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日本にこの人たちがいてくれる安心感〜『エンジェルフライト』読書感想文


まずNetflixでドラマを観た。米倉涼子さんをはじめとするキャストの皆さんがとても魅力的で、辛くて悲しいお話ばかりを大泣きしながら観たのに、観終わったらなんだかホッとしてものすごい安心感に包まれた。そういえばこのドラマの原作は以前話題になったノンフィクションだったなと思い出したら原作が読んでみたくなった。この人たちのこと、この仕事のことをもっと知りたいと思った。

『エンジェルフライト〜国際霊柩送還士』/佐々 涼子

国境を越えて遺体や遺骨を故国へ送り届ける「国際霊柩送還」という仕事に迫り、死とは何か、愛する人を亡くすとはどういうことかを描く。第10回開高健ノンフィクション賞受賞作。

集英社HPより

報道されるような海外で起きた大きな事件や事故。日本人が巻き込まれているかどうか、ニュースは伝える。そこで残念ながら命を落としてしまった方のご遺体が日本の空港に着いたと、ニュースは伝える。そしてご遺体のそばには国際霊柩送還士の姿があった(はずだ)。

カメラの前を何度も通っているはずなのに、誰も彼らに気を留める者はいない。なぜなら死を扱う仕事だからだ。

かつて就活中の長女がある企業説明会に参加した時、“お給料が良い(高い)”という理由である企業のブースを訪れた。帰って来てから話すには、その会社の担当の方が、「うちを受けるのは、お家の方と相談して、了解をもらってからに」と言っていたと言うのだ。何故そんな必要が?と私が問うと、長女いわく、

死を扱う仕事だから、それを良く思わない人もいる

と言われたと。その企業はセレモニーホールを経営していた。「へぇ、そうなんだ」と何も考えていなかった自分のことを、私って甘いなあと思ったもんだった。長女に言わせると、きっとお母さん(私のこと)は何も言わないだろう、反対しないだろうと思っていた、と、そこまで読まれていたかと恥ずかしくなったのだが、そのことを久しぶりに思い出した。

海外で亡くなったかどうかに限らず、身内が亡くなってその葬儀やら何やらのいろいろは分からないことだらけ。頼りは、葬儀屋さん。葬儀屋さんの指示で死亡証明書を手配したり、焼却場を予約したり。遺体の仕度に関しても任せっぱなし。湯灌だの、白装束だの、係の方がしてくれることにいちいち質問したり文句を言う人のほうが少ないはず。だけど、本当はそういうことをよく知っておく必要がある。どうせ分からないだろうと、無駄な処置をされて余分な料金を払わされていたかも知れない。いや、そんな悪徳業者はいないと思いたいけど、知らないというのは悲しい。

エンジェルハースは、“遺体を搬送し家族のもとへ届ける”のが仕事。誰かの死で儲けている会社。会社だから、儲けがないと社員は生活出来ない。海外にはご遺体ビジネスや、遺体ブローカーなる、お金儲けのことだけを考えている悪い人たちもいる。
でもエンジェルハースの人たちは違う。日々、亡くなった方、残された方の悲しみに向き合い、その人たちが何を望んでいるのかを考える。

弔いは亡き人を甦らせたりしない。悲しみを小さくしたりもしない。かえってとり返しのつかない喪失に気づかせ、悲しみを深くするかもしれない。
だが、悲しみぬかなければ悲嘆はその人を捉えていつまでも放さない。

国際霊柩送還の仕事は、人を悲嘆に向き合わせることにより、その人を救う仕事なのだ。
だから、例えば亡くなった方の仕度を整えながら会話する。

〈女房、子どもに久しぶりに会うんだ。男前に仕上げてくれよ〉
〈わかってますよ。まかせてください〉

ご遺体が目の前にあるのと無いの、そしてそのご遺体が生きていた時の状態に近いかどうか。ちゃんと悲しみに向き合うためには必要なのだ。家族のもとへちゃんと帰って来たということが大事なのだ。
仕事だけど単純にお金儲けと割り切れない。かと言って感情移入しすぎてもいけない。難しい仕事だと思う。
届けた柩を囲んで涙する人たちを見て、この人はこんなふうに皆から慕われ、惜しまれる人だったことが分かる。

人は生きてきたように死ぬ、そして、残された者の心の中に、これまで生きてきたようにして、これからも生きる

確かにそうだ。私も事あるごとに、こんな時父なら何て言うかな、母はどうしたかな、と生きていた時の両親の性格や行動に照らし合わせて自分なりの答を見つけようとする。

エンジェルハースの会長さんや社長さんが研修社員や新入社員に伝える教えが、いちいち私のツボにハマる。何故なら私も同じように思うからだ。
例えば、倉庫から電球を取って来いと言われ電球を持って来た。
「これ、どうします?」
どうしますじゃない。電球をどうするか、自分で考えろって話。電球が切れている箇所があればそこに嵌める。電球を冷蔵庫に入れるわけがない。そうそう、それそれと私は思う。頼まれたことだけしたのではダメなのだ。周りを見まわして必要だと思うことを見つけてそれをやる。
例えば倉庫に行く時はほかの用事がないかどうか考えて、それをついでにやって帰って来る。私はこれの実践者だ。私のデスクは2階、物品倉庫は1階。例えば倉庫へコピー用紙を取りに行く時には、1階に下りるついでに持って下りる回覧など無いか、逆に2階へ持って上がる郵便物や、倉庫にある物でほかに何か必要な物がないか、必ず確認する。いやそれ、単に1階と2階の往復が面倒くさいだけじゃないの?と思った方、半分正解。でも、このたった数分の往復だって何回もあったらそれだけ時間を無駄にしてしまう。体力だって大事にしたい。ただの屁理屈かも知れないけれど、私は大いに共感したし、この会社のことを好きだなって思った。

ドラマに出て来るエピソードは原作に出てきた実際にあったことを、うまく再構築してあった。ちなみにドラマの脚本は古沢良太さん。『どうする家康』の人だ。ほんの少しの情報からドラマ1話分に仕上げる脚本のチカラ。こちらもすごい仕事だ。

“海外に行く”というのは、仕事にしろプライベートにしろ、楽しいイメージが付いている。それなのに突然亡くなってご遺体で帰って来たとしたら心が追いつかない。それでも、「行って来ます」と出発したその時の笑顔に少しでも近い状態で家族のもとへ届けてくれようとする人たちが日本にはいてくれる。そのことが私にものすごい安心感をもたらしてくれた。



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