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告白することなかれ

私は思う。深夜こそ真の自由時間であると。
だって深夜ってなんの縛りも無い。朝の時刻表に追われて眠い目を擦る焦りも、昼間の授業の義務感も、夕方の塾のやる気がある生徒の素振りもいらない。深夜は、次の日を犠牲に捻出する、生産性のかけらも無い、健康と時間のいたずらな消費に過ぎないからである。
自分勝手に作った時間なのだから、何をしたっていいという道理なのだろうか。
日常から切り離された暗闇の中、外の音すらもしない静寂な住宅街。
心地の良いぬるま湯のような、社会から一旦切り離されたような開放感、安心、孤独。

自己開示欲
衝動的に写真を撮った。自分の姿と、ものが散らかって荒れた部屋の写真である。そしてそれを自分の裏垢にアップした。晒さなくて良いものを、十数名に向かって無防備にも投げ入れた。
私はたまにそういうことをする。何か、「わたし」というものを第三者の他人に理解して欲しいと無意識に願っている。
三島由紀夫は言った。『告白するなかれ』、と。それにこうも言った。『どんなに醜悪であろうとも、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿を認めてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考え』であると。
痛いところをつくのね
しかし、私もその現実を認めたく無いだけで、きっと気づいてはいるのだ。私は小説や文学の登場人物ではなく、生きたただの人間だからである。他人から見る私も、私から見る他人も、喋る肉片に過ぎないのだから…
やっぱ「隠す努力」なるものって必要なのかしら。表面の、いいところだけを誇張して見せる努力と技術を磨いていくべきなのかしら。
それに惹かれる人がいたって、結局は私の上っ面をぬるっとなぞっただけで、本当の意味で「私を好きでいる」ことでは無いし両者に意味がないのではないか?しかしこれは結構典型的なパターンであって、大半の人間はこうして上っ面を整えて当たり障りなく世を渡り歩いているのかと思うとなんだかやるせなくなります。
これって周りが大人で私が子供なのでしょうか。
それとも周りが子供で私が大人なのでしょうか。
絶対前者じゃん。こんなのずっと子供でいたいに決まってる。アダルトチルドレンの出来上がり。好き嫌いやりたいやりたくないを自分勝手に選べる大人になりたい。


文学って実は難しかった
今日、学校帰りに品川駅のGsumanYGomesに友人と行くことにしたのだが、道中に古くからあるスタイルの古本屋を見つけたので立ち寄ったのだった。
そこではそれぞれ三島由紀夫没20年、30年の特集が組まれた文学誌を購入した。そこには未公開の作品や創作ノート、研究者の教授等による批評や研究論文が文字びっしり印刷されていて、いささか参考文献の多さに驚いた。当時、三島が生きて執筆活動をしていた同年の論文や出版物に加え、親族の伝記、その他諸々…とにかくこんなに生きている間も、そして死んだ後でさえも多くの人に愛され、研究され続ける三島由紀夫ってよっぽど魅力的な人間なんだろうなぁと彼の凄さに圧倒。嫉妬すら覚える。
ちょっとづつ彼について調べていくうちに、三島由紀夫という人間の鱗片は掴めてきたような気がしている。まさに仮面の男。も〜何が彼の本音で弱音で悲鳴で建前で叫びで創作で観念でほくそ笑みなのかわかんないよう。研究者も研究者である文字全部に意味を当て嵌めようと細々考察してるし。文学者研究のハードルが急に上がったような気がした。いや、あれが『本物』なわけだからそうであって然るべきなのか。教授の論文だもんね。
その論文読んでて初めて真面目に「オナニスト」って書かれてるのみつけた。
いや草。
すごいバカっぽい語感だよな、オナニスト。
でもね、どっかのある教授によると三島由紀夫はオナニストなんだと。言われて理解できてしまうのも困る。

電気ケトルで麦茶沸かしちゃった
吹きこぼれたのは私が蓋をしっかり閉めきらなかったからですか?それとも水じゃなくて麦茶を沸かしたからですか?
あったかい麦茶はとても美味しいです。

