Minokata

参拝記とか。写真は基本的に自分で撮影。敬称略。

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記事一覧

宗派と総本山 (中)

 総本山の権限をめぐる紛争が解決され、昭和40年2月の臨時宗会で宗会議員の顔合わせが行われた真言宗東寺派。次の宗会を3月30日開催と決定し、宗派は本末和合して新たな一…

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2年前

宗派と総本山 (上)

 京都には世界遺産が数多くあるが、その中でも市街にあって有名なのが東寺であろう。木造建築としては日本最高の五重塔を擁し、景観を守るため条例であまり高いものを建て…

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2年前
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紫陽花邑の話

 数年前、奈良県の「大倭教」という宗教の本部に参拝した時のことである。突然の参拝にも関わらず、職員の方がすこぶる親切に対応・説明して下さり、再度参拝したいと素直…

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2年前
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針ケ別所村異聞

 中山ミキが天理王命の「神のやしろ」となり、天理教が開かれてから二十年近く経った頃の話である。  慶應元年の夏、年々増加する信者の中に”助造”なる者が居た。助造…

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2年前
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生活即宗教

 静岡県浜松市の奥山という、その名の通り山深い場所に「皇衜治教カナメ神宮」がというお宮が鎮座している。 「皇衜治教」は「コウドウジキョウ」と読み、「行」の間に「…

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2年前
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予言の結末

 昭和四十九年(1974)六月、来る夏の参院選に向け保革両陣営の熱戦が既に始まっていた。各陣営が告示前から政治ビラを撒いたり、街宣カーを走らせた。田中角栄首相も派手…

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3年前
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宮司と信仰

 昭和三十一年(1956)八月三日、宗像大社三宮の一つ、中津宮へ向かう一団を乗せた船が大島へと到着した。一団を率いていたのは宗像大社宮司・佐伯昌徳である。佐伯宮司は…

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3年前
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宗派と総本山 (中)

宗派と総本山 (中)

 総本山の権限をめぐる紛争が解決され、昭和40年2月の臨時宗会で宗会議員の顔合わせが行われた真言宗東寺派。次の宗会を3月30日開催と決定し、宗派は本末和合して新たな一歩を進む…、ハズだった。

 昭和40年3月16日深夜、湯口英巌の所属する真言宗東寺派神奈川支所に朝日新聞京都支局から電話がかかって来た。突然だったが、その内容も「誠に寝耳に水とは此の事」だったという。
 内容は、総本山である教王護国

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宗派と総本山 (上)

宗派と総本山 (上)

 京都には世界遺産が数多くあるが、その中でも市街にあって有名なのが東寺であろう。木造建築としては日本最高の五重塔を擁し、景観を守るため条例であまり高いものを建てられない京都では、五重塔を様々な場所から望むことが出来る。その歴史的古さも相まって、あの司馬遼太郎も知人に京都を紹介する際には真っ先に案内したらしい。

 正式名称は「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」というらしいが、法人名としては「教王護

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紫陽花邑の話

紫陽花邑の話

 数年前、奈良県の「大倭教」という宗教の本部に参拝した時のことである。突然の参拝にも関わらず、職員の方がすこぶる親切に対応・説明して下さり、再度参拝したいと素直に思いながら教団本部を後にした。
 その数ヶ月後、偶然手に取った松沢呉一『新宗教の素敵な神々』に大倭教が取り上げられていた。なんでも取材条件に「褒めないでくれ」というのがあったという。謙虚な態度にますます興味を持ち、参拝時に頂いた冊子などを

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針ケ別所村異聞

針ケ別所村異聞

 中山ミキが天理王命の「神のやしろ」となり、天理教が開かれてから二十年近く経った頃の話である。

 慶應元年の夏、年々増加する信者の中に”助造”なる者が居た。助造はミキのいる庄屋敷村から東へ険しい山々を超えたずっと先にある福住村の更に奥、「針ケ別所村(はりがべっしょむら)」から来たという。ミキのいた現在の天理市市街からは直線距離で20kmはあろうかという場所だった。この頃は福住村と往来する道が完成

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生活即宗教

生活即宗教

 静岡県浜松市の奥山という、その名の通り山深い場所に「皇衜治教カナメ神宮」がというお宮が鎮座している。
「皇衜治教」は「コウドウジキョウ」と読み、「行」の間に「首」の字は「道」の異字であるため、「皇道治教」と記される場合が多い。

 皇道治教は長い伝統が持つ宗教とのことだが、法人的な話をすれば戦前、木舟直太朗が設立した教団である。木舟家は浜松で有名な実業家・金原明善の親戚で、直太朗も化学工業関係の

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予言の結末

予言の結末

 昭和四十九年(1974)六月、来る夏の参院選に向け保革両陣営の熱戦が既に始まっていた。各陣営が告示前から政治ビラを撒いたり、街宣カーを走らせた。田中角栄首相も派手な選挙戦を繰り広げ、これが後に金権選挙などと言われることになる。
 そんな情勢の六月十三日、東京で奇怪なビラが大量にばら撒かれているとの声が警察に多数寄せられた。

 聖霊降りて大警告を発す
 来る六月十八日午前八時大地震起こる
 一同

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宮司と信仰

宮司と信仰

 昭和三十一年(1956)八月三日、宗像大社三宮の一つ、中津宮へ向かう一団を乗せた船が大島へと到着した。一団を率いていたのは宗像大社宮司・佐伯昌徳である。佐伯宮司は五十余名にもおよぶ大人数を連れて中津宮の神殿へと向かった。一団は二本の幟をなびかせ、白鉢巻を巻いている。
 神前に着くと、彼らは佐伯宮司と共に礼拝を始めた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」
 この時、響いたのは念仏だった。宮司と共にや

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