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同じ映画を二回見れない私が、二回目を観に映画館へ行った話

たった二十年しか生きていない私の価値観はいつもグラグラで、ちょっとしたきっかけですぐに覆されるものばかりです。
どうしても同じ作品を何度も見ることができない。そんな私の長年の悩みが解決するのも、そう遠いことではないでしょう。

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「同じ作品を何度も見れない」とは?

そもそもこの感覚がわかる方と、全くわからない方がいると思います。同意してくださる方のほうが少ないかもしれません。

私は同じ映画やアニメ、漫画や小説などを何度も繰り返して見ることをほとんどしません。いや、できないのです。

同じ映画は基本的には一度までしか見ませんし、本も一度しか読みません。漫画はまだ読み返すことはありますが、何度も読むことはないため購入してもインテリアになりがちです。
この類のキーワードで検索してみると、「何故同じ作品を何度も見てしまうのか」という人の心理について考察している記事はいくつか見かけましたが、逆は中々出てきませんでした。

これに関してどちらが正しいとか、どちらの方が有利だとか、そのようにはあまり考えておらず、単純に自分の中でずっと不思議に思っていたことです。

しかし、全く見ないわけではない

例えば私はミュージカル映画が好きなのですが、好きな歌唱シーンは何度も見返します。しかし、その前後の物語パートや、歌唱以外のシーンは飛ばしてしまうことが多いです。
他の映画においても、お気に入りのシーンだけを見返す鑑賞はよく行います。アニメや漫画も気に入った作品のみではありますが、好きなシーンやOP、ED映像を何度も見返しています。
ちなみに小説などの活字に関しては、部分的にも読み返すことはほとんどありません。

これらを踏まえ、一度見た作品を全く受け付けないわけではなく、全編を通して二回目以降の鑑賞を行うことこそ、私が苦手とする行為なのだということが分かりました。

何故同じ作品を何度も見れないのか

自分なりに理由を考えてみました。「見れない派」を代表する意見ではなく、あくまで私個人の見解です。

①なるべく数多くの作品を見たい
特に映画や本は、一つの作品に用いる鑑賞時間として2〜3時間必要です。毎日何本も映画を見れる訳ではないので、どうせ見るならまだ見たことない作品を見たい、という考えが大きいです。
私の「今度みたい映画リスト」には常に100本以上の作品が並んでおり、そちらを消化する方が優先順位が高いのです。
また、鑑賞した作品を記録しているため、その合計の作品数を稼ぎたいという心理が働いている部分もおそらくあります。

②共感性羞恥心があること

「共感性羞恥心」とは、他人が叱られるなどして恥をかいていると自分も恥ずかしくなる感情のこと
障害者.comより

最も大きな理由はこれだと考えます。
私はかなり物語に影響を受けやすい性格であるため、一つの作品を鑑賞することで気持ち的にかなり疲れます。映画を例に挙げると、とにかくその映画の中で起きたことや主人公が経験したこと全てに感情移入してしまい、ヘトヘトになってしまうのです。
酷い時では数日ほどその映画のことを考え、物語に引っ張られたまま戻ってこれなくなることもあります。また、衝撃的な現代アートの美術展を見た時にも同じようなことを経験しました。人よりも作品に自分の心を奪われやすく、感情移入しやすく、疲れやすいのです。
どんな映画にも、感情移入しやすい親しみやすさ、壮大な出来事、ピンチに追いやられる場面、辛く苦しいシーン、どれか一つは必ず含まれていることでしょう。結果的に幸せになる映画だとしても、過去の回想で辛い経験をしたシーンがあれば、そこで感じた辛さや重みをどうしても引きずってしまいます。
私は特に良い作品であればあるほど感情移入しがちです。そのため、良いと思った作品ほど精神的に体力をすり減らすため、二回目の鑑賞はどうしても足がすくみます。


ちなみに類似した芸術ジャンルとして、音楽の聴き方はこれらと真逆です。
音楽は同じ一曲を何度も何度も繰り返し聴くことの方が多いです。クラウドにはお気に入りの曲のみを残しているので、Apple Musicには30曲程度しかダウンロードしていません。今まで特に意識したこともありませんでしたが、先ほど述べた二つの理由と照らし合わせてみると、案外しっくりくるものです。
映像作品や書籍と違って、たった数分で一曲を聴き終えることができますし、共感生羞恥心や辛い気持ちに陥ることもほとんどないです。
歌詞よりもメロディーやボーカルの歌声に着目して音楽を聴いている点も理由の一つかもしれません。これも音楽をどう楽しむかによって意見が変わりそうですね。


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同じ作品の二回目を体験、映画『フレンチ・ディスパッチ』

そんな私ですが先日ついに、同じ映画の二回目を映画館で体験してきました。
タイトルは現在も公開中の映画、ウェス・アンダーソン監督の『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』です。

結論から述べると本当に本当に面白かったです。観に行ってよかったです。何なら三回目を観に行きたいほどです。
同じ作品を映画館で二回観たのはこれが初めてのことです。

何故二回目のために映画館へ?

