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恋っていつか必ず過去形になってしまう 『花束みたいな恋をした』

映画「花束みたいな恋をした」を観た。

前評判がとても良かったので楽しみにしていたけど、期待しすぎると往々にして肩透かしを食らうので、気持ちを落ち着けつつ映画館に向かった。

結果、多くの人が賞賛するわけがわかったし、私自身、観てよかったと心から思えた作品でもあった。


1. 「恋」が上り坂な時間の尊さを噛みしめる

この映画は大学生の麦(菅田将暉)と絹(有村架純)との5年間の恋を描いた物語。

二人は趣味嗜好が驚くほど似ていて、お互いを知れば知るほど惹かれ合い、恋に落ち、最終的には同棲するまでの仲になる。

二人にとってこれほど幸福で楽しい時期はない。
人が恋をするのはこの時期の「幸福感」を味わうためだと言っても過言ではないわけで。おまけに時間の自由がきく大学生の麦と絹はいつも一緒で、恋が生活の中心という幸せの絶頂。


恋愛初期から気持ちが最高潮にときめくまでの時期は、相手の全てを肯定的に捉えることができる。
それと同時に、お互いを運命の人と感じたり、この幸せな時間が永遠に続くと素直に信じられたりもする。友人カップルがうまくいかない様子を目の当たりにしても、自分たちには関係ないことだと思えるし、いずれ訪れるであろう恋の終わりなど想像だにしないのだ。

「はじまりは終わりのはじまり」

そのことを頭でわかっていても、「この恋は違う」と思わせてしまうのが「恋」なのだ。


鑑賞者の多くはこの幸福な二人を見るにつけ、自分にもかつて彼らと同じような気持ちで過ごした恋の季節があったことを思い出す。そして「好き」という想いの尊さを改めて噛みしめるのだ。

そもそも、タイトル「花束みたいな恋をした」は過去形で、その恋がすでに終わっていることを示唆している。
つまり、鑑賞者はそれを想定した上で、主人公たちの気持ちの変化をなぞり、自分自身が経験した恋をノスタルジー的に、あるいは切なく思い出すことになる。
多くの人にとって映画「花束みたいな恋をした」は、かつて胸をこがした「あの恋」を振り返るための映画なのだ。


2. 時間と共に失ってしまったもの

しかし、時間と環境が二人を変える。

大学を卒業し、「生活」が現実のものとして麦と絹の前に立ちはだかった。
二人だけの世界に没頭できた季節は終わりを告げ、大人として、また社会人として生きていくために新たな季節を生きることを余儀なくされる。
つまりは、就職をすることになる。

それによって、麦と絹の生活に変化が訪れる。
お互いそれぞれの世界を持つことになり、少しづつ距離が開いていく。


こうやって変わっていくのだ。
少しづつ。音もなく。




彼らが時間と共に失ってしまったものとは、恋が上り坂だった頃のときめきや情熱。

でもこれは仕方がない。
永遠に登り続けることができる山がないように、いつかは頂上にたどりつき、その後は下っていくしかないからだ。

人生は変化の連続で成り立っているし、人は変化し続けるもの。
その普遍的な法則に従い、麦と絹、環境、そして周囲の人々など様々なものが変わっていく。

二人が大好きな「焼きそばパン」を売っていた近所のベーカリーは閉店し、麦はスーツを着るようになり、大好きな絵を描くこともなくなった。
絹は相変わらずマイペースに生きていたが、好きなことを諦めて現実に生きる麦との距離を感じるようになる。

二人はすれ違う気持ちを埋めることができず、そして倦怠期を乗り越えることなく、あるいは倦怠期にうんざりして別れを決める。
しかし、二人で過ごした濃密な時間を切り捨てることは大きな痛みを伴う。

別れのシーンで麦と絹が流す涙は、自分たちが時間の経過と共に失ってしまったもの、そして「別れ」によって失おうとしているものが、どれだけ大切なものだったかを改めて知ると同時に、それが二度と取り戻せないものだと自覚したから流れた涙だ。


ここで鑑賞者は再び自分と主人公たちを重ね合わせる。
誰もがきっと一度は経験したであろう、恋を失う、あるいは恋を終わらせる時の痛みを思い出す。その恋が楽しければ楽しかったほど、共に過ごした時間が長ければ長いほど、時間と共に失ってしまったものの価値を改めて思う。

「どうにかしたくても、どうにもならないことがある」

そう知った時の無力感までもが蘇り、ザワザワと心を乱す。

それでも、終わりは終わり。
はじまりがあれば必ず終わりがある。

そう、恋はいつか必ず過去形になってしまうのだ。





私はといえば、映画を観ながら自分自身の「花束みたいな恋」に思いを馳せ、自分が失ってしまったものと、それを経て存在する「現在の自分」との距離をゆっくりと振り返った。

今の私はもうあんなに素直な恋はできないし、もしかすると恋を終わらせる勇気さえ持ち合わせていないのかもしれない。
でも、この作品を鑑賞しながら「あの頃」を思い出して涙する自分は嫌いじゃない。もしかするとこの先、私なりの「花束みたい恋」に出会えるという希望は持っていてもいいのかもと思えるから。

だって、この映画に、主人公たちに共感できるんだから。


そして、麦くん。
「ガスタンクにはまっているような男の子、好きだな」と思うのであった。


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