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Review 18 ブラジル

 私が「ブラジル」という国を初めて知ったのは、小学生の時だった。

 昔々、学研に「科学と学習」という雑誌があった。それは定期購読して配達員さんが毎月家に宅配してくれるシステムで、配達してくれるのはたいてい女性で、「学研のオバチャン」と呼ばれていた。

 他にも「ニッセイのオバチャン」や「ヤクルトのオバチャン」もいた。結婚してなくても子供がいなくてもその仕事に従事する女性は、当時は「オバチャン」だった。そんな時代がありましたな。笑

 それはともかく、私は「科学と学習」の「学習」のほうの、夏休みの「読み物特集号」というのが格別に好きだった。

 おそらくその中に、あったのだと思う。
 ブラジルにいる叔父さんの話が。

 内容は全く覚えていない。いわゆる本筋とは違う、挿話だったと思う。ブラジルと言う国があり、そこは飛行機で40時間もかかるところで、日本から見て地球の裏側にあたり、多くの日本人が「移民」として移り住み、コーヒー農園などで働いている、という説明がなされていた。確か、主人公の男の子のおじさんは、そこに移民として渡ったのだった。

 地球の裏側にあるのだったら、穴を掘ったらそこに着いちゃうのかなぁというような、子供らしい疑問が投げかけられていたように思う(「はっはっは。そんなことはないよ」と大人に言われていた気がするが、その問答が本当にその作品の中に出て来たかどうかさえ、うろ覚え)。

 このお話を読んだのが、何年生の頃のことかもわからない。ただ、ブラジルという国があり日本からみて地球の裏側にあたるということを、その時私は、その「読み物」で初めて知ったのだ。

 本当にその話が「読み物特集号」の中にあったか否か、という真偽のほどはおいておいて、今回、なんでまた私がそんな話を持ち出したのかというと、例の「読書の秋2021」のポプラ社さんからの賞品の本を読んだからだ。

 すみません。ひっぱり過ぎですよね。
 読書の秋…って。もうすぐ春ですよね。
 ほんと、すみません。もうすこしだけ、おつきあください。 

 さて。そんなわけで、角野栄子さんの『わたしのもう一つの国』を、読んだ。

 1981年にあかね書房から出版され、文庫化された後、描きおろしの「あとがき」とともに、2020年にポプラ社から単行本として出版された。

 角野さんが若いころ、結婚と同時にブラジルに移民として渡っていたということを、遅ればせながらこの本によって知った。当時は船でしか移動手段がなく、渡航にも制限があり、難しい試験を突破した国費留学か移民しか渡航の手段がなかったのだという。

 この本は、日本に帰国してから生まれた娘さんが十三歳になったときに、ふたりでブラジルに旅をしたときの旅行記だ。

 十三歳。
 そう。娘さんが『魔女の宅急便マジョタク』のキキと同じ年だった時の旅だ。

 『魔女の宅急便』は、ジブリの超有名アニメ作品だが、私はこれまで、この作品にとことん、縁がなかった。そもそも、原作の出版は1985年。私が高校に入った年で、微妙に児童書から離れていたこともあって、手に取らなかった。その後映画化され人気を博し、いつかアニメも原作もと思いながら、チャンスが無かった。不思議なことに『魔女の宅急便』が放送されるときはことごとくなんらかの用事が入る。なぜかわからないがジブリで『魔女の宅急便』だけ観ていない。

 だから初めて角野栄子さんを知ったのは、テレビでご本人がお宅を紹介している番組で、だった。鎌倉の素敵なお家で、カラフルな調度品とカラフルなお洋服が、角野さんのチャームポイントである白髪はくはつに映え、とても素敵だった。

 その日。つまり「いつか読もう」の「いつか」が、ついに来た。
 満を持してまずは『魔女の宅急便』を読み、それから、『わたしのもう一つの国』を読んだ。

 角野さんは、「ブラジルに行っていなかったら作家になっていなかっただろう」とあとがきに書いている。彼女はブラジルで、ルイジンニョという名のひとりの少年に出会った。その男の子のことを書いた作品が、デビュー作だった。

 つまり、角野さんがブラジルに行かなかったら、キキの物語は生まれなかった、と言うことになる。あの名作アニメも生まれなかった。ジブリを愛する日本人にとって、角野さんのブラジル行きは重大なエポックだ。

 若い角野さんは、かの国でとてもエキサイティングな月日を過ごし、帰国する。その後生まれたお嬢さんの名前は「リオ」。リオデジャネイロの「リオ」からつけたお名前だ。娘さんが十三歳になったとき、どうしてももう一度ブラジルに「帰り」たくなった角野さんは、娘さんとふたり、ブラジルへと旅立つ。1980年の夏休みのことだ。

 旅行と言っても、ツアーに参加したり日程の決まっている旅行ではない。キッチンの付いている部屋を借りて、五十日を過ごす。そこで「生活」をするのが、角野さんの真の目的だった。途中、ブラジル国内の街に足を延ばす。自由な旅だ。

 意気込んでかの国に乗り込むが、若い頃に楽しい時を過ごした思い出と、その旅で出会う事柄の、印象が食い違う。街並みが違い、人々の様子も変わっている。最初こそ「こんなんじゃなかったわ」などと思うことがあるのだが、角野さんの立ち直りのスピードはとても速い。「いまはこうなんだ」と受け入れると、あっという間に「それなり」に順応する。その柔軟さには驚くばかりだ。

