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民泊で得た自由と副業の大切さ(ブラック企業時代から今に至るまで)

現在、私は6つの民泊施設を運営して、生計を立てています。
民泊ビジネスは副業としてではなく、本業です。
月〜日曜、毎日仕事です。ゲストからメッセージや電話が昼夜問わず、来ます。
民泊ビジネスを始めて、6年目。
仕事と生活が混合しています。
朝ご飯食べていても、メッセージが来るし。
運転中も読書中、如何なる時も通知は来ます。

でも、毎日充実しています。
誰かの監視下のもと、仕事してるわけでもありません。
場所に縛られない働き方をしています。
普段は自宅書斎で仕事。
飽きたら、近所のカフェに移動したりと。

こんな生活ができるなんて、数年前は思ってもいませんでした。
現在、37歳の私ですが。31歳までは超絶ブラック企業勤務していました。
業界自体がブラック。その中でも、私が勤めていた会社はさらにブラックでした。
ちなみにエンタメ業界でした。

テレビで見ていた人達が間近にいて、華やかな世界。
刺激的な日常を送っていました。

しかし、拘束時間がとにかく長い。
疲れ果てた私は、考えたことがある。
俺の仕事は時給に換算すると、いったいいくらなんだ?
計算したら、泣けてきた。
数百円だったと記憶している。

当時のインスタ投稿を見てみた。
「自身の連勤記録更新。#38日→40日」
今考えると全然、自慢することじゃない。

安月給だけにとどまらず。
上司のパワハラも凄かった。
昭和体質が色濃く残る会社でした。

「お前なんかいつ辞めてもいいんだぞ!」
「代わりはいくらでもいる!」
「お前なんか、沖縄帰れ!」(←このフレーズ、何度言われたことか)

酒の場では顔面を殴られることもありました。
(殴られた時、すでに令和。令和の会社員で、顔殴られることとかある?)

過労でヘルニアを患い、31歳で退職。
仕事も決まらない中、沖縄に引き上げ帰って来ました。

幸いにも貯金150万円があったので、全額投じ、民泊開業。
当時はどこか就職するつもりでした。
民泊から副収入が生まれたら嬉しいくらいで始めました。
予想以上にお金を生んだので、本業にしたという経緯です。

当記事を読んでいる皆様の今の状況、生活環境はわかりません。
でも、私もそれなりに逆境を経て、今に至ります。

前職に勤めていた時は、毎日が憂鬱で出社したくない。

このまま、オレは幸せになれるのか?
家庭は築けるのか?
子供が生まれたとして、養っていけるのか?
何度も自問自答したことがあります。
答えはNOでした。

沖縄に戻り、幸運にも民泊に出会いました。
生活と時間に余裕が生まれ、当時からすると想像できないほどに理想のライフスタイルを送ることができています。

1つ気づいたことがあります。
何か副業で成果(お金を生む経験)を得ることができると、自信が付きます。
生活に余裕が生まれるほどでないにしても、気分は上向きになれます。
『これ、極めたらオレいけるんじゃね?』
上司に叱られても、「これ極めて、いつか会社辞めてやる!」
本当に辞めるまでに至らなくても、反逆心を心に持てるだけで、心は上向きになれると思うのです。

私は民泊ビジネスについて、日頃発信していますが。
民泊以外でも副業を始めることを私は応援しています!
副業は日々の心を豊にすると私は考えています。


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