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金のまりと君の名はとあの子とQ

 『あの子とQ』は、私にとって2冊目の万城目学さんの本だ。

 最初に読んだのは『鹿男あをによし』で、たまたま、読了直後にLINEした人が春日大社に旅行に行っていて、妙に興奮したのを覚えている。テレビ化やアニメ化もされた。

 万城目さんの名前を初めて聞いたときは、失礼ながら「万城目サンダー」(知らない人はググってね)の「マンジョウメ」だと思っていたが、「マキメ」さんと読む。

 昨年も「読書の秋2021」で課題図書になっていたのだが(『ヒトコブラクダ層ぜっと』)、上下巻だったのでどうしようかなと迷っていたら、間に合わなかった。上下巻は迷う。図書館に行くか、買うか、図書館に行っても新しい本は何百人待ちだし、ああ買うか、どうする、なんて悩んでいるうちに期間終了となったのだ。

 であるからして今回は、満を持しての『あの子とQ』だった。
 もう真っ先に買った。

 万城目ワールドの、日常生活に紛れ込むシュールでファンタジックな世界は大好物だ。

 しかし今回の『あの子とQ』。
 帯に吸血鬼、と書いてある。
 吸血鬼の一族であるJK女子高生が試練と冒険に挑むアオハルものらしい。

 恋アリ!
 青春アリ!
 大冒険アリ!
 嵐野弓子、17歳を駆けぬける
 ミラクル吸血鬼ストーリー

『あの子とQ』の帯より

 正直「好みと違う」と思った。

「鹿男あをによし」は女子高に勤める先生と女子高生の話で、アオハルだけど視点は大人だ。それに確かに鹿男だったけどまあ、その仕組みには唸るような仕掛けがあった。京都を舞台に、なんというか、しっとりした情緒があった。ミステリーよりファンタジーが強かった。

 それに、吸血鬼。
 使い古されたネタだと、さらにちょっと思った。
 すみません、万城目先生。

 一気読みして(万城目先生の本は一気読みするとスピード感や勢いが作品をさらに盛り上げる。特に今回のQは自転車競技的スピード感がある)、ぱたんと本を閉じ、思った。

 これ、面白い。
 面白いけど、感想書けないやつだ。
 ネタバレしないと全く無理なヤツ!

 なぜならこれは、吸血鬼のゴシックホラーと見せかけてファンタジーコメディかと思わせてがっつりミステリーだからだ。

「Q」がなんであるか、ということを明かさずにして、物語の真の面白さを語ることができない。本紹介のPOPが限界だ。
 果たして、限界ギリギリの感想文にチャレンジできるものだろうか。

 する。

 そういう、無謀な決意を促す勢いが、この本にはある。
 主人公の嵐野弓子と親友ヨッちゃんには、無謀を勇気に変えてしまうパワーがある。弓子とヨッちゃんのテンポの良いボケとツッコミの会話もこの本の醍醐味だ。

 嵐野弓子は誕生日の10日前の朝、突如として出現した得体のしれない「Q」に出会う。嵐野家は吸血鬼の一族で、現代社会に溶け込んで暮らしているが、17歳のときに一族として生きていくための試練を受けなければならないのだった。「Q」はその監視および証言者として現れる。

 嵐野家の両親はふたりとも吸血鬼なのだが、その儀式に関しては記憶が曖昧で、弓子に説明することができない。弓子はただ、前知識ゼロのまっさらな状態でQに出会い、10日間の監視をうけることになった。

 ネタバレギリギリなことを申し上げれば、この小説は、グリム童話の「金のまり」に似ている。そしてどことなく「君の名は。」も入っている。

 「金のまり」というお話は、ご存じだろうか。

 日本では「かえるの王さま」や「かえるの王さま、あるいは鉄のハインリヒ」と訳されることが多い。

 現在私の手元には、フェリシモ出版の「カエルの王さま あるいは鉄のハインリヒ」がある。
 江國香織・文、宇野亜喜良・絵の超豪華なラインナップ。
 フェリシモで「おはなしのたからばこ」が最初に企画されたときの初版本のミニサイズのやつである(さりげなく自慢。笑)。

