★連載19★スピリチュアルの世界とは
宇宙の法則の解説の前に、まずは、スピリチュアルの世界という世界観について、私なりの感じている事をお話させていただこうと思います。
みなさん、『スピリチュアル』と聞いて、何を想像するでしょうか?
スピリチュアルの世界に出会う前の私は、半信半疑でした。
目に視えない世界だから、証明が出来ない世界です。証明が出来ないのなら信じる事ができない。そんな感じでした。
視えないモノを扱っている世界なので、霊能者次第で、何とでも言えてしまうものだと捉えていたからです。
ですが、全否定ではありませんでした。霊と言われるものの存在は在るのだろうと感じていたからです。
私自身、霊感がある、その類が視えると言える人ではありません。ですが、自分が視えないから信じる事ができないという理屈っぽい人でした。
そんな私が、今回のきっかけでスピリチュアルというものと出会い、きちんと調べてみようと思い、調べてみると、目に視えないモノ全てがスピリチュアルとでも言えるという記事を見て、私は何となく、漠然と信じるようになったのです。
感情というものはどうして発生するのだろう?
という漠然とした疑問を感じていたからでした。
感情というものを上手く自分で取り扱う事ができるようになったら、生きていく事も楽になるのでは無いか?と考えてもいたからです。
考える事や、感覚や感情、気持ちというものは、自分自身の中に確実に存在するもであるけど、直接、目で視えるものでは無いのです。
感情というモノ。
感情という人間の機能に、私はとても不思議さを感じていたのです。
それだけを考えていた時に不思議な体験をした事もありました。
『肉体はいつかは死を迎えて、死んだら、火葬されて骨と灰になるけど、今、この瞬間に考えている思考や感情って、燃やしても無くならないよね?』
そう思っていたら、身体と意識とでも言うのでしょうか、それが離れる感覚がしたのです。
幽体離脱???
身体と意識が分かれた感覚。
この時に私は、肉体である身体と意識と言われる精神は、別々に存在していたりするのかも?と感じたのです。
そして、意識や精神と言われるものが、実は、『魂』と言われるものなのかも?と考えました。
あくまでも、私自身が体感した感想です。
そんな体験を経て、スピリチュアルに出会い、視えないものである精神までもが、スピリチュアルと捉えるという事を知り、私自身の興味関心は、精神世界であるスピリチュアルの世界なのだと感じたのです。
そこからが、探求してきた4年です。
スピリチュアルを信じるか、信じないか。在るものか、無いものか。一番最初の段階から、大きく人の見解は分かれます。
そして、どちらを選択するかも自由でもあります。
ですが、この探求してきた4年間を振り返ってみて、本当に知って良かった、探求してきて良かった。これに尽きるのです。
人生も折り返し地点を過ぎ、人生もゴールへ向けて歩んでいこうとしている時期にスピリチュアルの世界と出会った事にも意味があるのだろうと、感じています。
目で視えるものが全て
カタチあるものが全て
結果が全て
と言われてきた今までの時代。
とても窮屈でした。
人に意見を合わせ、人の顔色をうかがい、人の為に遠慮をし、人の為に我慢をし、忍耐や根性と、自分の精神をすり減らし、普通で良い、普通の暮らし、普通の幸せ。みんなと一緒で良いのだ。と必死でした。
それが正解だと思って生きてきました。
それが普通の事だと思って生きてきました。
ですが、実は私の思い違いや勘違いだったのかもしれないと思うようになった、今日この頃です。
人に意見を併せなくても良い、人の顔色をうかがわなくても良い、人の為に遠慮をしないでも良い、人の為に我慢をしなくても良い、忍耐や根性といって、自分を犠牲にしなくても良い、精神をすり減らさないでう良い、望む生活、望む幸せ、自分の思うように人生を歩んでも良いのだと言う事。
本当に実感しています。
数ある宇宙の法則を学んでいくと、段々と、自分の内側である精神が整ってくるのです。
不安や怒り、嫉妬、恨み、嫉み。
ネガティブな感情がどれほど、私のもとから卒業していったかを考えると、今の生きていきやすくなってきている自分に本当に感謝なのです。
何かある毎に、不安や焦燥感、自己否定の感情が私の内側を埋め尽くしていましたが、その感情は、常にあったものから、
「そう言えば、昔はよく感じていたよな。」
と、懐かしむまでに変わりました。
その当時は苦しかったです。苦しくてたまらなくて、生きて行く希望すら見い出せませんでした。
自分の内側が整うと、外の世界も整い始めます。
私は外の世界、外に映し出す、視える世界が変わり始めています。
こんな自分に変われるなんて、当初は思いもしませんでしたが、望んではいたのです。
本当の自分を知りたい
本当の自分を感じたい
本当の自分で生きていきたい
自分自身にずっと違和感を感じながら生きてきたのです。
生きていきずらさ。
ずっと孤独を感じて生きてきました。
自分は何の為に生まれてきたのだろう
自分は何をしたいのだろう
生きる目的や目標も無かったのです。
でも、スピリチュアルに出逢って、自分自身を好きになれたのです。
スピリチュアルの世界が在るとか無いとかの話でもなくなっているのです。既に精神世界と言われるものは、全ての人の中に確実に存在しているものであると私は感じているからです。
そして、宇宙の法則
宇宙の神秘
宇宙のエネルギー
信じるとか信じないとかの話でもないのです。
スピリチュアル的な話が苦手な人はこのnoteへは辿り着かないはずなのです。
辿り着いた方は、きっと、魂が引き寄せたのだと思います。気付く何か、感じる何かがあるのだと思います。
見えるものだけが全てだった今までの時代、もう、卒業して良いのだと私自身は感じています。
視えないものも、視えるものもあって、この地球上ではバランスが取れているのですから。
前置きがすごく長くなってしまいましたが、私が探求してきた宇宙の法則についてを、次回から書いていきたいと思います。
宇宙の願いは、愛であり、自分自身を愛するという事なのです。
自分を否定するのではなく、自分を肯定し、愛せる自分になるのが、宇宙の法則のゴールであるとも感じています。
この記事に辿り着いたのも、偶然ではなく必然です。
少しでも、あなたのお役に立てたら幸いです。
一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように
最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬
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