見出し画像

【怪物バレ有感想】青春の爆弾料理を是枝の美酒で流し込んだ後、怪物が起きる。

目安4000文字、10分くらいで読めます。

クィアにはほぼ触れません。他の方に任せます。



何回も泣きました。ポスターも良すぎる。

 はじめに


 こんにちは、Misanaです。

今後ともご愛顧よろしくお願いします。

早速本編に入ります。
 


まばゆい青春が我々に襲い掛かる

 
 夏の日のちょっとしたボタンの掛け違いが徐々に大きな事態になっていきます。

 視点を変えた事による伏線回収はおなじみの手法なのかもしれませんが、最近映画にハマり始めた私にとっては新鮮でした。


 最初の感想としてはまあミステリー、サスペンスなんだろうなとどっしり構えていました。

 しかし、星川由利役の柊さんが麦野湊役の黒川さんに「ドッキリだよ!」といたずらをかけるシーン。そこから一気に二人だけしか見えなくなっていきます。

 何と言っても眩しすぎるのです。二人の名演に留まらずそれを増幅させる演出と舞台。視界が眩しさでホワイトアウトして、流石にやりすぎなんじゃないかと。

 しかしそこは流石の是枝監督です、二人の暴力的な眩しさを留めながら、暗いミステリー部分も着々と混ぜ込んでいきます。目にやさしい暗さでした。


怪物だーれだ?

 感想はこれくらいにして本題に入ります。怪物とは結局なんだったのでしょうか。

 

役者はもちろん、制作陣も最高峰です。
この人たちを怪物はお前だ!と指差して白状させる
名探偵はさぞ気持ちいいでしょう笑


 多分この感じで怪物への誘導線は引かれてます。

 麦野(母)→真っ当な謝罪をしない学校の連中や保利先生
 保利先生→なぜかキレる麦野(母)、嘘をつく二人の子供
 星野→いじめてくるクラスメイト、父親
 麦野→自身の中にあるクィア(星野が好きになっちゃった気持ち)と二人の世界を邪魔する大人たち

これらがミクロな視点で追う怪物です。


怪物とは特定の人ではなく誰もが持ってる宝物である

 文が短く感じた人もいるでしょう。実際結構適当に解説しました。なぜなら、誰がどうでこのときどう見えてみたいなミクロな視点から見る怪物は本質的ではなく、どうでもいいからです。見りゃ大体わかる。

この先よく考察で見る怪物の正体に着地するため、「あーまたこれね」と思ってしまうかもしれません。ただ、僕が伝えたいのはその先なのでブラウザバックしないでください。

 重要なのは視点、視座、心情、状況諸々を含めると全員が全員怪物であるし、なりえてしまうということです。

 怪物とは性格だとか物だとかそういった単一的なところから見えるものではありません。

 月にも暗い部分と明るい部分がありますが、あれは太陽を反射してるかしてないかの違いです。当てる光の方向を変えれば(すなわち視点を変えれば)しっかりと明るくなりますし、暗くなります。

 人間も月と一緒というわけです。視点によって誰もが怪物になる。


まんまる満月ですら向こうから見たら真っ暗です!

絶対にしてはならない勘違い
(忙しかったらここから読んでください。)

 この解釈(視点、視座、心情、状況諸々を含めると全員が全員怪物である)は多くの考察者がたどり着きました。その上で私は声を大にしていいたい。

正体に気づいたのに結論を間違う人が多すぎる

 
 この怪物の正体は確かに恐ろしいです。そのため、考察者は少なからずこう言います。

 我々は、誰かの怪物に知らず知らずのうちになってしまっていて、誰かを傷つけてるかもしれない。そのため、自身の中に潜む怪物や魔が表に出て暴走しないようにコントロールしながら、社会と調和して生きることを目指す。

 

 私は明確に否定します。不時着も甚だしい。


 理こそあれ、この結論(に近しい考え)にだけは着地しちゃいけません。

 振り返ってみましょう。作中において星川の父親(中村獅童)が明確にこの言葉を口にします。

あれ(星川依里)は、バケモノです

 どこがでしょうか?最後にあのあどけない笑顔と共に別世界へと駆けていくかのような子供のどこが?

