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【柳井正財団】『日本の素晴らしさを取り戻せ!?』 _5.データ分析②

「社会を良くする」奨学金プログラムと
海外留学生の「やりたいこと」

<目次>

0. 要約(以下の動画からも要約が確認できます!)
1. 「社会を良くするために、何をしたい?」
2. 協働的な研究手法
3. 戦後日本の政治経済と教育史のおさらい
4. 極めて曖昧な「社会貢献」の解釈
5. 柳井財団の期待と奨学生の実状の乖離
6. 「あなただったら、どんな「社会貢献」がしたい?」
7. 柳井コミュニティへの提案 (Appendix)
8. 引用文献


5-1. 「利他的やりたいこと」の発見、追求における苦労

「利他的やりたいこと」を実践するために、事務局職員からのアドバイスが役立つ学生がいるのは事実です。しかしその一方で、日米の教育制度、家族・仲間からのプレッシャー、就職活動、ビザ取得など、容易には克服できない社会の構造的要因によって、「利他的やりたいこと」を実践することができない奨学生も決して少なくありません。本研究のためのインタビューを通して私は、財団事務局や柳井自身の「この奨学金プログラムを通して社会をよくしたい」という純粋な気持ちを目の当たりにしました。彼らの良心そのものを疑う気持ちは全くありません。しかし、人類学の分野では、心理的な意図ではなく、物理的な行動とその影響に焦点を当てて研究を行います (Shankar 2020b)。したがって、私も財団の善意そのものは注目せず、奨学生の実際の体験とその影響を調べることに注力します。

このセクションでは、柳井スカラーが「利他的やりたいこと」を実践する上でどのような苦労を経験しているのか、そしてその背景となる社会構造は何かを考察します。インタビューした各学生の進路選択に着目し、「利他的やりたいこと」が生まれるプロセスを4つのステップに分解してみました。まず1つ目は、利己利他関係なく、やりたいことそのものの発見。次に、見つかったやりたいことの追求。第三に「社会貢献」へのコミットメント。そして最後に、「利他的やりたいこと」を仕事にすることです。上記のステップそれぞれに存在する独特な課題を、柳井スカラーの体験談から読み解くため、4人の奨学生(ありさ、まゆこ、あお、デヴィン)に着目します。ありさとまゆこの二人は、そもそも利己的な動機であっても、やりたいことを見出し、追求することが難しいと強調していました。一方、あおとデヴィンは、金銭的利益の最大化や社会的地位の維持といった資本主義的価値観のもとで、「利他的やりたいこと」を追求する際のジレンマを話しました。再掲ですが、彼らのバックグラウンドや大学での経験を紹介する一方で、個人を特定できる可能性のある情報(例:学年、学校の種類、学問、就職先など)は意図的に変更したため、実際のプロフィールとは異なっています。

5-2. やりたいことも、「社会貢献」への意欲もない

ありさ: 国内私立高校→ リベラルアーツカレッジ卒
→ アメリカの投資銀行就職

「最初に伝えたいんだけど、このインタビューに自分は向いていないかも」インタビューを始めた途端に、ありさが放った第一声でした。そして彼女は「他の財団生みたいに、社会を良くしたいとか考えて生きてきたつもりはないんだよね」と説明しました。それに対して私は、この研究があらゆる「社会貢献」の考え方(「考えていない」という回答も含めて)を対象にしていることを告げた後、彼女の奨学金応募のプロセスについて質問しました。すると、彼女は間髪入れずにこう答えてくれました:

私は大学のアプリーケーションでも社会貢献したいですって言いつつも、奨学金をもらうために、嘘じゃないけど盛った話をした。その時は貧困問題に興味があるって言って、社会起業をしたいと言った。ただその当時でも、本気でやりたいとは思っていなかった。本当は会社のCEOになって、綺麗なオフィスでバリバリ働いていたいと思っていた。でも、財団も明確に目的を持った人を応援したいというし、高校でもそうだったから、そういう人が成功、appreciateされると思っていた。でも実際、自分のこれまでの選択は全部、自分のキャリアを考えてやってきた。

