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てる子先生の八咫烏魔法学校
2021年6月10日 10:25
霊符には図のようなものも多いですが、文字も多く使われています。そもそも文字はどのように発生したのでしょうか。天上に三元五徳八会の気が立ち込めました。三元というのは天地人の三です。五徳というのは五行のことです。それが合わさった八会の気です。これが凝固したところ、飛天の書という文字が生まれました。そこから四方に光を放って、八龍雲篆という文字が生まれました。このように天から生まれた文
2022年9月8日 07:20
陰陽道は朝鮮百済を経由して日本に入ってきました。最初の段階では知識の輸入に関わったお坊さんだったり、大陸から渡ってきた方々が用いた分けです。これが大きく変わったのは奈良時代に入ってからです。中国から密教や道教が入ってきました。さらに、弘法大師が真言密教を始めたことで、日本の仏教界が密教に変化していくようになりました。その頃は日本の陰陽道では後継者が少なかったために、仏教界以上に密教
2021年8月31日 12:45
陰陽師はお祓いを中心に行っていますが、他には占いもしています。主に式盤という道具を使った占いで、太乙、六壬、奇門遁甲の3つは三式と呼ばれて有名です。太乙は太乙神数とも呼ばれている占いです。六壬は陰陽道の占いというイメージが強いかもしれません。奇門遁甲は、何度かこのブログでも出てきていますが、九星気学の基になった占いです。ちなみに九星気学が広がってきたのは明治時代からです。上の図
2021年7月21日 07:12
いろいろあって、今では陰陽師は悪いものを祓うことが中心になってきています。そのお祓いの技術は道教の術を使うことも多いですが、呪禁道によるものも多いです。(ちなみに読み方はジュゴンです。)ようするに咒の術を使うわけです。こちらも現代では魔除として霊符を使うことや、呪いの仕事が多いです。しかし元々は、病気という悪い気を入ってこないようにすることで、それを良くする術が中心だったのです。
2022年12月10日 08:19
七十二の鎮宅霊符ということですが、七十二という数字には何か意味があるのでしょうか。実際に、五行や、五岳真形図、九字、北斗七星など、数霊というものはありました。中世から続く陰陽道のお祭りには七十二星鎮祭というものがあります。72本の灯りを点け、七十二星鎮札というものを櫃に入れて天井の梁の中に納めるのです。72という数字は何なのか。短絡的な人は六十四卦に八卦を足したのだとか、二十四節を
2022年11月29日 09:52
孝文帝によって、鎮宅霊符が中国で広まりました。しかし、中国で広まり、奈良時代に一度入ってはいるのですが、大々的に広まるような形で日本に来るのは随分後になってからでした。中国では、元から明の時代にかけて、霊符をまとめた書籍が登場しました。それが太上秘宝鎮宅霊符です。それが室町時代に日本に伝わったのです。そして、日本人による要素追加が行われるのです。この霊符が日本にやってきた時、最
2021年9月2日 07:23
霊符には基本的な使い方を解説しました。持ち歩くだけでなく、家に貼って使う方法もありましたね。しかしながら、それだけではありません。道士たちは違った使い方もしています。霊符に関しての学びが進んでくれば、色々と奥深い活用法があるというものです。中々珍しい使い方のひとつは、何と霊符を使って身体を洗うんです。もちろん霊符で身体をゴシゴシ擦るわけではありません。霊符を燃やしてそれを