そこに正義はあるんか?

反出生主義をテーマに書くのは2度目で、前回の掘り下げみたいな内容になっています。
私の文章に出てくる反出生主義という単語は一貫して
「反出生主義の考え方に基づき自分は子をもたない選択をする思想」ではなく、
「反出生主義の考え方に基づき全ての命が生まれないべきであると考え意見の押しつけをする思想」
のことを指しますので、ご理解ください。



反出生主義の主張をざっくり私流の解釈で
「人は生まれる前に、生まれるか生まれないかを選択できないまま強制的に人生を始めさせられるのが問題」
「人が生まれなければ幸せも起こらないが、不幸も起こらないから生まれない方が良い」
「生まれてこなかった人は自我も何もないから自分に訪れるはずの幸福がなくとも傷つかない」
としている。

私は押しつけが許せないだけで、理論的には反出生主義が間違っているとは思わない。

理論的に反出生主義が正しいことと、その意見を述べることで言われた相手に良い効果をもたらすことは別である。
どれだけ小難しい理論をこねくり回して正しい意見を差し出しても、親を憎んでいない人の心には響かないどころか侮辱としてしか受け取られない。

今回問題にしたいのは、上記の解釈のうち「生を受けるかを自分で誕生前に選べない」という主張である。
これはその考えを知って「そんなこと問題にする?!?!と驚いたのち、確かに選べないなあ…ほお…」と興味をそそられた考え方だ。
いや受精卵にしても受精する前の段階にしても、知能ないから選べるわけないじゃんね。何言ってんのとしか…。

結局人が「生まれてきてよかった」と思うか「生まれてこなければよかった」と思うかは成長した後にしか分からないことである。
もの言わぬ「生まれてこなかった命」を出生の可否の判断材料にするのに十分な証拠はあるのだろうか。
命の発生に肯定的か否定的かは架空の”生まれてこなかった命”ではなく、現在この世に存在している人間の考えに基づいてしか議論できないはずだ。
現状、どちらに転ぶ人も存在するということは、「生命が発生しないことによって救われる」人のみで世界が構成されているわけではないのだ。

くどいようだがあくまで私は「子どもが生まれるべきでないという考えを他所の家庭に強要する」ことを批判している。
親そのものの判断ではなく、親の価値観を歪める助言を赤の他人がし、生命の発生に影響を及ぼすことの可否を問うているのだ。
それが不幸な家庭に生まれてしまう子を守ることにもなることは理解しているので、口出しは絶対にすべきではないとは思わない。
ただ、本当に外野が口を出さないといけないほど酷い家庭状況かを調べもせず決めつけでものを言うのは、あまりに勝手すぎる。


「子どもが幼稚園に行くようになったらカフェとか美容院にゆっくりいけるようになる」
という呟きに
「子どもをお荷物扱いするなんて可哀想。産まなきゃよかったんじゃ」
とコメントする人を見た。飛躍しすぎてて呆れたよね。言われた人は大層怒ってらっしゃった。そりゃあそうだ。もちろんそんな人ばかりではないことは分かっているが、そういうモンスタークレーマーのような人も実在する。

自分の生命の誕生を、誰かが自分に代わって止めてくれたらよかったのにと思う人がいる。
もし自分の命が”知らん誰かの発言”で誕生しなくなっていたら、自分が享受するはずの幸せ、出来事が全て得られなかったと思うと悲しさを覚える人がいる。

どっちの立場の人間も存在する以上、「命の発生を抑えるよう助言すること」が救いになることもあれば、ならないこともあると分かる。

「自分がされて嫌なことは人にするな」「自分がされて嬉しいことは人にしろ」というよく聞く教えは、優しくて残酷だ。
してほしいこと、してほしくないことは人によって違うのだ。
自分がしてほしかった「命の発生を食い止める」は、全ての人間の願いではない。それによって救われる人も、傷つく人もいるので、できるだけ救われる人のみを選んで言葉を向けるべきである。

そして伝え方も重要である。
人の誕生を「生まれてきてしまった」と表現し、虐待もしていないのに親というだけで悪人とみなすことを当然としてものを言っている人がいる。そんな言い方で意見をぶつけても相手は不快になるだけだ。どれだけ正しい理論だろうと反発しかされないだろう。

まあここまで言ってきたが、本当に「この世から不幸な人間を生まないため」に活動をする人ならカウンセラーなり児童相談所に勤めるなりで「生まれた命を不幸から守る」ことに尽力するのではと思う。
結局ネット上で他人の親に文句をつけるだけのことしかしていないのなら、不幸な生命の誕生を真剣に阻止しようとしているのではなく、憂さ晴らしがしたいだけなのだろう。
他人の親はサンドバッグになってくれるほど優しくないぞ。


まとめ

・出生を未然に防ぐのは絶対的な正義ではない
・出生の可否を問うにあたって、生まれなかった命などという架空の存在ではなく今生きている人間の考えを根拠にすべき
・他人の命を「生まれてきてしまった」と過ちであるよう表現したり、親というだけで見境なく噛み付いていくようでは悪者にしか見えないので注意
・相手を傷つけてまで言いたいことがあったらせめて通知の行かない形で発信して(クソリプやめよう)

以上が私の主張です。最後までお読み頂きありがとうございました。

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