彼女が最初から「社会貢献」に全く関心がなかったと堂々と認める姿は、この奨学金の表向きのミッションと照らし合わせると、驚くべきことなのかもしれません。しかし、「社会貢献」に対して同じような感想を持っているスカラーは、彼女以外にも決して少なくないことが次第に明らかになりました。

三期生以降の選考は、それまでに比べて「社会貢献をしたい意欲」に重きを置いていると説明されていたものの、実際三期生以降でもありさと同じように、利他的な関心はほとんどないことを堂々と語るが続出しました。ありさと同期の別の奨学生は、懇親会で起きた何気ない会話についてこう振り返っていました:「みんなとカジュアルに話す場では、『グローバルリーダー笑笑』って感じではあったし、心の中では『そんなの意味ねえよ』って思ってた。だから財団のメッセージと学生たちが考えていることは違うんだなって分かってた。」彼の体験談からも、奨学生の全員ではないにせよ一定数の学生が、財団が啓蒙しているような壮大な目標には、本当は関心がないことを公然と認めていることがわかります。また、そのような学生達の考え方を事務局の佐藤さんに伝えたところ、彼は寛大にもこう答えました:「一度はステータスとして裕福にならないと、その先に幸せがないことにも気が付けないんじゃないかな。ただ、財団がそれを外的に教えることはできないでしょ。」このように、実際の学生の様子は財団の意図するところから離れてしまっているにもかかわらず、事務局側は依然としてその現状に介入する姿勢を見せなかったのです。

自分の「社会貢献」意欲の低さに言及しながらも、ありさは財団職員からも、社会的な意義があるかどうかはさておき、まずはやりたいことを追求するよう勧められたことを振り返りました。しかしその過程で彼女は、自分のやりたいことが全く見つけられないことを打ち明けてくれました。自分が何をしたいのかがわからないから、社会一般的な価値観で良しとされていることを追いかけてきたのだと。自分のやりたいことが見つからない原因はなんだと思うかと尋ねると、彼女は幼少期に家族や学校から受けた期待について言及しました:

父親が優秀で人が「すいごいね」というようなキャリアを歩んできているから、父母妹以外の家族メンバーから「お父さん京大だから東大いく?』と言われ続けてきた。だから親戚からは、わかりやすい功績を残すことが求められてたんだよね。 … 単純に、私の小中高の場合で言うと、みんなそのまま付属の大学に進んで、そのまま大手の商社に勤めて、少し働いてから主婦になる人が多い。だから、そのキャリアが基礎ですよっていうマインドセットを植え付けられた。

彼女が育った環境では、学問や職業の選択肢は非常に限られていたため、彼女がにわかに抱いていた芸術への興味を探求することは、もってのほかだったと彼女は語りました。また、社会的な期待から逃れることが他の奨学生を羨む気持ちも共有してくれました。ありさは他者の評価にこだわることに自己嫌悪を感じつつも、外的承認を過度に気にする以外には、今の自分に努力して何かを成し遂げる動機がないことも認めていました。つまり他者との競争、特に、優秀な柳井スカラーとの競争が、ありさにとってはより大きな夢を抱くためのポジティブな刺激となっているのだそうです。

ありさが自認するように、やりたいことが見つからないことは、シャンカー (2020b) が “neoliberal curiosity (新自由主義的好奇心)” と呼ぶもののネガティブな影響とも言えるかもしれません。彼は、新自由主義的好奇心を「資本主義社会の中で定義された成功につながるような行動のみが奨励される好奇心の形」と定義しています。彼によると、新自由主義的好奇心は、学生が自分のやりたいこと(=内発的動機)とやるべきこと(=外発的動機)の間の乖離を大きくすることにつながると主張しています。実際、ありさのように多くの柳井奨学生が、奨学金をもらうためにやむを得ず「利他的やりたいこと」を強引にでも言語化したことを告白しています。これは、彼らの本当に自分のやりたいことと、奨学金を得るために「やりたいと言うべきこと」の間に乖離があることを示しています。

