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本当の自由

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「無」、実存主義、サルトル、ツァラトゥストラ、グノーシス
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2024年5月の記事一覧

『極限の思想 サルトル』-意識しての対自は「一箇の存在減圧」…それは…相殺-

『極限の思想 サルトル』-意識しての対自は「一箇の存在減圧」…それは…相殺-

 今日もサルトルである。

 本書は、自分とは違うとか、それはどうかと思う…などの差異がない。容認できる範囲というものも自分には存在するが、その幅の内側という意味ではなく、完全に同じなのである。哲学的表現は詳細過ぎるが、その詳細でさえ私の正しさや感覚するものと照合出来る。どストライクなのだ。

本を読むとは、重要な文章を逃さず吟味する、自分との対峙(対自)である。自他の正しさを筆頭に差異を見つけて

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『嘔吐』は、もしかして喜劇かもしれないという気づき

『嘔吐』は、もしかして喜劇かもしれないという気づき

解説:
シャルルに見捨てられそうなリューシーを語る叙述、リューシーを形容するたっぷりな抒情表現、きっと悲劇はリューシーが家政婦だったことだろう。
「私」はリューシーと顔見知りだが、それどころではないリューシーに声をかけようか否か、今起こっている劇的な苦悩は日常レベルの苦悩に鎮火するだろうと、「私」は、「助けない」を心の中で正当化している。そして、「私は立ち去ろう」という結末は、それまで劇的でありな

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J-P・サルトル『嘔吐』

私の吐き気と同種だと嬉しい。

富山(十三山)

・右半分の白い勾玉の尻尾部分を富山とも表す。

・白化粧(従来の意識)は空の意に近づいていくごとに、図の青の線通りに山を登って行き、縦のスリット(線)まで辿り着いたらゴールである。

・左半分の黒い勾玉の尻尾部分は悪の位を表し、その最後尾は最も悪の頂点を表す。

・みよいづ次元(分断された下の方である究極太極図の次元)の太極図の回転が進むごとに、黒い勾玉の尻尾はスリットに入っていき、そのスリットに

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「精神の考古学」と「ツァラトゥストラ」で共通する言葉が出て来た。
良くしたい、何かのためになりたい、努力してこうなりたいというのは病気を患っている「病人」なのだ。それは欲望成就念慮だろ。吐き気がする!(ツァラトゥストラ風)。ゾクチェンは吐き気はしないようだ…が、ツァラトゥストラ↓

ニーチェは全ての肯定と言ったが、私が思う所サルトルは全ての否定となるが。。どちらが正しいとか言いたいのではなく、結末までに同じ場所で何度か出会う気がする。し、性質の違いというだけではないかと思う。

そう、今は触れられても平気だ。勝手に相殺させるスキルが身についた。し、意識はココにはない。入って来る人間界の有情に苛まれることはない。
真如が覚醒した者だけが辿り着ける場所がある。わかる者なら探せばわかる。光が届かない此の場所に徐々に意識が集まって来ている。

自身の内外界(法界)の中の学問は与えられた遊び道具。

誰かや何かを敬い、崇め、評価している「間」は与えられた項目を貪る奴隷。

他者が創った物(虚構)を捨てその内側から抜け出さなければ真の自分も真の自由も見出すことはない。

褒め合い謙遜し合い崇め合う戯れ

逆も然り

仏教学・哲学・科学・神学・文学等の学問。それらは喜劇への変換技術により全ての学問を超える(止揚)。

全ては人間の體に在る。
止揚の結末は悦びの「無」となる。

問題は「だから何論」「そもそも論」この二つで解決可能である。

「プロフ」「今日の無」

*喜劇変換は相殺と等しい。

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