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宮司と信仰

 昭和三十一年(1956)八月三日、宗像大社三宮の一つ、中津宮へ向かう一団を乗せた船が大島へと到着した。一団を率いていたのは宗像大社宮司・佐伯昌徳である。佐伯宮司は五十余名にもおよぶ大人数を連れて中津宮の神殿へと向かった。一団は二本の幟をなびかせ、白鉢巻を巻いている。
 神前に着くと、彼らは佐伯宮司と共に礼拝を始めた。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」
 この時、響いたのは念仏だった。宮司と共にやってきた一団は現在の福岡県筑紫野市二日市にある浄土真宗のお寺・正行寺の信徒達で、彼らは講習会の名目で中津宮に参篭するためやって来たのである。

 この一件について、島民や氏子たちの間で話が広まった。
 それもそのはず、中津宮では仏事の際三日間は参篭しない習慣があった。つまり神社に仏教関係を近づけない風習があったのである。にも拘わらず、こともあろうか神前で南無阿弥陀仏を唱えるなど縁起でもない、と氏子たちは激怒した。しかも宮司自らが引率しているとは何事か…。
 実は、この佐伯宮司と氏子の対立はこの一件以前から燻っていた問題であり、この団体参拝を境に表面化したと言われる。神社本庁も旧官幣大社の騒動を傍観するわけにもいかず、調査のために葦津珍彦を現地に派遣するなど対応に追われた。

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