またシャンカーは、学業、課外活動、就職先など、それぞれの領域で特定の選択肢に高い「感情的価値」が与えられていることに着目しました。そこから、たとえ教育機関が学生の意思決定に対して中立的であり、学生がやりたいことをなんでも自由に選択できると伝えたとしても、社会の中で一般化されている価値によって、学生の自発的な好奇心の追求が阻害されることを描写しています。同様に、ほぼすべての活動を「社会貢献」とみなす財団の中立的な態度は、社会的な地位や名声、物質的な豊かさを追求するという社会的な価値観の再生産に加担してしまっているのです。さらに、シャンカーの研究は、新自由主義的好奇心が、「間違ったことをすることへの極度の恐れ」生み出し、学生達は「やりたいこと」よりも「やるべきこと」を必死に求めるあまり、何にも挑戦できなくなってしまうと説明しています。この主張は、ありさのようにまだ自分のやりたいことを見つけられていない学生だけでなく、やりたいことはあっても、それがあまり主流な選択肢ではないために葛藤する、まゆこのような奨学生にも当てはまります。

5-3. 過労による体調不良 & インポスター症候群

まゆこ: 海外のボーディングスクール →
アイビーリーグ校4年生 → 卒業後の進路未定

まゆこは大学2年生から1年間の休学を経て、専攻をコンピュータサイエンスから文学へ変更することを決意しました。インタビューの中で彼女は、ギャップイヤー前の自分を「社会的な価値観によって定義された明確な目標を達成することに執着していた」と表現しています。その原因について、ありさと同様に彼女も、自分の家庭環境と中等教育に起因するものだと考えています:

小さい時から自分が頑張っている時は、周りの人から褒めてもらえる環境だった。学校で100点取る、褒められる。良い中学校に入る、褒められる。目標を叶えて、褒められる、頑張る、というポジティブなループがある。だけど、そのループに疲れたんだよね。

まゆこは、日本トップクラスの有名中学校を卒業し、世界トップクラスの大学に入学したにもかかわらず、過労の原動となるフィードバックループが彼女の健康を害し、長期間の寝たきりを余儀なくされることになったのです。さらに彼女はこう説明しました: 「やっと大学に入って自由になれたと思ったけど、1年生の時は5クラスとって、良い成績取るために毎日ずっと勉強ばかりして、『これいつ終わるんだろう』と思ったらクラッシュしてしまった。」彼女が「クラッシュ」と表現するバーンアウトの現象は、シャンカー (2020b) が説明した新自由主義的好奇心が、学生に自分自身の幸福よりも他者評価を重視させることと共鳴する部分があります。しかし、病気のために人生のペースを落とさざるを得なくなった彼女は、休養中にみたSNSやボランティア活動を通じて、思いがけず「成功」についての新しい価値観に出会い、「お金をたくさん稼ぐ必要も、社会的な幸福の定義を求める必要もない」ことに気づいたそうです。

まゆこは休学を通して資本主義的な価値観を乗り越えたと思いながらも、周囲の期待、あるいは彼女が「柳井スタンダード」と呼ぶものから逃れられず、自分が本当にやりたいことを貫くことに苦労しているようでした。自分の意見はきっと思い込みにすぎないと認識した上で、彼女は次のように述べました:「他の人たちは履歴書に書けるようなキラキラした業績出そうと頑張っているから、他の柳井生が私のキャリア選択を聞いたらどんな風に思うんだろうって時々考えちゃうんだよね。」さらにまゆこは、柳井スカラーの典型的なイメージとして「社会が定めた正しい答えを見つけられるような優等生」と表現し、彼女のキャリア選択に関する不安の原因は、柳井奨学生の多様性の少なさにあると推測しました。彼女によると、柳井スカラーの多くは、多様な分野に関心を持っている一方で、ほとんどが同じように恵まれたバックグラウンド出身で、同じようなレベルの高等教育を受けています。そのため、まゆこも無意識のうちに、柳井のエリート社会の規範から逸脱するようなやりたいことを追求することをためらってしまうのだそうです。実際、他にも多くの奨学生がまゆこと同じようにインポスター症候群に苦しみ、自分自身の能力や功績を認識するのに苦労していました。深刻な場合では、他の柳井スカラーとカジュアルに交流したり、コミュニティ内のニュースレターを読むことさえもストレスになってしまう、と告白してくれた学生もいました。そういった奨学生に共通していたのは、「超絶エリート」の友達に比べれば、自分はまだ何も成し遂げられていないという不安感でした。