 森で一人遊びをしていたお姫様は、あるとき泉に金のまりを落としてしまう。途方に暮れ嘆き悲しむお姫様のところへカエルが現れ、まりを取ってくるから代わりに一緒に食事をして一緒に寝てほしいという。まりを取って欲しいお姫様は、とっさに安請け合いをして嘘を吐く。そしてまりを手に入れるとお城に戻り、カエルを拒絶して城に入れない。嫌がるお姫様に「約束は守れ」と王様が無理やりカエルと共食共寝を強要するのだが、どうしてもカエルと寝るのが嫌なお姫様はカエルを壁に叩きつける。しかし実はカエルは魔法使いに姿を変えられた王子様で、二人はめでたしめでたし。

 たいていのダイジェスト版はここで終わる。中にはカエルにキスをしたら王子様に変わるという物語もある。子供向けの本に「嘘つきお姫様が世話になったカエルを壁にたたきつける」という暴虐を許すわけにはいけなかったのはわかるが、なんとなく日本人にしたらどっちも微妙な二者択一だ。

 ちなみに「鉄のハインリッヒ」はグリムの原作に出てくる王子さまの忠実な家臣。
 あるじの王子がカエルになってしまったことを嘆き悲しんだ忠臣ハインリッヒは、悲嘆のせいで心臓が破けてしまわないように心臓の周りに鉄の輪を三つはめる。お姫様と王子を迎えに来たハインリッヒは、ふたりの馬車の後ろに控える。激しく鉄のはじけ飛ぶ音がしたので王子が問うと、それはハインリッヒの鉄の輪がはじけ飛ぶ音だった、というものだ。

 「カエルの王さま」は、版を重ねても必ずグリム童話の一番最初に置かれている物語だという。懐かしい河合隼雄先生の『昔話の深層』では、「思春期に何が起きるか」という章で「いばら姫」を取り上げているが、ちらりとこの「カエルの王さま」の話が出てくる。

 「いばら姫」では子供のいない王様と王妃の前に「蟹(カエルという説も)」が現れ、子供ができることを予言する。蟹やカエルの特性は水陸どちらにも住むということで、無意識から意識に出現するものを表すという。その無意識から意識に影響してくる様子が如実に出ているのが「カエルの王さま」だと、河合先生は言う。無意識の衝動の持つ執拗さは、意識にとっては非常に不快である、とも。

 ここで『あの子とQ』に戻る。

 「Q」は、トゲトゲでヌメヌメの黒い物体として描かれている。奇妙で奇天烈で、不快と恐怖をもたらす。現に、弓子も最初にその姿を見たときは驚いて「ばけもの」と表現している。

 弓子の試練は、大人の吸血鬼として社交デビューするためのもので、まさに大人になるための思春期の通過儀礼だ。不気味で気味の悪い「Q」との生活も10日間我慢すればおさらばだ。

 しかし、ある事件をきっかけに、「Q」は弓子にとって名もなきバケモノではなくなる。想定してある「打ち勝たなければいけない試練」より辛い試練をその身に引き受けることになる。

 弓子は「Q」の正体に疑問を持つ。そして自分の身を犠牲にしても、その解明に向けて動いていく。最終的にはことの真相を暴くのだが、そこで「君の名は。」と同じように、日常を取り戻したときには大切な記憶が失われているのだ。オーマイゴッド。

 読者はこれをじれったく思うのだが、続編に繋がるのだろうかというそこはかとない期待も抱く。だって〇〇が××で△△じゃない?これはきっと…

 前半と後半では物語の印象がまるで違う。
 あとはどうか、ご自身で本を読んで確かめていただきたいと思う。










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