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「いい子」でいる事の弊害

こんにちは。リエコです。


皆さんは、
家庭や学校、職場で「いい子」でいる事を
求められませんでしたか?


私は、
ずっと「いい子」でいる事を
強要されてきました。

家庭や学校、職場でも、
・みんなと仲良くして輪を乱さない。
・みんなに親切にする。
・意地悪な子が居てもやり返さない。
・先生のいう事をよく聞く。
・親のいう事をよく聞く。
・聞き分けのいい子。
・協調性を大事にする。
・人に迷惑をかけない。
・誰よりも仕事をする。
などなど

これらを大事にした結果、
自分がロボットになった様な
気がしました。

また、
「いい子」で居ればいる程
苦しくなっている自分がいました。

自分の喜怒哀楽が段々と
わからなくなっていきました。

その内に
怒ったり、悲しんだりする気持ちに
罪悪感まで持つようになりました。

それはそうですよね。
自分の感情を押し殺して
「いい子」を演じているのですから。

実際、私の心の中では
「なんで私ばっかり、
 いつも我慢しなければならないんだ」と思っていました。


私は他人から
嫌な事をされても、
「嫌われたくない」という気持ちが強くて
嫌な事を嫌と言えなくなっていました。
また、
嫌と言った所で
やめてくれるかわからないし、
他人と揉めたくなかったのです。
ケンカして口論する事も嫌でした。
だから
私が我慢すれば丸く収まると
思っていました。

ですが
人は私が我慢すればする程、
私が何も言わない事をいい事に
私を都合よく利用したり、
何も言わないからやってくれるだろうと
仕事を押し付けられたりもしました。

でもこれは今思えば、
自業自得です。
私が悪いです。
何故なら、
人形みたいに何も言わないから。
やってくれて当然と思われても
その当時は、
仕方がなかったと思います。

こんな事を何十年と続けてきたら
心身共に身体を壊す事になるのは
当たり前です。

私は、
身体を壊してからは
もうこんな生活は、心底嫌だと思いました。
変わりたい。
変わろうと努力しました。

また心底、
我慢をするのが嫌になっていました。


嫌なことを嫌だというのは、
私にとっては中々ハードルの高い
とても勇気がいる事でした。

実際に相手に伝える時には
ドキドキしましたし、
もっと揉めたらどうしようという
気持ちもありました。
ですがはっきりと
自分の主張を言えたことにより
心の中がスッキリしたのです。
これは初めての経験でした。

そしてはっきりと
嫌なものは嫌だといったお陰で、
ストレスがない毎日を今は、
送る事ができています。

でも、
はっきりと嫌だという事で
離れていく人達もいました。
正直、寂しい思いもしましたが
それは仕方がない事だと思います。
私は、
自分に嘘をついて
その人達と過ごしていたのですから。
私がはっきりと言った事によって
「こんな人だとは思わなかった」と
思われて離れていくのも
仕方がありません。

ですが、
後悔は全くありません。
(不思議ですが。)
自分の気持ちに嘘をつかないという事は、
日常生活を送るに当たって
ストレスがなく過ごせます。

所詮、いい子なんていうものは
親、学校、職場で
相手を都合よく言うことを訊かせる為や、
コントロールをする為の物です。
自分が得をする為に
いい子を強要するのです。
相手の勝手な都合に過ぎないのです。

自分自身、
幸せに生きていきたいなら
我慢しないで
嫌なものは嫌だと主張した方が
いいと思います。

とても勇気のいる事ですが。
でも、
この1回の勇気を出す事で
現実は変わるのです。


皆さんの参考になればと思います。
いつもありがとうございます。
よろしくお願いします。

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