まゆこは、自分のやりたいことを追求することへの葛藤を振り返りながら、大学最初の2年間は、コンサルティングや投資銀行への就職を希望する同級生に流され、自分も無我夢中でその選択肢を追いかけていたことを思い出していました。そして、そのような業界に就職することへの抵抗感について、「逃げ道に走らないように自分を抑えている」と表現しました。一般的に人気のあるキャリアの選択肢がどうして「逃げ道」なのかを質問すると、彼女はこのように回答してくれました:

コンサルや投資銀行に行って、安全な環境で自分のことを考えない選択肢は「逃げ」だと思う。その道だったら、どの段階でどれくらいの年収になるのか、成功への道のりが確実に見えている。確かに入るのは難しいかもしれないけど、入ったら安全なレールになるから、将来に対する不安を感じずに、安心していられるんじゃないかな。一方の道は不確実に見えるかもしれないけど、やりたいことやった方が良いよねっという話はルームメイトとも話したりする。

まゆこのロジックでは、多くの人が人気業界で働くことを決めるのは、深い自己内省を避けるためなのではないか、というものでした。自己理解の重要性を強調することは、財団職員が奨学生に自分のアイデンティティややりたいことを定期的に振り返るように助言していたことと非常によく関連しています。さらに、柳井コミュニティ全体が自己理解を重視するのは、日本での就職活動において自己分析を重視することも反映しています (Ukai 2007)。まゆこと同じように、私がインタビューした何人かのスカラーは、具体的な理由なしに人気業界を選ぶことに否定的な人がほとんどでした。その根本的な理由として、「他人や社会に流されるのではなく、自分自身の考えでやりたいことを貫くことが大事」だという考え方が非常に人気でした。

5-4. 何も考えずに就活の波に流されてしまう

あお: 国内国立高校 → アイビーリーグ校4年生 → 日本の教育業界就職

多くの奨学生が人気のある進路を「逃げ道」として言及したが、あおはその「逃げ道」に実際に落ちかけた経験を持つ数少ないスカラーの一人でした。しかし結局彼女も、四年生の春には、経営コンサルティングの内定を辞退することを決めました。その理由は、彼女もまた、自分で能動的に意思決定することの大切さを実感したからです。同校の卒業生に紹介され、コンサルタントの社員と何気なく話をしたときは、数日前に大学院進学をしないと決めたばかりで、彼女は就職活動のことはほとんど考えていなかったそうです。そんな折に知り合ったコンサルタントから彼女は、オンラインで行われる2日間のスプリング・インターンシップに参加するよう勧められました。当時はコンサルティングに興味がなかった彼女も、「とりあえず経験してみたい」という思いで参加したそうです。このインターンシップを通じて彼女が体験は、「逃げ道」に落ちるのがいかに容易いことであるかを浮き彫りにしているのかもしれません:

送られてきたリンクをとりあえず受けて、オンラインテスト、書類審査、オンラインでの論述試験を受けてスプリングインターンを受けたら、そのスプリングインターンのスライドに「最終選考」って書いてあって。自分にとってはインターン自体がゴールだったのに、気づかないうちにjob applicationをしていたんだよね。気負わずに頑張ろうと思って2日間ターンをやった後、MTGをセットアップしてもいいですかって言われてお願いしますって言ったら、内定をもらっていた。確かにそこのファームで働きたいなと言う気持ちはあったけど、色々受けた上でやっぱりそこが良かったと思いたかったから、ファームの人に言われてボスキャリに行くことにしたんだ。

