見出し画像

針ケ別所村異聞

 中山ミキが天理王命の「神のやしろ」となり、天理教が開かれてから二十年近く経った頃の話である。

 慶應元年の夏、年々増加する信者の中に”助造”なる者が居た。助造はミキのいる庄屋敷村から東へ険しい山々を超えたずっと先にある福住村の更に奥、「針ケ別所村(はりがべっしょむら)」から来たという。ミキのいた現在の天理市市街からは直線距離で20kmはあろうかという場所だった。この頃は福住村と往来する道が完成したことで、この地域から中山ミキの所へ来る参詣者が増えていた。今でこそ名阪国道のおかげで往来が楽に出来るが、あの山々を徒歩で超えていたのだから、昔の人は凄かったという他無い。

 この日参詣に来た助造は眼病を患っていた。しかし中山ミキに見てもらうと神の力ですっかり治ってしまった。これに感動した助造は以降、熱心にミキのもとへと参詣するようになる。ミキの方でも遠方から参詣した助造のことを篤信者として可愛がった。
 ある日、いつものように参詣した助造は、ミキから特別の指導を受けることを許される。「扇のさづけ」という特殊な神業で、扇を使って神意を伺うことができるようになるらしい。この神業は一部の信者にだけに授けられる神事だった。ミキは、そこまで助造のことを信用していたのである。

 ところが二カ月程して、ぱったり来なくなってしまった。それどころか、福住村方面からの参詣者が減り始めている。助造を知る屋敷の者たちは何かあったのではと心配していたが、数日後、とある情報が舞い込んできた。

天理王命の本地は針ケ別所村である。庄屋敷村の神様は垂迹である。
助造は天理教における本地垂迹説のようなものを唱え、地元で多くの信者を獲得しているらしい。

 令和に至るまで多くの分派教団を産むことになる天理教が、初めて経験する本格的な異端・分派事件だった。


ここから先は

5,495字 / 5画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?