「春の別れ」と「可愛い」について | 記憶の欠片
舞い散る桜の下、子どもの習い事の付き添いで出ずっぱりだったからか。
春と結びつく、幼い頃の記憶の欠片がポロポロ出てきました。
昨日5時間位日を浴びて、今日も5時間は薄日と風を浴びてた。
だからセロトニンは充分で、リラックス出来たはず。(日焼けもしたけど)
リラックスした状態でぽろっと出てきたから、気に留めたほうが良いエピソードなんだよな、多分。
自分のためのメモとして残しておきます。
春の別れ
幼少期に経験した印象的な別れは、幼稚園卒園と同時に遠い街へ引っ越したお友達。
名前も顔も覚えてる。Yちゃん。
私が1番好きなお友達。
私とは正反対のタイプで憧れていた子。
幼稚園児の足では一人で行けない程度に家が遠くて、気軽に遊べなかったのが悔しかった。
引越し後、小学生になってから数回手紙のやりとりはしていたから、引っ越し先も覚えてる。
東北の、遠い街。
寂しいのと同時に、仲良しのお友達がいないまま小学校へ行くのも不安で怖かった覚えがあります。
「可愛い」というルッキズム
幼少期、「美人さん」と大人からよく言われました。
事実、子どもらしい可愛さとは程遠い見た目でした。
「大人っぽい」という形容が一緒についてくる感じの褒めことば。
なぜこの記憶が出てきたかというと、「春の別れ」に書いたYちゃんが人懐っこくて天真爛漫で、まさに子どもらしい可愛さを体現したような子だったからです。
私は、「美人さんだね」と大人から言われるのが嫌でした。
子どもながらに褒められている、というのは理解していましたが、それでもどうしても嫌だったのです。
言われたときは曖昧に笑ってごまかす術を、幼稚園児の時点で既に身につけていました。
(そしてますます子どもらしくない印象を与える悪循環にハマる)
そもそも、母が「パッチリした目の二重の子が欲しかった」と言っていたのが発端のような気がします。
「二重の子が欲しくてお父さんと結婚したの」と、たまに言っていました。
(母に悪気はなく、恐らく照れ隠しや冗談の類なのだと今は理解しています)
私も弟も、母に似た奥二重。
目の形は悪くはないのに奥二重だから、可愛いというよりきつい印象。
ブスだね、かわいくないね、とは決して言われませんでしたが、幼児の私は「かわいい」が良かったようです。
今でも褒め言葉、特に容姿を褒められることについては、居心地が悪くてムズムズするような、場合によっては嫌な感じがします。
例えば
メイク可愛いね、服装可愛いね、は「メイク」技術やトータルの見せ方のセンスを伴うから○
顔立ちが可愛いね、スタイルいいねは、私の努力とは関係ないから✕
(天然で)可愛いね、酔っ払うと可愛いね、は容姿ではないけど、私が恥ずかしいから△。笑
あと場面によって警戒モードになります。
酔っ払うと可愛いねは、男性からしか言われたことないし。
声可愛いね、は恥ずかしいけど嬉しかったです。
(スタエフ聞いてくださったみなさま、ありがとうございます)
めんどくせーやつなのはよく分かってますが、そう思っちゃうんだからしょうがない。
私は子どもたちに
「◎◎くんはカッコいいとかわいい、どっちが好き?」
と聞いて、子どもがその時欲しい言葉で褒めるようにしています。
(新小4長男でも、「かわいい」希望7割くらい。年長次男は「かわいい」が良い模様)
子どもたちの褒め方、今まではあまり意識してなかったけど、もしかするとこのへんに由来があるのかもしれません。
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