASOBI。

Ayase氏の令和に相応しいどこかミステリアスで儚い美しいメロディーラインと、ボーカルIkuraちゃんの透き通る伸びやかな歌声で爆発的に有名になり紅白にも出場した。

もはやファンの数を数える事すら叶わない。

かくいう私も熱狂的なファンではないが彼等に魅了された一人である。

ふとYOASOBIの新曲『怪物』聴いてみた。今まで注目していなかった歌詞に目を向けてみる。そこで私は気づいてしまった。

私を含めたYOASOBIのファン。実はまだYOASOBIの欠片も知らないのではないか?


•YOASOBIにおいての歌詞の重要性

今回はYOASOBIの音楽性については触れないものとする。(素人目からしてもレベルが高く複雑で私の腕中に収まるものではない)

歌詞一点のみについて語りたいと思う。

なぜ私が『怪物』を聴いて歌詞の重要性を感じたか、それはただ元ネタを知っていただけである。

この曲はアニメ『BEASTARS』2期のopとして使われている。

『BEASTARS』とは『週間少年チャンピオン』で連載された板垣巴留作の漫画で、数々の動物が人間の様に暮らす社会を描いている。

チェリートン学園の生徒である心優しい(といってもかなりめんどくさい性格の)ハイイロ狼の少年レゴシが肉食動物と草食動物、理性と本能の間で揉まれ、悩み、葛藤していき、自己を確立していく物語である。

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この漫画、一見シュールに見えるが社会派漫画である。思春期特有の醜い大人の社会を目にした時のモヤモヤした思い、好きという純粋な心だけでは済まされない恋愛の難しさなど、現代社会では言いたいけど言いづらい、アングラな部分まで動物達が代弁してくれる。

そんなこの漫画が私は大好きである。 

そんなディープな世界観をまとめた曲がこの『怪物』だ。



予備知識無しでも素晴らしい曲だが『BEASTARS』の世界と照らし合わせるとより楽しめる。

•『怪物』の原作再現度

淡々と心臓の様に刻むキックからイントロが始まり、力強く攻撃的なシンセサイザーが奥で響く。伸びやかではなく潜む様な歌唱。

素晴らしき世界に今日も乾杯
街に飛び交う笑い声も
見て見ぬフリしてるだけの作りもんさ
気が触れそうだ
クラクラするほどの良い匂いが
ツンと刺した鼻の奥
目を覚ます本能のまま
今日は誰の番だ?
素晴らしき世界は今日も安泰
街に渦巻く悪い話も
知らない知らないフリして目を逸らした
正気の沙汰じゃないな
真面目に着飾った行進
鳴らす足音が弾む行き先は
消えない消えない味が染み付いている
裏側の世界

Aメロの1番2番である。これらのパートは怪物らしさを全面に出している。ハイイロ狼であるレゴシの身体が持つ暴力性と本能。そして捻れ曲がった社会と“大人“を怪物と揶揄しているのではないか。

清く正しく生きること
誰も悲しませずに生きること
はみ出さず真っ直ぐに生きること
それが間違わないで生きること?
ありのまま生きることが正義か
騙し騙し生きるのは正義か
僕の在るべき姿とはなんだ
本当の僕は何者なんだ
教えてくれよ
教えてくれよ

先程よりはリズミカルになった重低音、そして合いの手を入れるなど動きがついたBメロである。

このパートは主人公レゴシの葛藤を表している。本編では優しさ故、グダグダと何巻にもわたり繰り返されたレゴシの悩みをよくぞ数十秒にまとめたと称賛したい。

しかも表面を撫でただけのまとめ方ではなく、的確で本質をついた要約となっている。ここの歌詞だけでもAyase氏の才能を感じる。

そしてそんな社会で生きるためのレゴシなりの回答となるサビへと続く。

願う未来に何度でもずっと
喰らいつく
この間違いだらけの世界の中
君には笑ってほしいから
もう誰も傷付けない
強く強くなりたいんだよ
僕が僕でいられるように
今日も
答えのない世界の中で
願ってるんだよ
不器用だけれど
いつまでも君とただ
笑っていたいから
跳ねる心臓が
体揺らし叫ぶんだよ
今こそ動き出せ

曲調がガラリと変わる。電子音しかなかった曲にピアノの音が入り彩られる。Ikuraちゃんの本来の透き通る歌声が爆発する。恋は世界に色を与えるというがまさにそれを現しているのだろう。

ここでいう“君“とはレゴシが恋をしたドワーフウサギのハルである。ハルは負けん気な性格であるがウサギなので脆く弱い身体を持つ、言わばレゴシと真逆な存在である。

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そんなハルにレゴシは恋をする。小さいけれど強い存在、そんな彼女を守りたい。彼女を通してレゴシは強くなると決意し、自己を確立していくのだ。

そんなレゴシの温かく純粋な気持ちが伴奏、歌詞ともに『怪物』の世界に光を与えた。こんな表現の仕方があるものかと思わず膝を打った。

YOASOBIは『BEASTARS』の世界と1人の狼の物語をたった数分の芸術に昇華させたのである。


•小説を音楽にする

公式MVは莫大なコメント、高評価がつき『怪物』を歌ってみた、演奏してみた動画も多くある。

しかしこの評価の何割が『BEASTARS』と照らし合わせているか気になってしまうのだ。

皆様の目に私はマウントを取りたいだけの害悪オタクに見えてるかもしれない。しかし、ここまでハイクオリティの原作再現の元ネタを知らないのは勿体無さすぎると考えてしまうのだ。

YOASOBIのコンセプトである『小説を音楽にする』を某音楽番組で音楽家のヒャダイン氏はこう語っていた。

•YOASOBIの歌詞は抽象的に見えるが実はどの曲よりも具体的である。
•元ネタがあるので余計な情景描写が必要無く、登場人物の心情などにスポットが当てられる。
•この発想を生み出した Ayaseさんはある意味ズルい。

要約するとこんな感じである。

抽象的に聞こえる歌詞もそれはただ原作を知らないだけ。他の曲の歌詞で出てくる「君」や「あなた」は聞き手の想像に委ね、身近な人に当てはまるなどして具体化していくが、『怪物』での「君」はハル以外あり得ないのだ。

「夏の夜」「校舎の屋上」「バス停」などの情景も必要無い。『BEASTARS』の世界の物語でしかないのだ。

曲を作る上での世界観を作ることを小説に委ねる Ayase氏は天才なのか、はたまた怠惰からなのか…私は想像することしかできない。


ここまで読んで頂けたら解ると思うがYOASOBIの曲は原作を知っているという前提で作られている。

知らずとも楽しめるくらいの革新的で素晴らしい音楽性であるが、その裏にある『小説を音楽にする』というテーマがどうもおざなりになっている視聴者が多い気がするのだ。(私の勘違いかもしれない)

大ヒット曲『夜に駆ける』も『タナトスの誘惑』という原作がある。まだ私も小説こそ読めていないが、未知のまま「いい曲」とレッテルを貼っていたことを恐ろしく感じた。何回も何回も聴いた『夜に駆ける』についてまだ半分もわかっていないのかもしれない。

これからも邦楽界で最前線を張っていくであろうYOASOBI。突然あらわれた新星の音楽に対し私達はどれくらい理解をしているだろう。

少なくとも私はYOASOBIの曲を聴き、楽しむにあたって原作を知る事が必須だと『怪物』を通して感じた。

これからも彼等の活躍を応援すると同時に、彼等が音楽にするほど愛した小説の作者にもリスペクトを送りたい。



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