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【柳井正財団】『日本の素晴らしさを取り戻せ!?』 _7. 提案

「社会を良くする」奨学金プログラムと
海外留学生の「やりたいこと」

この記事は、全部で80ページ以上ある人類学の卒業論文を一部抜粋したものです。それぞれの章ごとに別々のnoteを書いたので、自分の気になる部分だけつまみ食いするのもオススメです!久しぶりに書く日本語が下手くそすぎて自分でも読みづらいなぁと感じているので、英語が得意な方はこちらから原文を読むことを推奨します。

柳井スカラーのみんな、財団事務局/理事の皆様、
そして日本の留学関係者の皆様へ、(他奨学金財団理事、留学カウンセラー、海外大進学予定者・在学生・卒業生などなど)届きますように。

<目次>

0. 要約(以下の動画からも要約が確認できます!)
1. 「社会を良くするために、何をしたい?」
2. 協働的な研究手法
3. 戦後日本の政治経済と教育史のおさらい
4. 極めて曖昧な「社会貢献」の解釈
5. 柳井財団の期待と奨学生の実状の乖離
6. 「あなただったら、どんな「社会貢献」がしたい?」
7. 柳井コミュニティへの提案 (Appendix)
8. 引用文献


柳井コミュニティへの提案 (アペンディックス)

人類学者として、私が受けた教育は一般化された解決策を提案する訓練ではなく、特定のコミュニティで日常的に起きる些細な出来事を、ただただ描写する訓練を受けてきました。言い換えれば、文句を言いっ放しで、自分は解決のために動かないような人類学者は非常に多いと思います。しかし彼らは、読者に対して自分たちの社会生活について新しい知見を与えたり、彼らの批判的洞察力を育むためのスキルは持っているはずです。むしろ「できるーできない」の問題ではなく、倫理的にそうすべきであるとさえ、私は考えています。私がこの卒業論文に取り組んだのも、柳井財団や奨学生が自分達なりの「社会貢献」を実現するための支援をしたいという思いからでした。そこで、その目的を達成するために、コミュニティ全体として取りうる五つの提案をまとめました。一つ目は、誠実な自己内省をすること。二つ目は「社会貢献」の表現方法を変えること。三つ目は、選考プロセスにおける隠れた障害を取り除くこと。四つ目は、このプログラムの長期的な説明責任を果たせる仕組みを作ること。そして最後に五つ目は、各奨学生がまずは自分達の柳井コミュニティに貢献することです。これらの提案は、一見すると当たり前に聞こえるかもしれません。しかし私は、柳井コミュニティ全体(事務局もスカラーも両方)としての取り組みは、まだまだ不十分だと考えています。ここでの私の目的は、受動的な読者のために具体的なToDoリストを提供することではありません。むしろ、柳井コミュニティの各メンバーが、自分自身の影響力が及ぶ範囲内で、何を変えるべきかをそれぞれの文脈の中で考え直すきっかけになれば本望です。

事務局、奨学生両方への提案 

1.  誠実な自己内省をすること

“Reflexivity”という人類学の概念を端的に説明すると、「自分と他者との関係性を自ら批判的に内省すること」です (Zurn & Shankar 2020a)。言い換えれば、reflexivity を実践できる人は、自分のやりたいことはもちろん、それ以前の日々の行動を通じて、世の中の問題に自分自身がどう関与しているのか、是正のためにどれだけ働きかけているのか、を自問自答できる人のことです。私たちが無意識に持つ偏見のほとんどは、きちんと認識されないまま放置されるため、私たちの利他的な意図も時には誰かを傷つけるような結果を招いてしまうことがしばしばあります。しかし、誠実な自己内省ができれば、自分を見つめ直し、仕事でもプライベートでも、自分の欠点を認めることができるはずです。例えば、第五章で説明したように、私を含むほとんどの柳井スカラーは、頭ではいくら人助けをしたいと願っていても、結局は最低限の経済力を犠牲にしてまで「社会貢献」をしようとはしません。(例えば、私も生活支援金のすべてを慈善事業に寄付しているわけではありません)

