加害者側から見るいじめ問題

いじめが人生に与える影響といえば被害者の辛さを偲ぶ人は多いと思うが、実は加害者の中にも罪悪感と後悔の念に苦しむ人がいる。
とくに大人になって他人を思いやる気持ちが育つにつれ、過去の愚かしく残酷な行為を悔やむことになる。
私はそのうちの一人であるが、被害者が受けた理不尽な辛さを思えば、自業自得でしかないと思う。自分のした事が返ってきているだけなので、それの辛さを分かって欲しいなどという被害者ぶった訴えをするつもりでこの文章を書いているのではない。
小学生の時にしたいじめを大人になってから強く後悔して自己嫌悪して生きる私が伝えたいのは、「いじめが人生に与える影響を、過ちを犯す前に考えてほしい」ということ。子どもたち本人にも伝えたいが、教育する立場である人(親も当然含む)にも、加害者を生まないことに留意して子どもと接してあげてほしい、ということを伝えたい。
誰しもが生まれた時から「他人を傷つけないよう思いやること」ができる善良な子ばかりではない。

それともう一つ、加害者の苦しみは「大人になってから謝罪することで精算」してはいけないと思う。
自分が傷つくより、人を傷つけてしまうことの方がよっぽど底が見えぬ恐ろしいものだ。
相手の辛さは決して見えない。だからこそ恐れなければならない。
過去にいじめた相手が現在はどこで何をして暮らしているか、ごはんは喉を通っているか、笑うことができているか…なんにも分からないのだ。
自分が傷つけてしまった影響がどこまで及んでいるのか分からない。
申し訳ない。苦しい。

一般的に「いじめた側はいじめてたことなんて忘れて何事もなく暮らしてい(やが)る」と言われがちだ。
もちろん、一生後悔も反省もしない人も存在するだろう。そういった人の印象が大きいため、「加害者は被害者のことなんて忘れて気持ちよく過ごしているだろう」と認識されている。
そしてそれと同一だと思われているであろうから、きっと私が今抱いている気持ちは想像もされていないはずだ。
そういう人ばかりではない、今でも申し訳ないと思っていると伝えたいと願ってしまう。
でも、直接謝りに行って当時の辛さを思い出させるような真似は絶対にできない。
「どれだけ申し訳なさでつぶれそうでも赦しを得てはならない」というのが、いじめ加害者が背負う業なのでは、と私は思う。
十字架を放り投げて身軽になってはいけないのだ。
それに、負い目があるからこそ謙虚に思いやりを持って生き、他人を傷つけていないか意識し慎重になれる場面もあると思う。

私にできるのは、今自分の周りにいる人へ優しくすることと、遠くから被害者の子の現在の幸福を願うことだけ。

償いきれない重罪が1件でも減ることを願い、加害者側からみるいじめ問題を語ってみました。

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