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STAP細胞と研究不正について真面目に


2024年3月22日(金)

小保方さんのSTAP細胞事件で「研究不正」ってものが世間的に注目されたけど、事件以後、むしろ研究不正は増えているというニュースを見た。
ちょっとびっくり。
現場的には、あれ以降、実験ノートとかデータの管理とか厳しくなったし、不正を発見し報告する仕組み作りも進んだから、不正しづらくなってるとは思う。
増えてるのは、それ故に、不正と認定されやすくなってるからかな、と思う(交通安全週間になったら、違反取られやすくなるのと同じ話)。
ちゃんと調べた訳じゃないから、印象の話だけどね。
一応言っとくと、僕は不正したことないです。

で、なんでこの話をしたかと言うと、一般には、STAP細胞事件は研究不正の問題だと、未だに理解されていない気がするからだ。
なんかSTAP細胞が「あるか・ないか」とか、小保方さんは潰されたみたいな陰謀論とか、そういう研究の中身の問題や社会の問題として扱われてる気がするけど、そうじゃない。
STAP細胞事件は研究不正の問題だ。
つまり、研究のやり方、論文による報告の仕方が、研究の世界で正しいとされている方法に則っていないことが問題なのだ。
それに比べたら、正直、あるか・ないかとかどうでも良い(あるとされたものがないことも、ないとされたことがあることも、研究の世界では普通)。
「あるか・ないか」はサイエンスの話だけど、STAP細胞は研究の方法が間違えているから、そもそもサイエンスの話を出来るレベルに至っていないからだ。
スポーツにたとえると、一番でゴールしたけど、そもそも靴が使ってはいけないものだったから、順位とかタイムとか、スポーツの話にならないのと同じことだ。

バイオテクノロジーの研究をしていると自己紹介すると、未だにSTAP細胞の話をされることがしばしばある。
「STAP細胞って無いんですか?」とか聞かれると、「ほぼ確実に無いけど、あるとか無いとか以前に、あれは研究不正の問題なんですよ」と答えている。
なんならiPS細胞より有名なのでは、と思う。
それ程までにあの事件は一般社会にもインパクトを残したし、他に同じぐらいインパクトのあるバイオ(テクノロジー)の「正しい」研究が無い、ということだと思う。

スポーツと同じように、研究にはルールがある。
やって良いことといけないことが厳格に決まっている。
そして、みんながそのルールに則っている、という性善説的な前提がある。
だから、実際にはその研究者が実験している所を見なくても、ただの文字と図だけの論文で、その研究が正しい(あるいは、間違っている)と、世界中の研究者が評価し、数十年、数百年と受け継がれていくのだ。
この研究という営みの常識みたいなものが、研究の外の世界、社会全体とも共有されていって欲しい。
そうすれば、研究不正の抑止にも繋がるだろうし、ひいては研究の進展にも繋がるだろう。

真面目に語ってしまった。
ついでに高校野球の話をしておくと(ついでとは?)、作新学院、僕の中では一番の優勝候補だったんだけど、負けてしまったなぁ。
神村学園は去年からの経験もあって、なかなか底力がありそうだ。
優勝もあるかも?
大阪桐蔭の平嶋くんは確かに馬力あるけど、あのシュート回転はドラフト候補としてはどうなんでしょ?
大阪桐蔭ってことで、厳しく見過ぎかな。

週末は天気が悪そうで残念だ。
未だに桜は咲かない。

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