あおが共有したエピソードからは、自分が就活をしていることに気がつかないほどスムーズに採用活動が行われていたことがわかります。さらに彼女は「流されずに自分で考える」ことがいかに難しいかを語ってくれました。あおによると、柳井スカラーの多くは、社会的な「成功」の基準に流されても、その先で成功を収めるだけの実力を持っています。だからこそ「『すごいね』って褒められたら、すでに整備されたキャリアパスから抜け出したいと思う方が不思議なんじゃない?」と彼女は問いました。彼女が無意識のうちに取り組んでいた就職活動の体験は、シャンカー(2020b)が好奇心の研究で提唱した「感情的価値」の理論を反映しています。コンサルティングや金融などの儲かる、または一般的に評判の良い仕事は多くの学生が選びたがるため、能動的に意思決定をしない限り、そういった職業を無意識に選んでしまうのです。その結果ほとんどの学生は、「社会的に人気のオプションに流されてしまう」ことになるのです。

数週間の熟考の末、あおは結局コンサルティングのオファーを受けるべきではないと考え、他のキャリアの選択肢を模索することに決めました。そこで彼女は、毎年11月にボストンで開催される「ボストンキャリアフォーラム(以下:ボスキャリ)」に参加することにした。ボスキャリは、日英バイリンガルの就職説明会で、日本人留学関係者の間では、「日本の採用活動における問題を海外に輸出している」と非難する声が多いのも事実です。そういったネガティブな評判にもかかわらず、毎年5,000人以上の日本人留学生が参加する一方で、採用側の企業はわずか200社ほどになっています (One Career 2019)。

あおにボスキャリ参加を決めた理由を聞くと、「みんながやっていたから」という答えが返ってきました。留学生である彼女にとって、日本での就活について知っていることは、ボスキャリ以外に何もなかったからだそうです。彼女は「コンサル以外にも他の選択肢を検討したい」と考えてボスキャリに参加しましたが、そこで見つかる代替案はもまた、非常に限定的で偏ったオプションでした。多くの日本人留学生は、たった3日間のボスキャリで自分の卒業後の進路を決められる利便性を重要視する一方で、インタビューをした柳井生の中には、「都合のいい内定に飛びつくのを避けるために、あえてボスキャリが終わるまで就職活動を始めなかった」と語る人もいました。しかし、そういった信念を持つ学生でも、インタビュー時点ではまだ「利他的やりたいこと」を追求できる仕事を見つけるのに苦労していました。当時の判断を振り返りながら、「ボスキャリで楽に内定取っておけば良かったなって時々後悔する」と苦笑いしていました。

5-5. 「人助け」を私企業での本業にしたくない

あお: 国内国立高校 → アイビーリーグ校4年生 → 日本の教育業界就職

自分の就職活動を振り返りながら、あおは「入社先に社会貢献を求めたわけではなく、自分がこれまで行ってきた活動はボランティアの副業として支援を続けるつもりだ」と語りました。その理由を彼女はこう説明しました:

ボランティアだったら、何時間かけても自分への利益(人を助けて嬉しくなる気持ち)は同じ。でも時給換算をした瞬間に、時間あたりの収入が減るから、そういう考え方をしたくなかった。 そうなったら、仕事のクオリティを下げたり、かける時間を下げるようにしてしまうと思う。私は仏みたいな考え方はできないから、自分の思いにこだわるためにボランティアをしたい。

彼女のこの発言は、人助けと経済的な豊かさの最大化という二つの価値観が潜在的に矛盾することを説明しています。同時に、「優秀な柳井スカラーであれば利他的な利益と個人のやりたいことを簡単に融合できる」と考える財団事務局の理想を否定するものでもあります。自分の経済的地位の維持や向上という資本主義的価値観のもとで、「利他的やりたいこと」を時給換算しないために、あおはあえて就活の際に「社会貢献」は検討しなかったのです。

