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【柳井正財団】『日本の素晴らしさを取り戻せ!?』 _2.リサーチ方法

「社会を良くする」奨学金プログラムと
海外留学生の「やりたいこと」

この記事は、全部で80ページ以上ある人類学の卒業論文を一部抜粋したものです。それぞれの章ごとに別々のnoteを書いたので、自分の気になる部分だけつまみ食いするのもオススメです!久しぶりに書く日本語が下手くそすぎて自分でも読みづらいなぁと感じているので、英語が得意な方はこちらから原文を読むことを推奨します。

<目次>

0. 要約(以下の動画からも要約が確認できます!)
1. 「社会を良くするために、何をしたい?」
2. 協働的な研究手法
3. 戦後日本の政治経済と教育史のおさらい
4. 極めて曖昧な「社会貢献」の解釈
5. 柳井財団の期待と奨学生の実状の乖離
6. 「あなただったら、どんな「社会貢献」がしたい?」
7. 柳井コミュニティへの提案 (Appendix)
8. 引用文献


2. 協働的な研究手法

リサーチ方法は単なる知識生産の手段ではなく、筆者が最終的に何を目指して研究をしているのかを暗示するものです。どの方法にも短所と長所があるため、特定の情報収集を優先させることは必然的に、最終的な研究の結論にも影響を与えます。言い換えれば、研究手法は、中身のコンテンツと同様に、あるいはそれ以上に、研究者の目的を表すことが多いのです。そこで私の論文でも、研究結果を説明する前に、public scholarshipとしての私のアプ ローチを説明したいと思います。まず初めに、科学的な「客観的真実」という考え方を根本的に否定し、私の主観(個人的な背景、学術的・専門的な訓練、情報提供者との既存の関係等)がこの調査にどのような影響を与えたかを解説します。そのため、あらゆる質的データは研究者の主観を反映しているため、そもそも発見内容が普遍的な真実ではない、という点を強調したいと思います。

私の研究手法の土台として、まず、”collaborative scholarship (協働的研究)” という概念について説明します。次に、柳井財団コミュニティ、そして日本における留学コミュニティにおいて、私自身の立場を示します。最後に、本研究にあたりデータを取得した4つの情報源(①柳井生としての私自身の経験、②柳井正の著書、③奨学金の公式ウェブサイト、④24人の奨学生と3人の財団職員とのインタビュー)をそれぞれ解説します。 

2-1.方法論としてのパブリック人類学

Public anthropology (公共人類学)は、世の中がどのように機能しているのか、そしてその現状をどのように改善できるかを、非アカデミック層の読者に伝えようとする学問カテゴリーに属しています。”Abolitionist anthropology (反奴隷主義的人類学)”を提唱するSavnnah Shangeは、公共人類学を「高邁でありながら、現在の出来事を一般の人にも分かりやすく伝えるもの」(2019: 10) と表現しています。同様の系譜で、彼女は応用人類学と活動家人類学を紹介しました:前者は通常、依頼主のクライアントのために具体的な解決策を提案し、後者は特定の社会運動のビジョンを支援することを目的としています。私の研究も、柳井奨学金制度の組織的、個人的な実践について、財団職員や奨学生を含む、日本の留学コミュニティ全体に伝えることを目的としています。これまでの他のスカラーとの対話を通じて、私は多くの柳井生が現状のプログラムに対してある種の不満を抱いていることを聞いてきました。しかし、この論文を通じて、私が何か有意義な解決策を提供できるとは思っていません。その代わりに、そのような解決策の前提として、問題の構造的な原因は何か、そして、個々の奨学生が自らの不満を軽減するために各自ができることは何か、を考えたいと思います。「社会貢献」について柳井コミュニティがどのように考えているかを理解するために、より具体的でかつニュアンスを含む問いかけができれば嬉しいです。

