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三浦豪太の探検学校

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冒険心や探究心溢れる三浦豪太が世の中について語った日本経済新聞の連載記事「三浦豪太の探検学校」(2019年3月に最終章)の、リバイバル版。わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリ…
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2021年12月の記事一覧

荷造りは登山の始まり

2013年3月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  エベレスト登山は大きく分けて2つのルートがある。ネパールとチベット(中国)ルートだ。しかし今年、チベットは中国からの入域許可が外国人には下りず、必然的に今年エベレスト登頂を目指す各国の隊はネパール側からのルートに集中することになる。  ネパール側からエベレストに登るとき、首都カトマンズから山岳地帯のルクラに飛行機で飛ぶ。そこがエベレストベースキャンプに続くエベレスト街道の玄関口だ。しかしルクラには山岳地帯の斜面沿いに

「悪ガキ」の挑戦は続く

2013年3月2日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先日リステル猪苗代においてワールドカップ(W杯)が行われた。この中で里谷多英選手(以下、多英)と附田雄剛選手(以下、雄剛)の引退セレモニーが行われた。多英は長野五輪モーグル金メダリストであり、ソルトレイクシティー五輪でも銅メダルを獲得。多英を通じてモーグルを知った日本人も多いのではないか。雄剛は世界選手権で日本男子として初めて表彰台に上がり、W杯でも優勝を含め11度表彰台に立った。2人は名実ともに世界のモーグル界をけん

エベレストに向け合宿

2013年2月23日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先日、父とエベレストのための合宿を志賀高原で行った。志賀高原を合宿場に選んだのは冬季、日本でリフトアクセスできるスキー場で最も標高が高いのが志賀高原エリアだからだ。僕たちが合宿のベースを置いた志賀高原焼額山の標高は2009㍍、さらに横手山は2307㍍の標高を誇る。  実際のエベレスト登山のための高度順化としては低いが、この標高はアプローチが始まるエベレスト街道の玄関口と同じ高さだ。初期の高度順化や体調調整は後半の体力

義足を翼に変えて

2013年2月16日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  スキーシーズンも中盤になるとスキー板が足になじみ、ターンの正確性が増してくる。感覚が広がりスキーそのものに神経がつながるようだ。先週のコラムで紹介した義足のロングジャンパー、佐藤真海さん(サントリー)とそのことについて話をした。  陸上走り幅跳びの種目で女性として初めて義足をつけ、これまでパラリンピックに3回出場している彼女が装着するスポーツ義足は普通のものより硬くて強い。競技を行う時に加わる強い力にも耐えるためだ

義足アスリートの戦い

2013年2月9日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先日、毎年キッズキャンプを行っている主催元、サントリーのCSR推進本部の担当者から「とぶ!夢に向かって」という本が送られてきた。昨年、行われたロンドン・パラリンピック、陸上競技走り幅跳び代表の佐藤真海(まみ)さんの子供向けに書かれた自伝だ。本には「うちの部署にこんな面白いのがいます」と担当者からの言葉が添えられていた。  本を手に取り読んでみた。佐藤さんは早大2年の頃、チアリーダーとして活躍、希望に満ちていた時に突然、

「キエーロ」の可能性

2013年2月6日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  昨年末、神奈川県逗子市のタウンミーティングに招かれ、アウトドアライフについて話す機会があった。会の終わりに平井竜一市長が、今後、住民に「キエーロ」を補助し活用することによって逗子市の生ごみ処理の負担を軽減する意向を話された。  何やら面白そうなネーミングに興味を持った僕は早速、市長に尋ねると、「キエーロ」とはその名のごとく生ごみが完全に消えるという。そして開発者の松本信夫氏を紹介してもらった。  これまで環境に良いと

「魔法の言葉」で雪山に

2013年1月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  僕は幼いころ、スキーが嫌いで、父に雪山へ連れ出されるたびに地べたに伏せてダダをこねた。理由は寒いからだ。  しかしある日、父が米国から子供用のスキーをお土産に買ってきてくれた。当時日本では子供のためのちゃんとしたスキーを作っていなかった。父はその米国製の短いスキーを「これで雲の上に乗った孫悟空のように自由自在に滑ることができるぞ」と言って僕に手渡した。単純な僕はその言葉で孫悟空になりきり、夢中でスキーをするようになっ

口腔ケアで災い防ぐ

2013年1月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  正月も明けて早々、三浦雄一郎はみのもんたさんが司会を務める「朝ズバッ!」に出演した。2013年は80歳でのエベレスト挑戦の年である。反省を振り返りながらエベレストへの意気込みや健康法などについて語った。  その中で父は祖父から伝わる三浦流「口開け運動」を行った。口開け運動とは口を大きく開けて舌を下、横に動かす運動であり、舌と顎の筋肉を動員して顔や頭への血行を促す。  この時、たまたま口腔ケアが専門である牛山京子先生が

師走のトレーニング

2012年12月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先月の遠征で、僕は5㌔ほど体重が落ちた。  高所で体重が落ちる理由の一つは、食欲の減少によるものだといわれている。2003年のエベレストアタックの際、ジェットストリームに阻まれ、8300㍍でビバーク(野営)を余儀なくされた。そこは酸素が少なく、滞在が長引けば死に至ることからデスゾーンともいわれている。  ビバークによって登頂どころか、生きて帰ることすら難しい状況で、姉から衛星電話で体調などについて聞かれた。その時の

EMS、筋肉強化に力

2012年12月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先日、父雄一郎と京都大学大学院人間・環境学研究科の森谷敏夫教授が雑誌で対談した。森谷教授は、認知行動科学、身体機能論等を専門としている。教べんをとる傍ら、生活習慣病・肥満改善、運動処方箋や運動生理学を基礎としたソフト・ハードウエアの開発を行っている。  対談後、僕も含めて昼食をとる機会があった。僕は大学で運動生理学を専攻していたことから、運動生理学の最新情報や森谷教授の最近の研究に興味が尽きなかった。その中で特に関

父の挑戦 いつか形に

2012年12月1日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  ロブチェイーストの遠征後、カトマンズに戻りホテルでの朝食中、「Mr. Miura?」と声をかけられた。彼の名前はデビッド・ブレッシャーズ、米国で最も有名なクライマーでありカメラマンだ。  彼は1996年にIMAX用映画「エベレスト」の監督・撮影をつとめ「セブンイヤーズ・イン・チベット」「クリフハンガー」にも関わった。クライマーとしても5度のエベレスト登頂を果たしている。  彼は父の大親友であるディック・バス(世界で初

登山は最高の「授業」

2012年11月24日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  標高5200㍍。ロブチェイーストのハイキャンプに向かう途中、父、雄一郎は急に立ち止まりあえぐように肩で息をした。心拍数は1分間に170回。すぐに近くの石に座らせ呼吸を落ち着かせた。  5000㍍を超える標高で歩いても、父の心拍数は1分間に120回を超えることはめったにない。しかし、不整脈(心房頻拍)が起きるといきなり心拍数が上がり、心臓は空打ちしてしまう。こうなると体に十分に血液を送ることができなくなってしまい、そ