 このことからも、いかにまばゆく明るく生きていてもどこかに影は出来て、怪物になることが分かります。

 星川依理は怪物でありながらあれだけ美しく、自由で、何より幸福なのです。


すなわち、これを見てたどり着くべき結論は

 誰かが俺のことを怪物と毒づいても、自由のために俺は"怪物"として生き抜いてやる。

この辺になるでしょうか。どこかで聞き覚えありますよね。あとで話します。

 岸見一郎の嫌われる勇気という本にこんな一節があります。

自由とは、他者から嫌われることである。

岸見一郎,『嫌われる勇気』2013年刊行

私なりに言いなおせば、

 自由とは誰かの怪物になることである

となります。

 先程の聞き覚えの話ですが、なんせエレンイェーガーもこんなこと言ってましたから。進撃の巨人も自由のために怪物になった主人公の物語ですね。

出典:進撃の巨人73話 「はじまりの街」
我々は怪物として生を受けます。
しかし、社会に揉まれ、社会性()を身に着けます。
むき出しの才能が名刺書類教材の山の下に埋まり、
いつの間にか自由を失っているのです。
エレンはその山から引っ張り上げてくれます。
だから人気なんです。

 


怪物になれると人生は楽しい。

 400文字ほど自分語りになります。

・筆者は25歳になったあと何もかも吹っ切れて「怪物」になりました。

・7年ぶりの休眠していた友人先輩に次々と声をかけ、友達が15人増える。お湯かけてふえるわかめと声かけてふえるともだち。

・弁が急に立つようになり文字のコミュ力が大幅に低下、二人の友人とディスコミュニケーション由来で揉める。(おそらくさっき不時着した間違った結論はこういうのを恐れて人生のあらゆることを諦めていく考え方です。間違わないことより間違ってから修正するほうが大事。)

・60代より↑しかいないスナックに殴り込みサウダージを歌ったら「最近の曲知らん!」と言われたので(2001年発売だよ?)、フライデーチャイナタウン(1981年)でフロアぶち上げる。

・ラインで友達に4000文字の長文を送ったら引かれたので、そのリビドーをNoteにぶつけることにした。(7年ぶりの友人相手の初手にも800文字送りました、バカです。)

枚挙に暇がありませんが、そういうことです。

怪物になってからめちゃくちゃ楽しいです。

本当に…



早く怪物になりたい!!


 妖怪人間ベムじゃないですが、早いことに越したことはないです。例えば、40歳で怪物になったらどうでしょうか?

 先に挙げた例でいうと7年ぶりの友人は22年ぶりとなり、もう結婚して時間が取りにくいです。無論自分自身も。

 年齢を重ねてから怪物を開放しても好きに発動することが難しいんです。

 よく聞く何歳からでも人生は簡単とか〇〇歳超えたら人生終わりとかどっちも嘘で10代がVery Easy、20代がEasy、30代がNormal・・・・と。

 徐々に首はしまっていきますが、それでも抜け出すのは不可能じゃない。というのが良い塩梅かと思います。

 人は何歳からでも怪物になれます。ただそれが早いほうが怪物も自由に楽に遊べます。なるのも若いほうが簡単。だから早いほうがいい。

 ですから、リンカーンの名節に載せたこの言葉で今回の感想を締めたいと思います。

思いがあふれるとTシャツになるというネタ。
前回ちょっとウケたので擦りました。 


終わりに

 一貫してお伝えしたいのは怪物になりましょうってことです。
 
 人生でたったこの一回しかないお昼休みに、二度と会うこともない芸能人やユーチューバーの不祥事ニュースに執心するような奴は怪物になれねえってことです。

 そんな貴重な時間を私のNoteに使ってくれて、私のこの駄文があなたの中の怪物を起こすことが出来たなら、これ以上のことはありません。

 一応Note継続の第一歩はクリアしました。

それでは。


PN:Misana
Mail: makotto.821.dd@gmail.com

 

 


おまけ:怪物を「バッドエンド」と呼ぶ批評家たち

 
1    最後の草むらが別世界への階段で、本当は二人は亡くなっているからバッドエンド。

 これ言ってる人、全員馬鹿です。(言ってみたかった)

 怪物になれず100年を生きるより怪物になって1分で死ぬ方が遥かに尊いです。

 死への悲しみを遥かに上回っています。二人だけの世界を見つけたのに、大人というノイズが混じった未来など奪われて今更なんのバッドエンドがあろうか。

2 父親と学校のクソさは変わらないからやはりバッドエンド。

 これは否定できません。依理は結局転校します。二人であの家抜け出して〜なんて事はできないです。

 あの父親はプライド的に父子家庭に差し伸べられる福祉の手を断るでしょう。最悪の事態も想像できます。

 ただあの学校は、特に校長は一緒に嘘を音にして吐き出したあの歳の差50のアンサンブルで少しマシになったのではないでしょうか。

 僕としてはバッドエンドとは思いたくないです。ロビンソンの歌詞を思い出しましたよあの二人には(誰もさわれない二人だけの国)

 以上とします。


今度こそそれでは。

PN:Misana
Mail: makotto.821.dd@gmail.com



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?