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三浦豪太の探検学校

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冒険心や探究心溢れる三浦豪太が世の中について語った日本経済新聞の連載記事「三浦豪太の探検学校」(2019年3月に最終章)の、リバイバル版。わずか11歳でキリマンジャロを登頂。フリ… もっと読む
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2021年8月の記事一覧

不安が促す覚醒

2012年2月25日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  東洋大学で「環境ストレスと生体反応」というシンポジウムに招かれ講演した。この時、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学医学部、パスカル・カライブ准教授の「恐怖体験とストレス生命反応」という最新の研究で「オレキシン」についての興味深い話を聞いた。  オレキシンは金沢大学の桜井武教授らが1998年に発見した脳内物質で、主に睡眠・覚醒そして食欲中枢に関わることがわかっている。パスカル准教授はさらに研究を進め、マウスを

暗闇に感じる安らぎ

2012年1月14日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  昨年末「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という催しに参加した。これは一種の体験エンターテインメントで、視覚障害者がガイド(アテンドスタッフ)となり完全に光源を立った暗闇の空間へ健常者を案内してくれるというもの。  参加者は杖を手にし、アテンドスタッフの声を頼りに真っ暗闇の中を進み、セットされた様々な仕掛けに視覚以外の五感(触覚、嗅覚、味覚、聴覚)を駆使して感じ取る。  通常、5~8人の初対面の人たちと体験するのだが、

登山の師匠、再び頂上へ

2012年5月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  5月19日渡辺玉枝さんが女性として最高齢の73歳でエベレストの登頂に成功した。彼女と一緒に登った村口徳行カメラマンは、父と僕の2度のエベレスト遠征をサポートし、撮影してくれた。僕の登山の師匠でもある。  彼にとって7度目のエベレスト登頂は、自身が持つ日本人の最多記録を更新するものだった。エベレスト登山をなりわいとするシェルパでも7回登頂はなかなかない。村口さんはエベレストという極限の環境でカメラを回す世界でも数少ない

祖父の手入れ日誌

2012年1月7日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  1月になると祖父(三浦敬三)が生前、札幌で毎日トレーニングとスキーをしながら過ごしていた日々を思い出す。テイネスキー場で寝起きし、早朝の体力トレーニング後、リフトが始動するとお昼頃まで滑り、お昼を食べ、少し休憩をとったあと、時間をかけてスキーを手入れするのが日課だった。  1999年の祖父の手帳日誌には、きちょうめんに日々のスキーの手入れの内容が書かれており、特に「ストラクチャー」について記してある箇所は興味深い。ス

地球と宇宙の未確認生物

2011年12月17日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  ヒマラヤのメラピーク遠征中、シェルパのナワヨンデンからこんな話を聞いた。  「僕の祖父母が小さいころ、イエティはこの辺に普通の人みたいに歩いていた」と。イエティとはいわゆる雪男、全身を毛で覆われた大きな人のような生物で、一説では熊とも猿ともいわれる未確認生物だ。そんな生き物が当たり前のようにこの辺にいたという。ナワヨンデンは1983年に日本のカモシカ同人隊と冬季エベレストに登頂した伝説的なシェルパで、地元の警察署長

山スキーこそが本番

2011年12月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  11月のヒマラヤ遠征。チベット高原に停滞した低気圧の影響で6日間も待機させられた三浦隊だったが、天候回復後、メラピーク山頂(6476㍍)を目指してようやく登山活動を開始した。  当初の予定が大幅に遅れたため、高度順化の日程を省き、キャンプ数を減らすなどの工夫も必要だった。高所キャンプを出発したのは24日。早朝4時に山頂アタックが始まった。  暦は新月の間近。夜空は星たちがそれぞれ個性的な輝きを見せる。斜面の延長線

冒険の心得 焦らず待つ

2011年12月3日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  月曜日、ヒマラヤ遠征から無事帰国した。目的であったメラピーク(6476㍍)を登頂することができたが、前半、悪天候で足止めを食いスケジュールが大幅にずれてしまった。そのため当初の予定よりかなり短い時間での強硬登山となった。  本来なら徐々に高度を上げて登るところ、チベット高原に停滞した雲の影響で僕らは11月13日から18日までの6日間もヒマラヤの登山の玄関口、ルクラ(2800㍍)での待機となった。このような場合、いかに

