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SF小説の未来予知が間違っているとkawaii【読書記録】

アーサー.C.クラーク「火星の砂」を読みました。

1950年ごろ書かれたもので、SF大家の長編2作目になります。開拓中の火星を訪れた作家の物語。

初めての宇宙旅行で離陸に緊張する主人公、「水鉄砲式」で水分を補給していたが重力が戻ってくると嬉しくなってコーヒーを器に入れて飲みたくなる船員。つい持っていたものを落としてしまい、いけねえ重力あるんだった重力重力、ってなる感じ。
火星探索の前に「無重力あるある」がたくさん出てくる。
70年以上も前に書かれた小説で、火星に生き物がいるならこう進化してるんじゃないか、植物があるならこんなじゃないかな、と想像をふくらませて書いてる感じ。特に楽しいことが起こってないうちから幸福感がある。

火星の住人たちは、目ぼしい資源がないために地球から支援を受けづらくて不自由な生活をしている。
70年前の小説なので、「2023年未来の読者」である我々にとっては、カメラで写真を撮ったら現像したり、電報みたいなもので通信する場面を読んで、
「あ、ここは間違ってるな、さすがにカメラと電話と本が合体するのは予想できなかったか」
とか、答え合わせができるのも楽しい。

昔のSF小説で、未来予想の「答え合わせ」ができると楽しい。

世界一の愛され映画、バックトゥザフューチャーは、2020年の未来に行くパート2が映像的にいちばん心躍る。未来ファッションや日本人オーナーにアメリカ人がこき使われていたりするのは事実とかけ離れているのに、3Dのサメ映画の宣伝があったり、80年代コンカフェがあったり、意外なところが当たっている。

80年代カフェで、ファミコンの銃型コントローラを使う「ダックハント」というゲームを未来少年はバカにする。(ケンコバのゲーム番組だと、他にも似たタイトルがあったので違うゲームかもしれない)

事実では「スマブラ」にダックハントの犬が参戦!!していて、2020年代キッズもあのゲームを見たら、子供だましと言わず、興味持ってくれると思うけど。

SF小説にはシリアスな読み物が多いけど、作中の時代設定を追い越したSFは、間違ってることがどうしてもあるから、堅苦しさが抜けて、可愛さのようなものを感じる。 

もちろん過去の巨匠を小馬鹿にするような意図はなくて、この時代にここまで「事実」に迫ったのスゲエ!とか、「リアルかどうかに縛られず、自由に未来を思い描いていいんだ!」って開放的に読める。華氏451度も、未来の車は速いから看板が全部横長にできてるのが本筋と同じくらい記憶に残っている。

「火星の土」では最終的に、地球に内緒で火星用のミニ太陽を打ち上げて、地球の植民地扱いから事実上の独立宣言をするのだ。なんて豪快なプロジェクト!
「太陽」を乏しい資源でどうすれば作れるのか。ずっと火星を見守っている衛星を燃やして太陽化する作戦が秘密裏に準備されていて、知らされてなかった主人公の前に突然「太陽」があがり、火星住人の生活が一変するのを目撃するのだ。遠い未来で「そんなんできねーよ」と言われるのを恐れない、大胆で豪快な未来予想!
「当たってはないけど、そういえば似た計画あった!」と200年後ぐらいの読者に答え合わせしてほしい。


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読書感想文

SF小説が好き

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。