 『魔女の宅急便』の映画は、原作と少し違うらしい。私はなにしろ映画をまだ観ていないのでそこについての言及は避ける。あくまで原作を読んだだけではあるが、すこしだけお話に触れると、魔女の娘キキは十三歳のある満月の夜、「まだ魔女のいない町」を探して旅立つ。行先の宛てもなく家を出たが、楽天的で前向きなキキは希望に満ちている。考えたあげく、生まれてから見たことの無い「海」を見に行こう、と思い立つ。そして海の近くの街にたどり着くのだ。キキはそこで、一人前の大人、一人前の魔女になるべく、奮闘する。

 キキと娘さんが重なる。いや、それ以上に、角野さんとキキが重なる。角野さんはおいくつになられても褪せることの無い、瑞々しい感性を持っていらっしゃる。果てない好奇心と、新しいものを受け入れる心。

 旅の間、リオさんの行動に苦言を呈したくなって、「どうやら、あたしの考えはかたくなってる」(この時角野さん43歳)という場面があるが、とんでもない。そう思った次の瞬間には、「今は目をつむって、この娘のあとについて行ってみることにしようか。案外面白いものがみられるかもしれない」と思っている。いつもいつも新しい驚きと喜びを素直に心に受け入れる感性と度量に、こちらが驚かされる。

 大人の階段を昇り始めたばかりのリオさんは、角野さん譲りのおおらかさで、のびやかに物事を受け止める。時にはママをたしなめたり、背伸びをしたり。そんな娘さんの成長を優しく見守りながら、自分自身がワクワクする心を抑えられない角野さん。ふたりはまるで仲良しの友達のように旅をする。リオさんの、弾力があるマリのように弾む心は、そのままその挿絵に現れている。ちなみに、今回の単行本の表紙は違う方だが、挿絵はリオさんが14歳のときに描いたものだ。

 行く先々で、ふたりは様々な「ブラジルの現実」に直面する。大笑いするような楽しいこともあるが、怒りでカッとしてしまいそうなこともある。ガッカリするような悲しいことも、ニヤリとすることもある。その都度、角野さんの含蓄の深い言葉に接する。ふたりが出会った出来事の詳細や、その言葉をここにも書き記したいが、長くなるしネタバレになるので割愛させてもらう。

 ただ、角野さんが若い時を過ごした国と土地と人を、とても大事にしているのだということは、本のどこを開いても、ひしひしと伝わってくる。何十年の時を経て、その場所がどんなに変わっていても、良いところを見つめ変わらずに愛を叫ぶ。 

 いや、本当に叫んでいる。

 ビバ ブラジル!
 メウ ブラジル!
 わたしの ブラジル!

『わたしのもう一つの国』あとがき P163

 私も外国に住んだことがあるが、はたして角野さんのようにその地を「もう一つの国」と言い切り、惜しみない励ましと賛辞を送れるだろうか。外国に住むということは、悪いことばかりではないが、いいことばかりでもない。きっと「ただ住んだだけ」では駄目なのだ。その国の現実と向き合い、自分の現実と向き合い、単純な好悪ではなく、その上の、もっと大きな心で包み込む愛があって初めて「もう一つの国」と言えるのではないか、と思う。新しい街でキキが成長し、大人になっていくように、自分を成長させてくれた土地と人への感謝が、その「愛」につながるような気がする。

 ブラジルが好きな理由を、角野さんは「肌の色で人をわけないから」という。様々なところから人が集まった国でも、これほど肌の色に無関係に初日から「ブラジル人」になれる国はない、と角野さんは言う。

 角野さんの旅と人生は人に彩られている。この本の「さいしょのあとがき」で、「スペースシャトルに乗ってみたい、大人になったら必ず切符を買う、ママにも買ってあげる」と言ったリオさんの言葉に喜びながらも「でも、ママは地球がいい。人間がいるところのほうが賑やかでいい」と答えている。角野さんの人間への強い興味と愛情は、人と人を結び付け縁を産む。ただしそれはとても、軽やかだ。全く重くない。キキが魔法でほうきに乗って飛び回るように、爽やかに人と関わる。

 その妙味に、ぜひこの本で触れてみていただきたいと思う。

 最後にもうひとつ。角野さんは上皇后美智子さまと古くからのお友達なのだそうだ。同い年で、時々お電話でお話ししているというネット記事(林真理子さんとの対談だった)を読んだ。

 この記事を読み、上皇后さまは角野さんのお話を聞くのがきっととてもお好きで、楽しみにされているんじゃないかしら、と思った。

 上皇后さまも日本中、世界中をご公務で訪問されたと思うが、角野さんの旅は鳥のように(魔法使いがほうきで飛ぶように、というべきかもしれない)自由だ。軽やかに朗らかに世界を見ている角野さんの自由さは、心に清涼な風を運んでくれる。ただでさえ、年月を経た友との会話は得難い幸せだ。この記事を読みながら、一般人には想像もつかないおふたりの会話を勝手に思い浮かべて、なんだか少し、羨ましくなった。

※タイトルに国名を持ってくるのは、実際に自分が行った国の旅行記にのみにしようと思っていたのだが、今回はうんうん考えてもこれ以上のタイトルが思い浮かばなかった。笑






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