見出し画像

どこに住むかは、自分のことを知らないと決められない。

数日の東京滞在を経て、福島に帰ってきた。遠くには盛りを過ぎた山藤が、杉の木に絡まりついたまま茶色く枯れ始めている。

久しぶりに旅をするのはいいなと思う。
旅、なんて仰々しい感じではなかったし、滞在中のスケジュールも詰め気味で終始足が疲れて果ててたけど、それでも帰ってきてから脳みそがすっきりしているのは間違いない。あーリフレッシュ。
今この文章は、我が家のウッドデッキに座りながら書いている。夕暮れ。晴れの日の日中の熱さを残したそよ風が、頬を撫でていく。やっぱり家がいちばん好きだなと思う。このくらいが私には合っているなと思う。

3泊4日の東京滞在は、今回も刺激あるものとなった。やっぱり「音」は多すぎるし(色んな音が混ざり合って、化け物の声みたいに聞こえたのは怖かった)、相変わらず人の何かするのに合わせなくてはならない世界ではあったけれど、それももう、通りすがりのツーリストにはいい刺激だ。気楽に受け流せる。
中でも驚いたのは、ほぼ初めて訪れた天王洲。なんとういうコンクリートジャングル。「ジャングルって、なにを大げさな~」と、歌やテレビで言うのを聞き流していたが、本物を目の前にしたときの圧倒感たるや。生き物が絶対に生存することが許されなさそうなコンクリートの塊、集合体。雨の日も濡れずに駅から移動できるし、なんなら外気にさえさらされずに移動を完結できてしまいそうな駅周辺のつくりは、私にとって異様でしかなかった。そこに住んでいる人もいるだろうから、これ以上は言わない。

ゲストハウスのリノベーション以降、建物をつくることと街をつくることの重要な関係性に気づいて、その辺りの話に興味がある。ハコ(建物)一個つくるのには、その周辺環境にも十分に考慮する必要があるからだ。私みたいな素人に言われんでも分かるわ、と思われるかもしれないが、分かっていたならどうして天王洲のような街が出来上がったのだろうか。教えて欲しい。とは言えこれは都会の開発に限ったことではない。私たちの住む須賀川市も、例に違わず良い“街づくり”とはかけ離れたハコもの政策が展開されている。政策だけのせいではない。民間の建物に関わる企業の問題でもある。というかそれを何ともなしに受け入れている私たち住民の責任でもある。ごめんなさい。

最近読んでいる建築家・内藤廣さんの著書に、「都会の人は地方で起こっていることは自分たちとは無縁だと感じている。だが彼らは、東京で使うエネルギーの多くが地方に依存していることを知らない」というようなことが書いてあった。これが書かれたのが3.11前なので、福島の原発でつくられた電力を東京で消費していた事実は、以前よりは認知されているかもしれない。だがここで大事なのは、私たちの暮らしは、“地続き”ということだ。行政的な理由から47都道府県に分かれはしているものの、私たちは日本列島(とたくさんの島々)という同じ土の上に住んでいる。建築や土木のことを考えるとこの辺りのことは意識せざるを得ないし、もっと嚙み砕いて考えると、「都会」と「地方」って区別の仕方ってなんなんだろな、とも思う。なんなんそれ、おんなじ大地やん区別すんなや、と。

私はあらゆる移動手段の中で電車が好きなのだけど、それは「景色」の移ろいが感じられるからだと思っている。昔、上野駅から福島の田舎に帰るとき乗っていた「スーパーひたち」。上野駅がまだもっと汚かったころ、薄暗くてひんやりとしたホームを出発して、東京駅、大宮駅と停車していくひたちに乗りながら、その景色の変化を眺めるのが好きだった。大宮から出た後のいかにもベッドタウン的な生活感溢れる街並みと、それを抜けた後の田んぼの風景。グラデーションで変わる車窓の風景を眺めながら、私は帰省のための心の準備をすることができた。
福島と東京以外では、関西地方やヨーロッパ、オーストラリアに暮らしたことがあるけれど、正直に言って「ザ・理想の地です」なんとこは、ひとつもなかった。もちろんその土地々々の魅力はたくさんあって、「なんて素敵なんだろう!」と感動したことも数えきれないほどある。だけどしばらく暮らしてみると、ひとときの滞在では見えてこない、その街の課題や暮らしの悩みが浮き出てくるのだ。そんな時いつも私は「どこに住むかではなく、自分がどう暮らすのかだな」と思う。