従って、この研究の一番のオーディエンスは、財団が提示する曖昧な「社会貢献」について戸惑っている、現在および将来の柳井奨学生です。さらに、奨学生の実状を財団事務局や理事会に伝え、将来より奨学生のニーズに合った制度作りに貢献することを望んでいます。また、柳井のコミュニティを越えて、日本人の海外大留学コミュニティ全体へ本論文を届けることも目指しています。近年、アメリカ大学への留学の人気が急上昇していますが、柳井奨学金制度は日本におけるより全国的なトレンドのほんの一部に過ぎません。このように、研究者ではない一般的な読者を念頭に置きつつ、日本の高校3年生に理解できるような文章を書くように心がけました。(ただ、所々論文の引用箇所が難しい内容のままになってしまっています。ごめんなさい...。)一般読者でも読みやすくするために、学術的人類学では説明されないことが多い語彙(例えば、「エスノグラフィー」、「ポジショナリティー」、「新自由主義」など)については、簡単な説明をつけるか、代替表現を用いました。さらに、聞きなれない外国語や学術的な概念については、鉤括弧をつけて、一般的な表現と区別できるようにした(例:public scholarship、thin description)。この研究は、柳井奨学金プログラムという小さなコミュニティに焦点を当てていますが、その内容は、日本の留学業界に関わるすべての人に関連すると考えています。実際に、柳井奨学金を使わずに海外の大学に通っている私の友人たちも、インタビューに応えてくれた柳井生の話に共感していました。また、戦後日本の政治経済がいかにして近年の留学ブームと繋がっているのかを考察することで、柳井財団の関係者でなくても、現在の日本の教育トレンドの理解に役立つはずです。

2-2. 柳井スカラーとしての私の立場

私自身は幸運なことに、柳井の奨学金の二期生として選んでいただいたため、このプロジェクトの研究者でありながら、研究対象でもある、という複雑な立場です。自分が所属するコミュニティを研究するための手法は、人類学の分野ではある程度の歴史があります。しかし、19世紀に文化人類学が成立した頃には、ほとんどの研究者が上流中産階級の白人男性だったため、コミュニティの部外者として遠隔地の先住民族を調査することが、植民地支配と密接に関係していました (Davis 2018: 48)。その過去を受けて、近年の人類学者が採用するアプローチでは、研究者はコミュニティ内部の者として自身の立場を批判的に振り返り、研究に協力してくれたコミュニティへの説明責任を果たそうとするのが特徴です。私自身もこの研究を進める上で、インタビューに答えてくれた奨学生のフィードバックを取り入れながら、執筆を進めてきました。

またこの研究における私の主観を考察するために、柳井や日本の留学コミュニティにおいて、私がどのようなバックグラウンドを持っているかを明確にすることも必要です。実際に、インタビューした柳井スカラーの多くが、家庭環境と大学までに受けてきた教育が、現在の彼らの意見に大きく影響を及ぼしていると語りました。私の教育的バックグラウンドは他の日本人留学生と若干異なることもあり、私がこの研究テーマとどう関係しているかを理解する上で、非常に重要な観点です。

まずは私の家庭環境が、「社会貢献」というテーマにどう影響を及ぼしているかを説明します。私の両親は二人とも東京都の公立中学教師で、経済界や権力者に対する(根拠のない)不信感を聞きながら育ちました。また、私が家庭内で目にする左翼系の新聞は、弱い立場の人々を助けることで不平等と戦うべきだと主張するものが多かったです。私はそのような新聞を毎日読みながら、他の政治的意見には一切触れずに育ちました。特に母は、経済・学力的な格差に関わらず全ての子どもを教えたいという想いから、公立教員になったことを私に教えてくれたり、2011年の東日本大震災直後には福島県で瓦礫撤去のボランティアに参加したりしていました。そんな母の姿を見ているうちに、私自身の「社会貢献」に対する考えが形成されたのかもしれません。このようにして、一見偏ったイデオロギーに触れてきた結果、この卒業論文を書き始めるまで私は、弱者を助けることが「社会貢献」であるという自分の価値観を疑うことはありませんでした。

また、東京郊外で公教育を受けて育った私の周りには、海外の大学に進学するという選択肢をとる人は全くいませんでした。中学以降は学業よりもスポーツを優先するため、都内の私立高校に進学しました。ここの学校は、一般受験を避けるために卒業生の70%近くが付属の大学に内部進学するような環境で、私はアメリカの4年制大学に出願した最初の生徒でした。保育園から高校までの教育期間中、海外の大学どころか、東京大学への進学を夢見る人たちにも出会ったことがありませんでした。だから私にとって海外進学は、あまりにも実現不可能で手が届かないように見えていました。実際、高校3年生6月頃までは、海外大学に出願しないことを考えたほどでした。