直感で論理補い博士論文

2011年11月26日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  僕はこれまでモーグルや登山など、直感型の活動を行うことが多かった。モーグル競技ではあこがれの選手の滑りをまねて、そのイメージをパフォーマンスに結び付け、登山では山全体を見て、危険な兆候などを印象として捉える。  イメージなどで全体をとらえるのは右脳、論理分析は左脳とあたかも右脳と左脳の役割がきっちり分担されているように言われてきたが、実はそうでもないらしい。右脳の一部も論理的に解析するし、左脳もイメージをとらえる役

メラピークでスキー

2011年11月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  今、僕たちはヒマラヤ山脈のメラピーク(6476㍍)へ遠征中だ。メラピークはエベレストから南へ30㌔に位置し、ヒマラヤの玄関口と呼ばれるルクラから東へ4千㍍級のザトルワラ峠を越えた先、ヒンクー・コーラ谷の源流にそびえる山だ。  僕にとっては初めて登る山であるが、父・三浦雄一郎は2001年に1度登っており、スキーがとても楽しかったという。  ほとんどの登山家は、山を選ぶ基準に山の景色や難易度、歴史的、地位的意義を考慮

いざスロージョギング

2011年11月12日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先日、大分県の湯布院でアンチ・エイジングキャンプを行った。キャンプに視察に来てくれたのが福岡大スポーツ科学部の田中宏暁教授だった。  田中教授が提唱しているのが「スロージョギング」である。人は歩くか、走るかという時に、スピードに合わせて最も効率の良い方法をとる。多くの人の場合、その境界線が時速7㌔前後だが、スロージョギングのペースはそれよりもゆっくりと走ることによって、速く走る時に出る乳酸を抑え長時間運動をすること

歩く技術、楽しく覚えて

2011年10月29日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  今月、僕と父の共著となる「三浦雄一郎 歩く技術」(講談社)が出版された。  前半は父、雄一郎が体験した、これまでの冒険の数々のエピソード、そしてそれを支えたトレーニングが記してある。僕はそれに技術的な解説を加えて実践的に行えるようにした。   この本を書くにあたって、僕が一番苦労したのは、普段父が行っているトレーニングを一般的な内容に置き換えることだった。  父のトレーニングはユニークだ。足首に7~8㌔の重りをつ

金メダルの尊さ

2011年10月22日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先日行われた体操のお世界選手権で、僕は内村航平選手が前人未到の個人総合3連覇を成し遂げた瞬間に立ち会う幸運を得た。  彼の素晴らしさは何といっても着地だ。どんなに目まぐるしい回転やひねりを行っても必ずぴたりと止まる。動から静に移り変わる瞬間を制御することは難しい。選手の才覚や努力が花開く時だ。  体操競技のポイントは技の難易度を表すDスコアとその完成度を表すEスコアを足すことで決まる。難易度と完成度は相反する2つの

つま先で衝撃なく下山

2011年10月15日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  先週のコラムで、山下りが筋肉痛を引き起こすが、同時に速筋繊維を鍛え、若返りのホルモンIGF-1の分泌を促す話をしたが、さらに補足したい。  鍛えるには痛みがつきものというイメージがあるが、必ずしもそうではない。米ノースアリゾナ大学の研究では筋力トレーニングを定期的に行えばエキセントリック(伸張性収縮)運動をしても筋肉痛が起きにくく、筋肉痛があっても無くてもそうしたエキセントリックな運動で若返りのホルモンであるIG

筋肉痛と若返り

2011年10月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  屋久島を自転車で一周した数日後、鹿児島の鹿屋体育大学で山本正嘉教授の指導による体力測定を行った。これは10年間も続いているものだ。  今回、父の雄一郎はつらそうな表情だった。自転車で屋久島一周は問題なかったが、その翌々日、永田岳登山口へ続く花山歩道を上り下りした。県道から永田岳登山口へ行く花山歩道の標高差はやく500㍍。斜度15~20%の勾配が続く。ヒマラヤの山々を制した父には散歩のようなもの。ところがこの程度の運動