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武内涼『不死鬼 源平妖乱』 超伝奇! 平安に跳梁する吸血鬼

 いま最も内容の濃い時代伝奇小説を描く作家の一人である武内涼。その作者初の平安もの――そして吸血鬼ものであります。平安末期の京の闇に潜む血吸鬼「殺生鬼」と、彼らに大切な人々を奪われた静と源義経、二人の主人公が死闘を繰り広げる、直球ど真ん中の超伝奇活劇です。

 古代に遙かスキタイで生まれ、大陸を渡り日本に至った、血を吸う者たち――彼らは人と同じような暮らしを送り人は殺さない不殺生鬼と、人の血しか飲まず人を殺す殺生鬼の二派に分かれていました。そして徒に仲間を増やさず人と共存する道を選んだ不殺生鬼は、密かに殺生鬼を狩る者「影御先」たちと協力しつつ殺生鬼と対峙し、京での殺生鬼の跳梁は阻まれていました――平安時代末期までは。

 そんな中、不殺生鬼の母と人間の父との間に生まれた娘・静は、故あって京で働いていた貴族の屋敷を飛び出し、顔なじみの不殺生鬼の導きで血吸い鬼たちの互助組織「結」に参加することになります。しかし初めて参加したその結は、有力貴族と結んだ殺生鬼、そして貴族や武士を敵視する人と殺生鬼を率いる怪人・熊坂長範一党の襲撃を受け、静の眼前で壊滅状態に陥ってしまったのです。実は熊坂長範こそは静にとって最も憎むべき敵であり、最も恐るべき相手――そして自身の父親。かつて人間の狩人だった長範は、貴族の暴虐によって瀕死の傷を負わされたところを、妻の、すなわち不殺生鬼の血を飲んで復活したものの、殺生鬼となって暴走――その末に、静を逃がそうとした妻を殺害した過去があったのです。
 一方、父・源義朝を平家に討たれ、自らの命は助けられたものの、幼くして母から引き離され、鞍馬寺に入れられた牛若丸。彼は、そこで天狗の面をつけた謎の人物・鬼一法眼から、武術・兵法の教えを受けることになります。やがて法眼の親戚の娘・浄瑠璃と出会い恋に落ちる義経ですが――しかしそのささやかな幸せもつかの間、二人の前に熊坂長範が現れます。実は浄瑠璃こそは、殺生鬼を死した後に復活させ、不死の肉体と超常の力を持つ不死鬼に変える「王血」の持ち主だったのです。自分と配下を不死鬼に変えんとする長範に浄瑠璃を奪われ、さらに二人を救おうとした法眼を長範に倒され――師と恋人を奪った殺生鬼に復讐を誓う義経。そして鞍馬山を降りた義経は影御先の存在を知り、その一員に加わることになります。そこには影御先に救われ、長範を討つために仲間となった静の姿が……

 巻末の細谷正充氏の、吸血鬼時代小説を俯瞰する解説に明らかなように、時代小説(そしてさらに漫画や映像)と吸血鬼というのは、決して無縁の存在ではありません。人の姿を持ちながら人ではなく、人の血を吸って仲間を増やす吸血の鬼は、西洋だけでなく、この島国の物語においても跳梁していたのです。しかし、そのような中でも、物語の舞台となるのはほとんどが江戸時代もしくは戦国時代。そこから遡るとなると、作品数は途端に少なくなります(内容的にタイトルを伏せますが、森真沙子の某作品くらいでは……)。そして本作はこうした中でも非常に珍しい、平安時代を舞台とする作品であることに、まず特徴があると言えるでしょう。
 さて、一口に吸血鬼といっても様々なバリエーションがありますが、本作に登場する吸血鬼像は、旧来のオーソドックスなものを踏まえつつ、独自の解釈とアレンジを加えた存在であります。人を殺さぬ不殺生鬼と、人を殺し自らの血を飲ませて仲間を増やす殺生鬼、さらに殺生鬼が一度死んでさらに恐ろしい力を持って復活した不死鬼――一口に吸血鬼といっても三タイプ、そしてそのそれぞれに生態とルールが存在する本作の設定は、慣れるまでは少々ややこしいかもしれません。しかし時代小説ならではの広がり――彼らの存在が古代から平安時代にまで、いやその先まで、人の歴史とともに連綿と繋がっていくことを示すその設定は、本作に一作にとどまらない無限の時と空間の広がりを感じさせてくれるのがたまりません。
 特に本作の冒頭、

「だがヨーロッパでバンパイアが猖獗を極めた十八世紀、日本で吸血鬼が蠢いた痕跡はほとんどない。――それは、人々の知らぬ処で、吸血鬼と戦った勇者たちがいたからである」