このように、私たちは誰しもが問題のある社会構造の中に、もう抜け出せないほどに深く入り込んでしまっているのです。だからこそ、自分自身が関与する問題を差し置いて、他人や他組織を批評することなどできません。誠実な自己内省に取り組むには、自分のアイデンティティの中で、何が自分にとって都合の良いメリットをもたらしているのか、逆に社会的なデメリットをもたらす要素は何かを、認識することが最初のステップです。そして、自分の生活の中で実践可能な限り、社会にとって有害な習慣を少しずつ変えていくことを提案します。私が人類学の教授が教えてくれたように、「もし自分が解決策の一部になりたいと願うなら、まずは自分がその問題にどう加担しているかを理解しなければならない」のだと思います。

2.  「社会貢献」の表現方法を変えること

私のインタビューの中で、事務局と奨学生の間でほぼ全員の意見が一致していたことが一つだけありました。それは、「社会貢献」という概念が、財団のホームページの宣伝文句として紹介されているほど大げさである必要はない、ということです。インタビュー中に複数のスカラーが、「社会貢献」という壮大なメッセージを聞くと、何をやってもそのレベルの期待には応えられないので、何もやる気が起きなくなるのだと答えてくれました。一方で、「利他的やりたいこと」を実践して成功した学生の中でも、「別に社会のために大義を掲げて人を助けているのではなく、ただ自分の周囲の人や、個人的に関心のある人たちを支えたいだけなんだ」と主張する人達もいました。彼らのように、まずは自分の身の回りで影響できる範囲から行動をとっていくような認識に変えていく方が、生産的な議論ができるのかもしれません。日常的なコミュニケーション方法を変えることで、私たちの概念的な理解が変わり、より適切な問題解決をしやすくなるものです。だからこそ、私たちが「社会貢献」という概念を話す際にも、革新的で大きな変化というビジョンを掲げるよりも、もっと地に足がついた状態で実行可能、かつ自己批判的なアプローチを採用するべきなのではないでしょうか。

財団への提案

3.   選考プロセスにおける隠れた障害を取り除くこと

私が財団のミッションと奨学生の実体験の間に乖離があることを指摘すると、数名の事務局職員は、選考の段階から財団の方針に共感している人材を見つけられるような選抜方法に変える必要があると話しました。正直いうと、「誰かのために、いつか、何かしらをする」という曖昧な「社会貢献」に共感する学生を採用する効果的な方法なんて、私にはよくわかりません。しかし、何人かの奨学生との対話を通じて、現在の選考審査における差別的な仕組みを二つ発見しました。現時点で私たちが見つけたもの以外にも、はるかに多くの障害があるとは思いますが、まずはこの二つが今後の議論の出発点となれば幸いです。

まず初めに、選考担当者の学問的・職業的バックグラウンドが画一的であることが挙げられます。彼らの多様性の欠如が問題なのは、それぞれの選考官の持っている事前知識や先入観が、志願者のやりたいことに対する評価に影響を与えかねないためです。例えば、医学や国際関係など、その分野がどう社会に貢献できるのかわかりやすい分野もあれば、ジェンダー研究や演劇教育などの新しい分野に対しては、そもそも学問としての必要性から疑われてしまう可能性もあります。また、選考を手伝っているHLABスタッフの多くは、有名外資企業などのいわゆる「人気業界」で働いている、あるいは過去に働いたことがある人が多いことも、インタビューした奨学生が問題視していました。柳井財団自体は多様な「やりたいこと」を受け入れるスタンスを示しているのだからこそ、選考官は自分の主観による影響をいかに少なくするかを検討する必要があるのではないでしょうか。

もうひとつの障害は、「日本人としてのアイデンティティ」の定義が極端に狭いという問題です。柳井財団の「社会貢献」の中に、各個人の多様性を受け入れ、生かし合うという「ダイバーシティー&インクルージョン」の価値観が含まれると仮定すると、国籍や人種による不公平な差別は、財団のミッションと根本的に矛盾するものだと思います。実際インタビュー中には「なぜ応募資格に日本国籍が必要なのか」という質問を事務局にも奨学生にもしてみました。すると、「日本人が応募できない海外の奨学金に外国人は応募できるため、国籍の対象範囲を広げると日本人の応募者に不公平になる」という説明を事務局からも学生からも聞きました。そのような現実があるのは確かですが、では日本国籍を持っていなくても、日本以外の国で暮らしたことのない移民の学生など、通常の日本人よりもさらに選択肢の少ない人たちにとって不公平にならないのでしょうか。もし柳井財団が本当に「日本社会」のことを考えているのであれば、日本語が完璧に話せる人や、高校までの全ての教育を日本で受けた人を、日本のパスポートを持っていないという理由だけで差別して良いのでしょうか。確かに、何をもって「日本人」と認められるのか、私自身も真っ当な回答は持っていません。しかし少なくとも、現在の応募資格では、私と同じくらい、もしくはそれ以上に日本人としてのアイデンティティを持っている優秀な学生が柳井財団に応募できずにいることは、紛れもない事実です。これこそが、柳井財団が是正したいと考える「社会課題」の一例でないのならば、逆になにが社会課題としてカウントされるのか、私には分かりません。

