チーズキャベツチキン

私の母が考案した料理の中で私のいちばんのお気に入りは「チーズキャベツチキン(通称チーキャベ)」。
塩コショウして焼いた鶏むね肉を一旦取り出して、そのままのフライパンにざく切りにしたキャベツを敷き肉を戻す。その上からチーズをたっぷりかけて蓋をしてキャベツがしなっとするまで蒸し焼きにして完成。うそついた。ケチャップをつけて初めて完成。これがむね肉だけどパサつかず美味しいんだ。

私の母は美味しい料理を作ってくれ、高校生時代の私をたいそう肥えさせたものだが、母の料理は祖母譲りではない。
(母曰く軽めではあるが)毒親だった祖母には弟ばかり愛されてあまり可愛がられず育ってきた。
祖母は料理が上手だが、「自分でやった方が早い」と母を決して台所に入れなかったそう。
そのまま大人になり、嫁に行き、独学で料理をしてきた。

それが嫌だった母はきょうだいで差別をすることなく(お姉ちゃんだから我慢しなさい等)私たちきょうだいを育ててくれた。よく手伝っていたので私も弟も台所に馴染みがある。

そんな私も大人になり結婚して、帰省する機会がすこし減った。隣の家は焼けて更地になり祖母は認知症が始まるなど、私のいないうちに実家は変わりつつあった。
今回、連休を取って帰省したら「なにか食べたいものはない?」と聞かれたので「チーキャベ」をリクエストした。
そうして、私は夫と知り合ってから知った味のポテサラをつくり、母はチーキャベ。一緒に台所に立っていた。
私にとっては昔からやっていたしなんでもないことだったが、毒親という言葉を知り親との関係を見つめなおした母には感慨深いものがあるようで、
「親と一緒に台所に立てなかったけど、今こうして一緒にやれて幸せだ」と呟いた。
主語がなかったので、「おまえは幸せでいいな(妬み)」という意味かと思い聞き返したら、「親と一緒には叶わなかったけど子どもとこうして一緒に料理できて自分は幸せだ」という意味だった。

私も毒親という言葉を知り、酷い育てられ方をしたから自分は同じことを子供にもしてしまいそうで子供を持ちたくないという考えの人がいることも知った。人は与えられた愛情がなければ人にもあげられないとも聞いた。
だからなぜ母は与えられていない愛情をわたしたち子どもに注いでくれたのかずっと不思議だった。でもそれが、そのとき少しだけ分かった。

良好な親子関係を築けている喜びを満たすことができていたり、(親から受け継がれなかった)自分のオリジナルの料理をリクエストしてもらえるのも嬉しかったのかもしれない。
私の存在で、私との関係で母がすこしでも幸せを感じられているなら、私は貰ってばかりでもなかったのかなと思えた。
改めて実家を、母を大事にしようと思った出来事だった。
(ちなみにポテサラも好評だった。ありがとうリュウジさん。(他人のレシピかよ))


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