こういったバックグラウンドの私が、柳井コミュニティに対して持っている意見や思い込みを考慮すると、自分が研究対象者(柳井スカラーの一人)として発言しているのか、それとも研究者として発言しているのかを見極めることが非常に重要です。そこで、柳井財団に対する私の先入観が研究結果に影響を与えすぎないようにするために、私は二つの戦略をとりました。まず第一に、インタビュー対象者には多様な奨学生を選びました。これまでの会話から、私と親しい友人の何人かは、インタビューの質問にどう答えるか大体の予想はついていました。そのため、この研究テーマについて私とほとんど議論したことがないスカラーにインタビューの協力を依頼しました。そして第二に、私の価値観と相反する意見を聞いた場合でも、反論したくなる気持ちを抑え、相手の意見の本質を引き出すような質問を繰り返しました。このように戦略的に臨んだ一方で、私のインタビューは堅苦しい聞き取り調査というよりは、カジュアルな会話に近い設計を目指しました。そのため、一方的な質問だけでなく、その話題について私自身の意見や経験も聞かれた場合は話すことがありました。 

同様に、私の立場が研究対象者と研究者の両方であるが故に、この論文の中で使う言葉にも注意が必要です。コミュニティ内の日常的なやりとりを記録するためには、インタビューからの直接の引用を使用したため、さまざまな表現が採用されています。しかし、分析のための言葉としては、特定の言葉だけを意図的に使用しました。そのような複雑な言葉の例が、「社会貢献」という概念です。財団事務局や奨学生は、財団のミッション実現のために必要な行動や貢献対象を特定せずに、抽象的な言葉を使うことが頻繁にあります。例えば、「日本に貢献する」、「社会を良くする」、「世界を変える」などがその例です。それぞれの場面で各フレーズが指す意味が不明確であるため、分析用の表現として「社会貢献」という単語のみを使います。

2-3. 参与観察

柳井コミュニティにおける私自身の経験が本研究の中心的な手法です。“observant participation” は、個人の経験談(ナラティブ)を基にした研究 (Tedlock 1991) や組織環境における質的研究 (Moeran 2009) に特徴的なアプローチです。黒人の教育人類学者達 (Gordon 2007; Shange 20199に習い、私も伝統的な参与観察(participant observation)の方法を改め、「観察」よりも柳井スカラーとして「参加」を重視しました。

2018年に初めて柳井コミュニティに参加したとき、私は自分自身が完全に場違いな存在だと感じました。国内外の名門高校を卒業した柳井奨学生の大半に比べ、私には同レベルの学歴も課外活動の実績もなかったからです。また、1年次のオリエンテーションでは、家族が1人1枚ずつゴールドカードを持っている他の奨学生から、ゴールドカードの存在そのものを学び、衝撃を受けたことを覚えています。このように、私と他のスカラーとのバックグラウンドの違いによって、私は柳井のコミュニティにおける独自の文化に気がつくことが頻繁にありました。自分の常識と他の柳井生との微妙なズレのおかげで、「エリート」という属性に興味を持ちました。そしてオリエンテーション以降も私は、柳井コミュニティと積極的に関わり、オンライン・オフラインでの交流会の運営、受験生や保護者向けの説明会などに携わってきました。特に、定期的にSNSを使って数人の奨学生と連絡を取り合い、年に数回はZoomで話したり、直接会ったりもしました。しかし、私たちのコミュニケーションの大部分はオンラインで行われるため、スカラー同士の情報交換は常に断片的でした。

柳井コミュニティにおけるデジタルコミュニケーションの性質は、ペンシルバニア大学のジョン・ジャクソン (2013) が提唱した “thin description” と重なります。これは人類学者にとって、社会における全ての側面を完全に知ることは根本的に不可能であり、それを目指そうとすること自体が倫理的ではない、という考え方を指しています。ジャクソンは、今日のデジタル時代において、私たちは様々な視点、スケール、文脈から互いの日常生活を「スライス」していると論じます (Jackson 2013: 16)。言い換えれば、thin description は「すべてを知ろうとする [研究者の] 意志と、すべてを開示しようとはしない [情報提供者の]...意志を切り離し、知らないことを良しとする行為」だと表しています (Jackson 2013: 153)。したがって、私は柳井コミュニティについてすべてを知ることは本質的に不可能であると考えています、。またインタビュー協力者がすべてを共有しないとしても、それは方法論的な制限ではなく、分析のための重要なフレームワークとして受け入れています。 