という文章は、簡潔ながらも伝奇ものには不可欠なスケール感を強烈に感じさせてくれる、伝奇者にはたまらない名文であります。

 そして本作において敵役となる殺生鬼が熊坂長範であり、この怪物に挑むのが、若き源義経と静――明言はされていませんが、あの静御前でまず間違いないと思われます――なのですから、盛り上がるなというのが無理な話でしょう。しかもこの義経と静、長範は、波瀾万丈の超伝奇物語のキャラクターに相応しい個性の持ち主であると同時に、実に作者らしい「人」の姿を浮き彫りにする存在でもあるのです。
 まず本作の主人公の一人である源義経。本作で描かれるその姿は、様々な物語や伝説に残されたものから、大きく外れるものではありません。しかし同時に彼は、伝説に登場する貴種流離譚的なキャラクターとはある意味遠いところに立つ者でもあります。何故なら本作の義経は、平氏への復讐に燃える源氏の貴公子であると同時に、「人」が「人」として生きることができる世を作ることを理想とする者なのですから。それは一歩間違えれば、非常に陳腐なヒーロー像になりかねません。しかし本作は義経のその理想が、師である鬼一法眼、そして恋人である浄瑠璃――貴族でもなく、武士でもない身分の、しかし確かにこの世に生きている「人」々を通じて培われる様を丹念に描きます。それによって本作の義経は、真にこの世に在って欲しい英雄(を目指す者)として、見事に成立していると感じられます。

 そしてまた、もう一人の主人公である静もまた、義経同様にある種の理想を追う者として描かれることになります。その名は知られつつも、ほとんど伝説上の存在である彼女らしく、本作の静は、磯禅師の下で歌舞の修行をしたという点を除けば、非常に自由に描かれています(そもそも、本作ではその磯禅師からして影御先のリーダーなのですから!)。殺生鬼と化した父により、不殺生鬼の母を惨殺されたという、悲惨な過去を持つ静。そして父から逃れる中で人買いに捕まり、貴族の雑仕女として生きることとなった彼女は、義経とは全く異なる形で世の辛酸を舐めた少女です。こうした、平民を人と思わぬ都の貴族のやり方を目の当たりにした――そもそも父が殺生鬼となったのも、父が貴族や武士によって理不尽な暴力を受けたことがきっかけである――静にとって、この世の理不尽に敵意を燃やすのはむしろ当然と言えるかもしれません。

 その意味において、静とその父である長範は、近しい存在にも見えます。しかし静と長範の歩む道は、そしてこの世の権力者に敵対するという点で共通する義経と長範の歩む道は、決して交わらない――大きく異なるものなのであります。幸若舞や謡曲、歌舞伎に登場する大盗賊であり、美濃の青墓で義経に討たれたという伝説を持つ熊坂長範。本作においてはも義経と静の共通の憎むべき敵であるこの長範ですが――しかし単純な悪役としてのみ描かれているわけではありません。
 上でも述べたとおり、貴族や武士の暴虐により、理不尽に死にかけ、血吸い鬼としての新たな生を得た長範。しかしその暴力の向かう先は貴族や武士のみであり、そして彼らと敵対する者であれば、長範は人も血吸い鬼もなく、等しく仲間に迎えるのです。つまり長範もまた、社会の理不尽の犠牲者でもあり、そしてそれを打破せんとする一種の革命家なのです。
 しかし本作は、そして義経と静は、そのような長範の行動を決して良しとはしません。敵であれば赤子も容赦せず、そして不死鬼になるためには平民である浄瑠璃をも襲う長範。それは彼が結局は独善的な存在に過ぎないことを示すものであり――こうした彼の存在は、暴を以て暴に易うことの不毛さをこれ以上なく体現していると言えます。確かに、力による理不尽は否定しなければなりません。理不尽に立ち向かう力を持っていなければなりません。しかし――力は容易に新たな理不尽を生み出します。長範が義経と静から、理不尽に愛する者たちを奪ったように。

 そして既存の権力の理不尽に怒りを燃やし、同時に長範の暴力をも否定する義経と静は、そのどちらにも属さない第三の道を探す者だと言えるでしょう。決して容易ではない、本当にあるかわからないその道――しかしそれは、「人」としてあるべき道、望ましい道であります。そしてそれは、比喩的なものであれ直接的なものであれ、人の「血」を啜って生きる者と対照的な道なのです。
 これまでほとんど全ての作品で、権力や社会の理不尽に対する怒りと、それを克服するために人として望ましい道を求める者の姿を描いてきた作者。本作はそれを、平安末期の世に繰り広げられる人と殺生鬼の伝奇的な戦いを描く中で、象徴的に浮き彫りにしてみせたといえます。
 そして、長範を倒しただけではこの戦いは終わりません。この、義経と静の物語は、『信州吸血城』『鬼夜行』へと続いていくことになるのです。


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