どこにどう住まうか。このことを真剣に考えようとすると、どうしても「どう生きたいか」という問いをスキップすることはできない。そして「どう生きるか」と真面目に向き合うには、“自分”についてよく知っていないと難しい。もちろん、今している仕事や家族との関係も重要なファクターだ。パートナーがいる場合には、二人の意見の兼ね合いもある。でもそれらをもまるっと含めて「どう生きたいですか」、そしてそれは「なぜですか」を一生に一度、家を建てる・買う、あるいは住む土地を決めるときくらい、考えてみるのも悪くはないかもしれない。
例えばだけど、超高層マンションの課題は「老朽化」だろう。一室買い切り、ひとつのビルに独立したオーナーが多数存在しているのだから、何を決めるのにもコンセンサスを取るのは大変そうだ。一方で建物の健康寿命なんて技術が進歩している現代といえど、おそらく40~50年が関の山。なんの手も加えず、子供の世代にまできちんと残すことは難しい。そういった建物が東京にはいまだon goingで建てられている光景を天王洲で目の当たりにして、私はひとり愕然としていた。

別に究極、個人の選択だし人生なんだから、好きにやればいいとは思う。でも、そういった「超個人主義」の考え方で暮らしは成り立っていないことだけは、覚えておきたい。その“好きで選んだ”暮らしを支えているのは、誰なのか、どこなのか。その選択の陰に悲しい犠牲は生まれていないか。その選択を未来の子供たちは喜んでくれるのか。何を大げさな、と思われるかもしれないが、全く大げさだとは思はない。だって“街”は、私たちのひとつひとつの“暮らし”の集合体に過ぎないのだから。そして私たちの暮らしの上流には、それらを供給してくれている人や環境があるのだから。福島の原発のことを忘れたとは言わせない。

内藤さんの本の中で、もう一つ感動した頁がある。3.11後の復旧に触れながら、「コンビニ」について書かれた箇所だ。都会と田舎でのコンビニエンスストアの存在感は、全くもって異なる。真逆と言ってもいい。田舎暮らしの経験のある人なら分かるかもしれないが、過疎りまくった地方のコンビニは、もはや生活インフラだ。昔の個人商店に代わって、地元のおじいちゃんおばあちゃんの憩いの場にもなっていたりもする。店員さんとの他愛ものない会話やコミュニケーションは当たり前にとられているし、なんだか場があったかい。その傾向は、震災直後において最も顕著に表れた。

アイコンとしてコンビニの建物はまことにハッキリとしたメッセージを持ってる。大仰なサインを除けば、コンビニは仮設住居や現場小屋によく似ている。すべてが否定された場所に、建築が最初に現れるとしたら、このような姿かもしれない。その場所の心理的な事情や物理的な事情を引き受ける、という気持ちはまるでない。引き受けようとすれば、とてつもなく重い。だから、まずは軽々と仮設のように、あるいは屋台のように、あるいは月面着陸の宇宙船のように、怒れる大地にそっと触れるように軟着陸する。それが正解かもしれない。百年の計はゆっくり考えればいい、まずは今日のことだ。コンビニの建物はそう言っているように見えた。

内藤廣『場のちから』より引用

真っ先に自分の住んでいる旧・岩瀬村のことを思った。一部過疎地域に認定されたこの場所で、今いちばん求められるのは「まずは今日のこと」を満たしてくれる場なんじゃないだろうかと。ゲストハウスをつくって、私たちの“暮らし”を感じてもらう、なんて言ってるけど、ここでの暮らしとは何なんだろうか。ああ恥ずかしい。目の前にあるのは、豊か過ぎる自然と、過疎で息絶え絶えの住民の暮らしだ。しかもその打撃を真っ先に受けているのは、年々増え続けている高齢者。彼らの“暮らし”を無視して、いい街なんてつくれるわけがない。まあ、こんな街にしたのも彼ら世代だから、ツケと言えばそうなのだが…。
この岩瀬に差し迫って求められている“場”とはなにか、もっと真剣に考えていきたいと思う。

やっぱり私は自分の足で赴くのが好きだ。自分の目で見て、聞いて、触れたものが何よりの情報源となる。今回の旅でもたくさんの気づきと発見があった。まとまらない文章だったが、3泊4日とこの頃の所感として記しておく。

2022年5月19日
Misato

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?