現状の資本主義的な価値観に飲み込まれまいとする彼女の反骨精神の一方で、一般的な日本企業に就職していること自体は、既存の社会構造の中に収まっているのかもしれません。一見すると「社会貢献」に繋がるような自分のやりたいことを追求するために、社会的弱者への支援を続けるための意識的な妥協にも見えます。しかし逆の見方をすると、彼女のボランティア志向そのものが、新自由主義的な社会システムにおいて人助けをすることのジレンマを示しているようです。実際に、私がインタビューした多くの柳井スカラーは、社会的に立場の弱い人を幸せにすることが社会貢献だと考え、金持ちがより金持ちになるためだけのビジネス活動を批判していました。しかしその彼らもまた、自分たちの高い生活水準を維持したいと願う気持ちを前に、葛藤してるのでした。

5-6. 理想の企業から内定がもらえない

デヴィン: 国内私立高校— 州立大学卒業 — 経営コンサルティング就職
あおと同じように、デヴィンも人助けの方法についてかなり明確なビジョンを持っていましたが、「利他的やりたいこと」を追求できるような内定先を選びませんでした。ただし、あおと違い彼の場合は、積極的にそのような仕事を探したものの、企業の採用活動の構造的な壁にぶつかり、内定を得ることができなかったのです。最終的に彼は、コンサルティングファームに就職することを決めました。本当は自分のパッションではないと気づいていながらも就職を決めた理由を聞くと、彼はぎこちない笑顔でため息をつきました:

コンサルに行ったのは、ひたすらに血迷った。事実から言うと、アメリカで有名なテック企業で働きたかったけど能力が足りなくて落ちて、手元にオファーがあったところに入った。コンサルだったら、テックバックグラウンドがある自分は日本人の人材としてのexpectationを満たすことができたけど、テック業界だったら、ネットワークだったり、credential、コーディングスキルが圧倒的に足りなかった。インタビューで落とされることがあるし、コネがないとそもそも書類が通らないから。2−3年のインターンの応募の時点で落とされていたし、コネも実力のうちなんだろうね。

彼のコメントには、自分のやりたいことに合致しないキャリアパスを選択することに対する、否定的なニュアンスがうかがえます。しかし入社後のデヴィンは「無料のMBAみたいで色々学べるし、レジュメのなかで役に立つこともあるかな」と自分の選択について納得感を持っているようでした。最終的には、「次のキャリアステップに向けた学習期間」と受け止め、もっと自分のやりたいことに挑戦できるキャリアパスへの前向きな姿勢を見せました。

デヴィンが語った就職活動の苦労話は、米国の採用活動における”Self as-Business (個人 = ビジネス)”メタファーが引き起こす構造的問題を反映しています。イラーナ・ガーション(2017)の著書『Down and Out in the New Economy』は、近年のホワイトカラー求職者は、雇用されることを自分と企業間の取引として捉え、リスクと利益を会社組織と個々の従業員の間で分割するように考えている、と論じています。ガーションは「個人をビジネスとして扱うと、自分自身をスキル、資産、資質、経験、コネクションを束ねたパッケージのようにして売り込むようになる」(2017: 9) と説明しています。このSelf-as-Businessのメタファーのもとでは、履歴書は「自分自身」を売り込むためのマーケティング文書として機能するのです。これは、デヴィンがコンサルティングのポジションを、自分の履歴書の中身を強化するための機会として捉えていたことにも繋がります。さらに、自己を価値ある資産、経験、コネクションのパッケージとして提示するために、求職者はこれまでのキャリアの軌跡を、与えられたポジションに結びついた首尾一貫したストーリーとして表示しなければなりません (Gershon 2017: 12)。それが前提となってしまうと、全く新しい職種で自分の能力を照明する過去の経験を持たないデヴィンのような新卒者にとって、採用のチャンスが大幅に狭まることも意味します。

またオファー・シャロン(2013)の研究が示すように、近年のホワイトカラー労働者は、仕事に対してパッションを持つことを意識しすぎるあまり、良い仕事が見つからないことを構造的な問題ではなく、自分のせいにしてしまいます (as cited in Gershon 2017: 215)。実際に、まだやりたいことを発見できていない奨学生の中には、それ自体が自分の自尊心を傷つける要因になっていると話しました。また、ガーションやシャロンの研究ではが職者のほとんどが構造的な問題を無意識のうちに見過ごしていると指摘しているのとは違い、デヴィンを含む多くの柳井スカラーは、留学生として就職する上で、自分たちが構造的に不利な立場にあることを認識していたのです。特に、米国で就職活動をしていた学生は、VISAのスポンサーを確保することや、新卒社員として専門的な職を見つけることの困難さを強調していました。