2-4. 柳井正の著書

柳井正奨学金は、その名の通り柳井正の個人資産のみで運営されています。そのため、彼の人生経験や個人的な思想が奨学金にどのような影響を与えたかを明らかにすることは重要です。しかし、私が彼に直接インタビューすることは不可能であると考えたので、その代わりに彼の自伝を参考にしました。彼の9冊の著書 (Wikipedia 2022) の中から、『現実を視よ』(2012) と『この国を出よ』(2013) を選んだのは、3つの理由があります。第一に、私自身が柳井財団に応募しようとしていた時、知り合いの先輩から、「これらの本を読んでおくと、財団がどのような応募者を求めているのかがよくわかるよ」とアドバイスを受けたからです。2つ目は、財団が作った最初のプロモーションビデオで、私が「柳井さんの著書から日本社会に貢献するインスピレーションを受けた」と語るパートが、とても長い尺で採用されていたことです。最後に、柳井氏が『現実を視よ』『この国を出よ』を出版したのは、彼が奨学金を立ち上げる数年前のことだったため、新しい財団の進展に重要な役割を果たした彼の価値観や考え方を読み解けるのではないかと期待したためです。

2-5. 柳井財団の公式サイト

柳井財団が一般社会に何を約束しているのかを理解するために、私は奨学金サイトに記される文章とその他の視覚的コミュニケーションを調査しました。2021年末頃、柳井財団は公式ウェブサイトを全く新しいフォーマットと内容で更新しましたが、本研究では、読者が既存のウェブサイトを参照できるように、新しいものだけに焦点を当てています。

Figure 1. 奨学金のトップページ

2-6. インタビュー

柳井正の著書や奨学金サイト、そして私自身の体験によって集めたデータをさらに深掘りするために、私は24人の柳井奨学生と3人の事務局職員にZoomでインタビューを行いました。できるだけ多様な意見を知りたいと思い、性別、学年、大学のタイプ、高校のタイプ、カリキュラムや課外活動の興味、キャリア展望などの軸から、幅広い層の奨学生に声をかけました(表1参照)。当初は、上級生の方が大学進学や就職に関する経験が豊富であると考え、21年卒、22年卒、ギャップイヤーを23年卒生、15人の奨学生のみにインタビューを行う予定でした。しかしインタビューの中で事務局職員の一人から、「第3期生から入学基準が変更されたため、1期生と2期生はそれ以降の奨学生と比べて、もっと財団のミッションに共感してる人が多いと思う」と伝えられました。その事務局職員によると、新しい基準は応募者が「どれだけ社会を良くできそうかどうか」を、過去の経歴よりも重視しているそうです。また、その会話の中で、私は「社会貢献」に直結するようなやりたいことを追求している数名の卒業生に声をかけるよう勧められました。そこで、3期生以降の下級生や推薦された卒業生など、追加で8人のインタビューを行いました。

今回インタビューをした学生の約半分は、私の親しい友人や以前からの知人で、もう半分はほとんど面識のないスカラーでした。インタビューは大抵60分を予定していましたが、中には2〜3時間にわたるものもありました。インタビュー中は、10〜15個のオープンエンドな質問をしました。また、インタビュー協力者の匿名性を守るために、本論文中ではインタビューの最後に各自が選んだ偽名を使っています。さらに、柳井コミュニティは極めて少人数であるため、本人の身元が明らかになる可能性のあるコメントについては、論文の結論に影響しない範囲内で文脈を一部を事実とは異なる形で書きました。さらに、この論文の原稿を書き上げた後には、インタビューに答えてくれた奨学生達にフィードバックを求め、彼らの匿名性が完全に守られているか、彼らが伝えたニュアンスを正確に捉えているかどうかを確認しました。

表1



次は、3.「戦後日本の政治経済と教育史のおさらい」(歴史パート)です!


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