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山スキーこそが本番

2011年12月10日日経新聞夕刊に掲載されたものです。

 11月のヒマラヤ遠征。チベット高原に停滞した低気圧の影響で6日間も待機させられた三浦隊だったが、天候回復後、メラピーク山頂(6476㍍)を目指してようやく登山活動を開始した。
 当初の予定が大幅に遅れたため、高度順化の日程を省き、キャンプ数を減らすなどの工夫も必要だった。高所キャンプを出発したのは24日。早朝4時に山頂アタックが始まった。

 暦は新月の間近。夜空は星たちがそれぞれ個性的な輝きを見せる。斜面の延長線にオリオン座がまたたく。その右隅の星を目指し、山頂へと登る。
 夜明けの1時間ほど前から、うっすらとチベット方面が紫色に染まった。ナイフでえぐったような細い月が空に浮かんでいた。
 日が昇っても、稜線に吹く風でそれほど暖かさは感じない。ひたすら続く白い道を進んだ。
 午前10時15分、三浦雄一郎、豪太、トレッキングガイドの貫田宗男の3人はシェルパと共に山頂に立った。父、雄一郎にとって3年ぶりとなる高所。強行日程であったが、80歳で迎える2013年のエベレスト登山に向けての一歩を着実に踏み出した。

 通常の登山はここで終わりだが、僕たちはここからが次の目標のスキー滑走となる。
 風と太陽にさらされた雪面は大海のさざ波がそのまま凍てついたようだ。荒れた斜面では思うようにスキーが操作できず苦労する。一見マシュマロのように柔らかそうな個所も安心できない。クラスト(表面が固まり、中が柔らかい)の状態が微妙でスキー板が刺さる所とアイスバーンが入り混じる。
 標高6千㍍を超え、希薄な大気に息も絶え絶えとなりながら重い荷物を背負って、予測のつかない手強い斜面と格闘した。生前、祖父の敬三が言っていた「スキー場で滑るのは練習。山スキーこそが本番だ」という言葉が身にしみた。

 父も僕も転げながら滑り降り、やっと雪がないところまでたどり着いた。爽快感よりも安堵感、そして鉛のような疲れを身体の奥深くに感じた。
 長引く悪天候で短い高度順化しかできず、最後は時間との戦いとなった今回の遠征。不測の事態に対処しながらの登山は、雄一郎の体力のみならず、僕自身の調整能力が試されるものだった。

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