本章で取り上げた四人の奨学生は、それぞれ全く違うバックグラウンドとやりたいことを持っていながらも、「社会貢献」につながるようなパッションを見つけ、実践することの社会的ハードルに直面しているという点では共通していました。幼少期から社会的な成功を期待され続けたありさは、内発的な動機から自分が本当にやりたいことを見つけられずに葛藤していました。ギャップイヤーを経て外発的プレッシャーを克服したはずのまゆこも、自分のやりたいことが柳井コミュニティのエリートスタンダードに合致しないと感じ、それがストレスになっていると語りました。無給のボランティア活動を通じて「利他的やりたいこと」を続けるあおも、流されるだけの就職活動という「逃げ道」に陥りそうになった体験を共有してくれました。そしてデヴィンは、「利他的やりたいこと」と「経済力の維持」の両立ができる仕事を探した際に、構造的な障害にぶつかり、前者を諦めることになりました。これらのスカラーの体験談は、「心の余裕を持って自己理解を深める」ことが「利他的やりたいこと」の発見、追求につながるという柳井財団の個人主義的な想定を覆すものです。私の知る限りでは、インタビューした24人の奨学生全員が、それぞれ異国の地で生き抜くために、自分と向き合い必死に努力してきたはずです。それにもかかわらず、ほんの一握りの特に才能のある、あるいは幸運だった学生だけが、自分の「やりたいこと」と「社会貢献」をうまく重ねることができているのが現状です。

5-7. プログラムへの批判を消し去る戦略

柳井スカラーの中には、財団が「社会貢献」の推進のために積極的に介入をしないのは。日本における既存の階級的不平等を再生産している、と直接批判する学生も少なくはありません。例えば、州立大学出身のエリンは、「恵まれてるエリートを野放しにしている」と事務局の現状に意見しました。財団が個人の努力に焦点を当ててアドバイスすることと、スカラーが実際に直面する問題が非常に構造的であることの歪みを理解するために、社会科学者達が “practice theory (実践理論)“と呼ぶ理論が参考になります。言語人類学者のローラ・エイハーンによれば、実践理論は「あらゆる個人の行動は、常に社会的、文化的、言語的による影響を受けている」(1999: 13)という考えを基本としています。エイハーンは「主体的、あるいは一見変革的な構造でさえも、現状への加担や譲歩、もしくは再生産を伴うかもしれない」と主張しています。この考え方を柳井財団の例に適応させると、奨学金制度がもたらす経済的自由や個人のキャリア選択に関与しない事務局の姿勢は「変革的な構造」にあたります。しかし、前述した学生のインタビューから分かる通り、そういった取り組みは既存の社会に存在する構造的な問題を再生産するだけでなく、時には悪化させさえもさせてしまうのです。

このように奨学生が苦労しているにもかかわらず、財団の「社会貢献」の定義は非常に曖昧なため、財団にとっても奨学生にとっても、このプログラムに関する批判はほぼ不可能になっています。例えば私が、柳井生の多くは「社会貢献」に関心がないことを指摘すると、事務局のジャクソンさんは、「社会に変化が起きるまでには相当な時間がかかるからすでに見えている短期的な成果で奨学金プログラムを評価すべきではない」と回答しました。彼は、奨学生が学部教育中や卒業後に少しでも社会に貢献することは期待せず「(卒業して)5年後とか、10年後とか、あるいはキャリアの中のどこかで貢献してもらえれば素晴らしい」と語りました。彼の言葉からわかるように、何をもって「社会貢献」とするのかが曖昧であることに加え、いつ貢献をすべきかという時間軸も提示していません。この時間軸の不明確さがあることで、奨学生が「社会貢献」に取り組んでいないように見えても、財団側は「今はまだ取り組んでいないだけで、将来いつかしてくれますよ」と答えられるようになっています。