一回目を観た後に、自分なりに感想をnoteにまとめたのですが、中々全ての場面を思い出すことはできず、改めて確認したいポイントが沢山ありました。また、一回目では物語を理解することに必死だった分、次は頭を空っぽにして世界観を楽しむために観たいという気持ちもありました。
さらに元々私はウェス・アンダーソン監督の大ファンで、彼の作品を映画館で観ることに価値を感じました。そのため映画館の大スクリーンでもう一度観たい!と思ったのでした。

また、二回目を見ることに躊躇しなかった理由としては、この作品の特徴が関係していると考えます。
ウェスの作品は、良い意味で綺麗に完成されており、映画という枠の中に収まっているので、感情移入がしづらいのです。お話の構成自体はある程度現実感がありますが、作り込まれたインテリアや建物、洋服などが強烈に世界観を演出するためフィクション感が強く、そのため一人の傍観者として楽しむことができました。

改めて気付いたこと

二回鑑賞したことで、登場人物にさらに愛着が湧き、一回目では見逃していたシーンを何箇所も見つけました。
結末を知った上で敢えてまた冒頭から辿っていくことも、面白い嗜みだと感じました。気付くことができなかった伏線を簡単に回収することができます。
もちろん最初から最後まで全員が幸せに暮らしているわけではありませんが、ウェス映画のめまぐるしいハイスピードな物語展開が共感性羞恥心を吹き飛ばしてくれました。

今までは無理だと思っていた『何度も見たくなる作品』が私にもあることを知り、嬉しくなりました。同じ作品のために何度も映画館に通う人の気持ちが少しわかりました。映画館での鑑賞に価値を感じている部分も大きいです。
しかし一方で、この作品だからこそできたことでもあることを知りました。私は一体どうしてここまで拗らせてしまったのでしょうか。


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深入りしすぎるからこそ、何度も見れない

共感性羞恥心の頁で述べたとおり、私は物語に非常に影響を受けやすく、その衝撃をしばらく引きずるほど深入りしてしまいます。それは辛い場面や恥ずかしい場面に限らず、登場人物の経験が激しければ激しいほどヘトヘトになってしまいます。
この症状はHSPの方などによく見られるそうで、私自身は特にHSPではありませんが、共感性羞恥心の特徴はもれなく全て当てはまります。

そのため既に見たことがある作品は、本当に好きな自分が疲れない場面のみ鑑賞することを好みます。一度見た作品はどのあたりで自分の気持ちが持っていかれるかを把握しているからこそ、その追体験はなるべく避けたいと考えてしまいます。
ですが結局、映画を始め芸術作品が大好きなので、どれだけ疲れると分かっていても見ることをやめられないのです。

「同じ作品の二回目」について考察した結果、あまり深く考えたことがなかった自分の性格を、思わぬ形で知ることになりました。
そしてなにかと感情移入しすぎてしまうせいで、客観的に作品を鑑賞することが得意ではありません。ここは芸術学を専攻している身として、ある程度は克服したい部分ですが、今までと変わらず自分の素直な感想も大事にしていきたいです。

「抜粋」する楽しみ方で、共感性羞恥心と共存していく

私と同じような症状で悩んでいる方、少数派かもしれませんがいらっしゃるのではないでしょうか。
邪道かもしれませんが、好きなシーンだけ抜粋して部分的に映画を鑑賞する方法は非常におすすめです。『抜粋する楽しみ方』は、動画配信サービスが充実している今だからこそできる、現代らしい芸術に触れる方法なのかもしれません。好きな作品の好きなシーンだけ堪能することを、どうか恐れないでください。

今後は自分らしい鑑賞スタイルを突き止めるだけでなく、それぞれの鑑賞スタイルの違いについても、具体的に考えていけたらいいなと思います。     気持ちの面での対処法もこれから探していきたいです。同じ悩みを抱えている方、よければどうしているか教えていただきたいです。

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