恋人ができません
今日帰る途中でまた後輩に会った。可愛かった。どうやら彼女は男に告白される予定らしい。なんだそりゃと眉間を硬らせて訝しむ気持ちは置いておいて、一体私になくて彼女が持っているものというのは何なのだろうと思わず胸に手を置いて考えざるを得なかった。マジで、何?
そりゃねぇ、あんた。私だってモテたいですよ。恋人の一人や二人欲しいのです。
なぜモテたいかというと理由はごくシンプルで、『自分の存在価値をより強めるために第三者、他人からの無条件の愛が欲しいから』なのであります。
利己的と言えば利己的ですね。
もう一つは『シンプルに人肌が恋しい』からであります。誰しも誰かに抱かれたい夜というのはあるでしょう?抱擁の腕の体温や、耳をそばだてて聴く心臓の音や、頭蓋に振動する声の甘さを感じたいでしょう?「愛されたい」という一見複雑そうな欲求は。肉体の物理的な暖かさで大体解決するんじゃないかと思います。スキンシップにはストレスを軽減する効果があるそうですね。
ところで、私はいまだにまともな『彼氏のいる日常』を過ごしたことがありません。実は、一度だけ告白されて交際までに至ったことがあるのですが、切なくもその関係が一週間と続くことなく、私の幼さゆえ、不安ゆえに別れを切り出してしまうのでした。このおたんこなす。
恋人ができないよーうーんうーんと唸る私は、ある日とんでもない事実に気がついてしまいます。
『え、交際成立ってゴールじゃないんですか!?』
好きになる→アプローチ→告白→OK→交際成立、晴れて恋人に
という流れに憧れて久しい私なのですが、実はこの先には“流れすらない”恋人になった後の期間が存在することを想像していなかったのです。思えばあの時お別れを切り出したのも、このゴールのない不安からだったかもしれません。これに気がついたきっかけは後輩の破局とカラオケのバックMV。MVは特に、出会い〜浮気・破局までの流れが一連で写っていたものに感化されました。(感化?)
一連の流れを経て恋人になった先には、“恋人期間”が存在します。これの怖いところは、「一方が別れを意識したり、それを宣告するまでずーーーーーっと続いてしまう」ところです。何が怖いかというと、『その間ずっと恋人のことが好きで、そこそこの熱を保ったまま愛し続ける』のに終わりが見えないという不明瞭さの点と『相手が他の人間に目移りするかもしれない不安』に苛まれる期間が関係の破滅のその時まで続くという精神的な負担の点からくる不安……いや言葉にすると極端な漢字がするし怖過ぎるな

もちろん私の考えすぎと誇張と完璧主義にあると思うのですが、それにしたって怖い話だし残酷な話じゃないかって身震いしちゃうな
好きな人を追いかけて、告白して……の流れがドキドキすぎて、その後二人の関係に素敵な名前がついたら、安心して熱が冷めてしまいそう(冷められてしまいそう)で恐ろしい。
杞憂なのはわかってるのに。
私に恋人をくださいできれば優しくしてください



一人暮らしのディティール
今日初めてグズマンイーゴメスのブリトーを食していたく感動した。
具材もヘルシーだし、形状も食べてて楽しいしってことで、一人暮らししたらタッパに各具材を作り置きしていつでもブリトー食べられるようにしたいなっていう妄想の旨を友人に話したらすごく珍しい目で見られました。思考の志向の違いを肌で感じましたというおはなし。
私は(今のところ)一人暮らしをする妄想をするのが大好き。
大体は食費をどう減らそうか、どう食事の質を落とそうか、みたいなそんなんばっかなのでやや生活色が濃いのである。夢がないと言われてしまえばそれまでだが。

もう深夜4時過ぎ。寝たら何時に起きるんだろう。戦々恐々の思いで眠りにつく。
おやすみなさい。

おまけ
前好きだった人に部屋汚い写真あげてるの見られて「部屋汚いね」って言われて死にたくなった。こういうことを想定して常人は写真をあげない選択を撮るのだろうけれど、上記の通り私は無意識に人に受け入れられたいと思って自らの汚点を進んで晒しあげているので予防のしようがないのである。どうすればいいんだろうね
病気!!

もはや「自分」というキャラクターを持って一つの作品として仕上げたいという思いで生きている。どっかの目線ブロガーのように生きてみたいというある意味野望が私の中に芽生えつつあるのを感じる。自分の世界に引きこもっていると見えないが、同じ学校の他人も割とおんなじこと似たようなこと考えて、むしろ相手の方がそれっぽく振る舞えている様に打ちひしがれて自分の価値を疑わなければならない状況にもなりうるのだ。めちゃこわ〜
所詮インキャなので身内の中でしか大きい口を叩けないクソネズミなのである。

ねむーーーーーーーーーーーーーーーい

夜更かしする前に、おまじないのようにビタミンCのサプリを撮る。
意味ないよ。結構肌荒れるよ。

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