この奨学金プログラムの最終的な成功とはどのようなものかを議論する際に、事務局職員や一部の奨学生は、「社会貢献」が中長期的にもたらす結果の不確実性を説明するために、長期投資をアナロジーに用いました。例えば、私立大学2年生のみえは、柳井奨学生全員が必ずしも社会に貢献しなければならないわけではない、という意見をこのようなロジックで説明しました:

柳井さんと柳井財団チームが目星をつけて選んでいるから、その基準で選ばれた中で1-2%が世界を変えたらすごく良いと思う。それは、柳井財団が長期的な目線で投資しているからだと思う。他の奨学金は短期的な成功を見ているかもしれないけど、長期的な目線だったら百発百中当てるのは無理。だから投資と同じで、自分のポートフォリオの中で少しでも大当たりすれば、財団としては成功だと思う。

彼女の長期投資アナロジーは、財団が考える「社会貢献」を理解する上で、二つの重要なポイントを示しています。まず一つ目に、柳井奨学生それぞれの長期的なパフォーマンスを100%の精度で予測することは根本的に不可能である、という考え方。二つ目に、ポートフォリオ(=スカラー)全体が純増であれば、たとえごく少数の奨学生しか大きな成果を上げていないとしても、プログラム全体としては成功になる、という考え方。このような論理で考えると、そもそも柳井財団はすべての奨学生が社会に貢献することを要求していない、という結論に至ります。したがって、柳井財団がすべての奨学生に「社会貢献」をしてもらうよう介入していないことも、自然なのかもしれません。

柳井財団は、「社会貢献」における時間的制約を設けず、さらに長期投資のアナロジーで奨学金を考えることで、この奨学金プログラムに関するいかなる批判も的外れなものとして排除することができるのです。この現象は、言語人類学者が”prospective erasure”と呼ぶものの一例です。ジュディス・アーバインとスーザン・ギャル は、社会言語学の分野で非常に影響力のある本の中で、"erasure"を「特定のイデオロギーが...ある人物や活動を(社会生活の中で)見えなくしてしまうプロセス」と定義しています。つまり、そのコミュニティの中で「有力な思想と矛盾するような事実は単純に無視されるか、権力者にとって都合の良いロジックで説明されてしまう」ということです (2000: 38)。この理論を発展させる形で、マット・トムリンソンとジュリアン・ミレー は “prospective erasure”を提唱し、これを「あらかじめ批判を予期し...意味のある反応ができないように排除する」プロセスとして理論化しました (2017: 4)。この理論を柳井財団に当てはめると、コミュニティの中で有力な思想は「日本社会の発展に貢献できる資質」を示すという応募条件や、「ただ自己中心的なだけのことは追求すべきではない」という事務局からの間接的な要求などが挙げられます。

こういった思想に対して私が、財団のミッションと学生の実体験の間に矛盾があるのではないかと批判的な質問をすると、事務局職員たちは、ありさが「社会貢献」をそもそも考えていないことや、デヴィンが渋々コンサルティングの仕事に就いたことなど、いくつかの矛盾を彼らの都合の良いロジックで説明したのです。前述した通り、「社会貢献」を行うべきタイムラインが定められていないことや、長期投資のアナロジーで全員に貢献を期待しないことなどが、具体例です。このように、柳井財団の「社会貢献」に対する極めて曖昧なアプローチは、奨学金プログラムに対するどんな批判も、「財団のビジョンには矛盾しない的外れな意見」としてあしらわれてしまうのです。したがって、柳井財団が「社会貢献」の定義を明確にしない限り、このプログラムがどれほど効果的であったのか、そもそも意味のある対話をすること自体が不可能です。もしかしたら、私が1年間かけて書き上げたこの卒業論文さえも、的外れなものとして無視されるのかもしれません。


次は、6. 「あなたは、どんな『社会貢献』がしたい?」(まとめ)です!

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