4.   プログラムの長期的な説明責任を果たす仕組みを作ること

財団が柳井スカラーを長期投資として扱っていることの問題点に触れましたが、実際、意味のある社会変革が実を結ぶまでには、どんな取り組みでも数年から数十年かかるのは本当だと思います。しかし、だからといって、財団がこの奨学金の成果を問われなくて良いというわけではないと思います。事務局職員は、財団が期待しているのは今後10年、20年の間に出てくる成果だと強調していましたが、そもそも卒業した奨学生の活動を追うための取り組みが機能していないため、彼らの長期的な成果を知る術がないのです。もちろん、財団がすべての柳井奨学生を生涯にわたって監視すべきだとは思いませんし、できるとも思いません。しかし個人的には、年間12億円を超える柳井さんの寄付金の使い道として、この奨学金制度が最善の選択肢であることを証明する、最低限の説明責任があると考えています(the Yanai Foundation n.d.).仮に、柳井奨学金を長期投資として扱うのであれば、そのポートフォリオのパフォーマンスを記録、評価するための効果的な方法を構築する必要があるのではないでしょうか。

柳井スカラーへの提案

5.   まずは自分達の柳井コミュニティに貢献すること

最後になりましたが、私がインタビューした奨学生から最も多く寄せられた改革案は、柳井コミュニティへの参加を増やすことでした。みんな、他の学者と交流したいという気持ちがあるにもかかわらず、それぞれのプロフィール情報が存在しないため、いきなり話しかけるのは気まずいという意見もありました。何人かのスカラーは、財団がプライバシーに強い懸念を抱いていることが、スカラーのダイレクトリー(プロフィール一覧)を作る上での、大きな障害になっていると吐露しました。確かにダイレクトリーは便利ですが、それがなくても他の奨学生と親しくなる方法はたくさんあります。例えば、隔週で行われるファミリアのチェックインにきちんと毎回参加したり、説明会や新入生オリエンテーションを手伝ったり、お互いの学校の近くに旅行した際に個別に会ったりすることができます。私自身も、この卒業論文のためにインタビューした24人の奨学生との距離が縮まり、彼らの多くの知恵を教えてもらいました。

多くの奨学生がインタビューで答えたように、柳井コミュニティに貢献することは、最も身近で実践しやすい「社会貢献」なのかもしれません。もちろん、私の調査だけでは、このコミュニティをより良くするための全ての方法を網羅することはできません。だからこそ、この文章を通じて、財団生の皆さんの協力をお願いしているのです。例えば、わざわざ事務局の許可を得なくても、自分たちで交流イベントやキャリアワークショップなどを開催することはできます。また、夏には独自のオリエンテーションを財団非公式で実施し、「社会貢献」の多様な取り組みを労いあうような機会を作ってみても良いかもしれません。もし、柳井コミュニティほど小さく、均質で、恵まれている組織を改善することができなければ(あるいはしようともしなければ)、いったいどうやって、それ以外の社会に貢献することができるでしょうか。私たちが大学生、または新社会人として、社会にもたらすことができる変化は非常に小さいです。それでも柳井のコミュニティは、私が知る限り、最も才能があり影響力のある集団の一つです。だからこそ、みんなと一緒に力を合わせれば、このコミュニティを通じて「社会貢献」することができるのではないかと期待しています。


<おわりに>

ここまで全て読んでいただきありがとうございます!皆さんが過去に読んだnote記事の中でも最長記録に挑戦できるのではないかと思うくらいですが、ここまで走り切った皆さんに心からの感謝申し上げます。

この卒論は、私の大学生活を支援してくださった柳井正財団、そしてインタビューに協力してくださった事務局職員の方々や奨学生がいなければ、絶対に実現させることはできませんでした。お忙しい中、貴重な時間をインタビューのために使っていただき本当にありがとうございます。

また、私の海外進学を支援してくださった活育教育財団の方々、休学中に「自律して働く」とはどういうことかを教えてくださったVARIETASの方々にも改めて、感謝申し上げます。



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