満月

大好きな土地で超近距離恋愛中です

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最近の記事

チーズキャベツチキン

私の母が考案した料理の中で私のいちばんのお気に入りは「チーズキャベツチキン(通称チーキャベ)」。 塩コショウして焼いた鶏むね肉を一旦取り出して、そのままのフライパンにざく切りにしたキャベツを敷き肉を戻す。その上からチーズをたっぷりかけて蓋をしてキャベツがしなっとするまで蒸し焼きにして完成。うそついた。ケチャップをつけて初めて完成。これがむね肉だけどパサつかず美味しいんだ。 私の母は美味しい料理を作ってくれ、高校生時代の私をたいそう肥えさせたものだが、母の料理は祖母譲りではな

    • 正義の執行者

      「子どもを産まないという選択をする自分たちこそ子どものことを思いやっている」という旨の発言をする人を何度か見かけたことがある。 もしかしたら、「生きづらい世の中に人を生み出さない」という選択自体は(まだ生まれていない)命を尊重する優しさからくるものかもしれない。 しかし、その正しさ、優しさを根拠に「自分は正しいから何を言っても許されるような存在である」と信じ込んで他人に意見してしまうのは踏みとどまってほしい。 そもそもその正しさ優しさは反出生主義の価値観のもとでしか通用

      • 生理軽い女

        私は生理が軽い方であり、自分が地雷原なことも理解している。 生理重い人が軽い人にああ言われて傷ついただとか、重い人同士で盛り上がれることはある。でも、軽い人は口を開くと恨まれるので何も言えない。 友人にも軽い仲間がおらずこういう話をできる人がいないので、この場で書くことにした。 私の生理の特徴を挙げてみる。 ・周期が長いので生涯における回数が少なくて済む ・痛みがあるのは1日目だけ(たまに刺すように痛いが、痛み止めはなくても我慢できる程度) ・2日目日中は昼用21cmを2~

        • 加害者側から見るいじめ問題

          いじめが人生に与える影響といえば被害者の辛さを偲ぶ人は多いと思うが、実は加害者の中にも罪悪感と後悔の念に苦しむ人がいる。 とくに大人になって他人を思いやる気持ちが育つにつれ、過去の愚かしく残酷な行為を悔やむことになる。 私はそのうちの一人であるが、被害者が受けた理不尽な辛さを思えば、自業自得でしかないと思う。自分のした事が返ってきているだけなので、それの辛さを分かって欲しいなどという被害者ぶった訴えをするつもりでこの文章を書いているのではない。 小学生の時にしたいじめを大人に

        チーズキャベツチキン

          不毛

          反出生主義の理想を実現するためにはまず認知されないと始まらないので、かれらは育児のぼやきなんかに積極的に物申していく。初めて目にした時は、どうしてこんな酷いことが平気で言えるんだとただただ憤慨したものだ。 でもその「どうして?」への興味が強くなっていき、生への否定の価値観はどのような家庭環境のもと育っていったかを想像するようになった。たくさん考えたり人の意見を聞いて価値観への理解は初めより進んだと思う。それでもやっぱり他人の親に噛み付いていく行為を容認できる理由なんて見つか

          そこに正義はあるんか?

          反出生主義をテーマに書くのは2度目で、前回の掘り下げみたいな内容になっています。 私の文章に出てくる反出生主義という単語は一貫して 「反出生主義の考え方に基づき自分は子をもたない選択をする思想」ではなく、 「反出生主義の考え方に基づき全ての命が生まれないべきであると考え意見の押しつけをする思想」 のことを指しますので、ご理解ください。 反出生主義の主張をざっくり私流の解釈で 「人は生まれる前に、生まれるか生まれないかを選択できないまま強制的に人生を始めさせられるのが問題」

          そこに正義はあるんか?

