本音が言えなくなった瞬間
この記事は2024.8.5の音声配信を文章にしたものです
はじめに
先日、同じタイトルでリールを作りました。
そのリールが1500再生され、多くの人に見てもらえてとてもうれしかったです。
と同時に、「そういう瞬間は誰もがあるのかな」「もしかしたらみんな多かれ少なかれ経験していることなのかもしれない」と思いました。
少しリールと重なりますが、その内容をここでもお話したいと思います。
進路の違和感
わたしは親の希望通り、看護師と保健師の資格を取るために看護学校に入りました。
本当はこの大学受験のときから、「これでいいのかな」とずっと違和感がありました。
でもそれ以上に自分のやりたいことも見つかっておらず、覆せる理由というものもなく…その違和感には目をつぶり、ただ現状に流されていました。
勉強する中で、仕事にできたら素敵だろうな。かっこいいだろうな。という憧れが湧いてきました。
でもその反面どんどんつらさは大きくなり、自分の心がついていかない状態になってしまいました。
勇気を出して本音を言ったとき
ちょうど大学2年生のころ、一度母に辞めたいと話したことがありました。
かなり勇気を振り絞りました。
そしたら母は「辞めてもいいよ」と言ってくれたんですね。
その言葉が意外で驚きました。
でも、結果的には辞めませんでした。
なぜかというと、そのときの母の声や表情が怖かったから。
わたしからするとその場が凍りつくような感じがあって、言ってはいけないことだったと思いました。
「辞めてもいい」の裏には「辞めてほしくない」気持ちがあると、はっきりわかりました。
その瞬間、わたしが本音を言えば親を傷つけてしまう。
もう学校も辞める選択肢はないんだと悟り、それ以上何も言えなくなってしまいました。
そしてもうこの先、親には多分本当の気持ちは言えないだろうなと思ってしまいました。
我慢した結果、適応障害に
当時は、こんな怖い思いをするぐらいならつらくても自分が我慢した方がいいんだと信じていました。
今だからこそ、自分の意思を通して辞めてたらどんな人生だったかな?考えることもあります。
でもまだ小さい時は、多分わたしも自分の感情を出せていたと思うんです。
誰もが最初の最初からなにも言えなかったわけじゃないと思います。
ですが、わたしのように親との関係に悩む人は、多分こういう本音を言うのが怖いと感じた瞬間を、それぞれ持っているのかもしれないなと思いました。
適応障害になるまでの約10年間はほとんど自分を出さなくなって、10年もどうやって気持ちを保ちながら生きてたのか、と全然記憶にないぐらいです。
人生の暗黒期と言えるくらい、つらい気持ちを抱えたまま走っていたような気がします。
みなさんも本音を言っても無駄だな、とか、なかなか怖くて言えない、と強く思った瞬間はありますか?
みなさんの経験も教えていただけると嬉しいです。
stand.fmでも配信しています。
「LISTEN」では、音声を聴きながら文章も読むことができます。
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