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身内の看取りを体験し、よみがえる記憶

叔母の命日を迎えて

ふと、亡くなった叔母のことを
想い出しました。

私の叔母は15年前に、
がんで他界しています。

当時、私は看護学生でした。

母から、叔母ががんであることは
知らされていました。

しかし、がんの末期であるとは
知らされていなかったのです。

叔母が入院した時も
何度か面会に行ったことはありました。

でも、見た目は病気になる前と
大きく変化はなかったのです。

今振り返れば、
あの時に何気なく叔母が
話していた言葉の節々に、
お別れが近づいていることを
示すサインのようなものが
隠れていたような気がします。

でも、当時の私はそのことに
気づいていませんでした。

それまでは
叔母は元気で仕事もしていました。

だから、叔母ががんであることを聞いても、
きつねにつままれたような気分で
信じられなかったのです。

叔母はがんが発覚してから、
4か月後に息を引き取りました。

その日は看護学校の春休み中で、
母と買い物に出かけていました。

昼前に急に病院から電話がかかり、
病院にかけつけました。

私は何が起こっているのか
病院に着くまで状況が
わからなかったのです。

病院へ着いた時は、
元気な時の叔母の面影はなく、
全く想像もつかない姿に
なっていました。

目は開いていて、こちらのことは
頷いたりわかる様子でした。

ただ一生懸命、何か話そうとしてくれていても、
声にならなくて全く聞き取れないのです。

書くものを渡してもペンを持つ力もなく、
文字を書くこともできない。

結局、最期に叔母は私に何を伝えようと
してくれていたのか、わからないまま
息を引き取ったのです。

こうなることがわかっていれば、
もっと叔母と話したいことは
たくさんあったのに・・・。

その時にとても後悔しました。

私には心配をかけたくないという
叔母の意向があって、
がんの末期であることを
私には知らせてなかったと後で
母から聞かされました。

15年経っても、
母も祖母もあの時他にできることは
なかったのか・・・。

胸中複雑な心境だったことを
話すことがあります。

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当時の体験を通して、伝えていきたいこと

看護師になり、
患者さんの最期を看取らせていただく
ことがあります。

ご家族には、当時の私のような想いは
してほしくないという気持ちでいます。

ただ、ご家族の目には、
悪くなっていくイメージが想像
できないことが多いのも現状です。

最期の最後の場面で、
「こんなに早いとは思わなかった・・・。」
「家族として他にできることは
なかったのか・・・。」
という声を聞くことがあります。

大切な方との別れは、人生の中で
早かれ遅かれやってくることであり、
どうしても「死」は避けては通れないことです。

だからこそ、ひとりでも多くの人に
大切な人と過ごす
「今というこの瞬間」を
大切にしてほしいという想いを
届けていきたいと思っています。

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