          子どもをつくらない生き方

          まだまだ、「誰しもいい年齢になったら結婚して子どもをつくって…」が当然で、そうではない選択をした人に不自由さを感じさせてしまう世の中なのだろう。 私は反出生主義に反対の立場だ。出生(を義務付けたい)主義者ではなく、反・反出生主義といったところだ。子供をもたない選択について周り(孫が欲しい親とか)があれこれ言うのは本当にやめるべきだと思うという点では中立に近い立場かもしれない。 生命誕生の押しつけはダメだと思うが、同時に生命非誕生の押しつけも当然よくない。こう言うと反出生主

          子どもをつくらない生き方

          はつたいけん♡けつ

          採血くらいなら針は平気だし、貧血とも無縁。以前血液検査をしたときの値はどの項目も綺麗に基準値の範囲内だったこともあって、私の血、優良血液じゃね?!分け与えても平気じゃね?!と謎の自信をもち、今までは何となく怖くて避けていた献血を初めてしてみることに。コロナで協力者減ってるとか言われたら、じゃあ私が!ってなっちゃうよね。(なるとは限らない) 仕事中会社に献血バスが来る形の献血だった。問診も飲んでいる薬も血圧もクリアし、献血バスへ向かった。 はじめに血管の状態を見て、献血しな

          はつたいけん♡けつ

          笑わないこと

          数年前、私は会社の寮に暮らしており、同じ寮にいる同期の子と仲が良かった。 ある日、同期が訪ねてきて、「布団を干してたら雨が降ってびしょ濡れで寝られなくなったから泊めてほしい」と言った。唯一の布団をだめにしてしまったら相当困ってるじゃん!と思った私は、「大変じゃん!災難だったね、いいよいいよ泊まってって〜」と返した。 それは特に恩を売るつもりもなかったし当然の行いだと思ったけど、そうではなかったらしい。 もう一人寮には同期がいるのだが、その子に話したときは大笑いされて、本

          笑わないこと

          絵描きにかける言葉

          私は長年趣味で絵を描いており、オタクであることも自身の描いた絵も特に隠さないで生きてきた。出しっぱなしの絵を見た彼氏は、ほんとうに何気なく「バランスおかしくね?」と言った。おかしいのは分かっていたがどうすれば良くなるか分からず何度も何度も描き直したがうまくいかず、放棄していたものだった。 彼氏は「絵心ない芸人」と全く同じレベルの絵が描けない人間だ。上手い人に指摘され教えて貰えるのなら技術が上がるので万々歳だ。(ただし私は変な方向にプライドが高いので上手い人に見られるのも苦手

          絵描きにかける言葉

          言葉の温度

          言葉には温度があると思う。それぞれ適温だと思う温度は違うし、今まで浴びてきた、浴びせてきた言葉も様々な温度の水だ。 そう例えるとするのなら、私は今までぬるま湯に浸かっていたのだろう。優しい家族と優しい友達に恵まれ、私の周りには優しい言葉をかけてくれる人ばかりがいた。そして当然、あたたかく心地いい温度のぬるま湯のような言葉を人にもかけていた。 ちょっと気になるところがあっても、それを本人に告げてショックを受けさせてしまわないか一旦踏みとどまって、言わないことが何度もあった。

          言葉の温度

          八重歯と腹毛

          私は頭のてっぺん(髪の毛)から足の先(足のサイズが大きい)までコンプレックスまみれの女だ。 学生の頃なんかは白い肌に真っ黒い髪、赤い唇が梅干しの乗ったのり弁みたいで嫌いだった。(今思うと意味がわからない) うねる剛毛には長年悩まされてきたし、足は数年前24cmを店員さんに勧められるまで自分は25cmとか、酷いと男性用しかサイズがないと思い込んでいた。残念ながらくせのある厄介な剛毛は思い込みではないしその他のコンプレックスは20代半ばになる今も健在だ。 コンプレックスのう

          八重歯と腹毛

          はじめまして。

          私には同じ職場同じ部署で同棲中の人生初(最初で最後になりそう)の彼氏がいます。もっと他の距離感に慣れている人からしたら毎日べったりでしんどくない?!と思われそうですが沢山笑わせてくれる彼氏と過ごす日々は楽しいです。ここまで日々一緒にいるうえ一途同士なカップルは珍しいのではないかと思い、記していこうと思います。ほかのお話も書くことになるかとは思われますが。主に恋愛のことを書いていきますので、こういう恋人の形もあるんだなと思っていただければ幸いです。

          はじめまして。