みじめな思いは

みじめな思いは、ぜんぶ小説のネタになる。

そうはじめて気付いたのはいつだったか忘れてしまった。いまもしばしば忘れるのだが、ときどき思い出すのだ。そうだ、これはネタになる、と。

こと色恋沙汰で惨めになったときには、たいていあとからそれが小説に使える。というより、勝手に立ち現れてくる、といったほうがただしい。わたしが恋愛小説ばかり書いているからだと思う。それで、そうなってしまうのだ。望むと望まざるに関わらず。

自分からアクションを起こしてすげなくされても、余計なことを言って状況を拗らせても、冷たくされても、それらはぜんぶ大なり小なりネタになってくれた。好意を抱いた人にないがしろにされ、おまえなんか眼中にないと言外に示されて、みじめで苦しくてどうしようもなくなったときは、これまでに何度もあった。そういうときは夜中まで寝付けなかったり、早朝に目が覚めて眠れなくなったりし、もう男の人に声をかけたり、話を振るのなんか金輪際やめてしまおうと思う。

でもこれは、ネタになるのだ。すくなくとも、わたしが小説を書き続ける限り。

そう思うと、ほんのすこしやすらかな気持ちになる。それで、ここでこういう話題を出したら、ここでわたしが誘いをかけたら、いったいどんな顔をしてどんな言葉を返すのだろうと、半ば実験のように口にしたり、行動を起こしたり、する。だいたいそういうとき、心臓は早鐘を打っている。これ以上ないほどばくばくばくばくと騒ぎ立てる。怖いのだ。ものすごく。

男の人に話しかけるとき、わたしのなかにあるのはまぎれもなく恐怖だ。だからこれはもう完全に怖いもの見たさだといえる。どうなるのか、知りたいのだ。良きにつけ悪しきにつけ。

聞きたいことを聞いて、それで冷たくされたって、死にゃあしないんだから。誘って断られたら、その一瞬とこのコミュニティ内でだけ、みじめなだけだから。

楽観的な自分がそう言う。楽観的な自分は極端に面倒くさがりで、物事をシンプルに考えたがる。べつにいいじゃない、死ぬわけじゃなし。それに、冷たくされてもこれまでだってそれなりにやってきたでしょう?好みの男のひとに断られるのなんていつものことじゃないの。ほんとうに怖がりなんだからいつまでも。

わかってるよ、と内向的な自分が渋々応える。やるよ、やりゃあいいんでしょ。ネタ集めだと思えばいいんでしょ。そう思って、いつも死ぬ思いで声を掛けている。心の準備ができてないまま、勢いでジェットコースターに乗り込んでしまうのだ。高所恐怖症なのに。

もっと遠くにいかなければ、と思う。わたしはどうせ自分が体験したことや見たものしか書けない。だったら傷だらけになってでも、もっともっともっと遠くにいかなければ。怯えている場合じゃない。ぜんぶ小説を書くためだ。そのためなら怖くてもできる。

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