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【読書感想】コロナに傷つけられない程度の人生のぼくと高校球児「あの夏の正解」

コロナで甲子園が中止になった年に、
死にものぐるいで練習してきた愛媛・済美高校と石川・星稜高校の野球部に取材したルポ。

作者の早見和真さんも元球児で、プロを目指していたが有名選手を見てから自信を失い、ずっとだった。そのせいか、甲子園こそ清々しい青春の舞台!とはとらえてなくて、一歩引いて、野球好きなんだけど甲子園のちょっと異常なかんじもわかっている。

補欠だった経験を小説にして作家になったけれど、
「あの厳しい日々は何だったんだろう」
と、青春の日々を費やした野球について言葉にできないもやもやみたいなのは残ってるんだと思う。

その作者が、聞きなれないコロナとかいうものに甲子園中止が告げられた高校球児に話を聞きに行く。
今まさに「俺たちの厳しい日々はなんだったんだろう」と、思っているかもしれない球児たちに会いに行く。

最初はおそるおそる、しかし途中からぐっと深く切り込んで、お互いがセラピーのように言葉を出していく。質問ひとつひとつがとってもスリリングだ。
ピリピリした時期の受験生に「勉強してるの?意味あるの?」って聞くようなものだ。そっとしてほしいときだ。名門球児から見たら、プロの道を諦めて作家になったおじさんって、
「音楽を諦めてサラリーマンになったけど、そういう幸せもある」って言ってる大人に見えるんじゃないか。間違ってはないけど負け犬みたいな。

インタビューは思ったよりずっと穏やかにすすんでいく。
部員は髪が長くてマスク。監督も
「野球で心身をはぐくむというが、建前と現実が違う」ことについて激昂したりしない。
むしろ、早見さんが驚いたのはみんなが楽しそうなことだ。最初は甲子園を失ってリラックスして久しぶりに野球を楽しんでいる生徒が多い。そりゃそうだ。高校生で仲良しみんなとスポーツをしたら楽しいに決まってる。

だけど、楽しいだけで終われない数名の「こぼれた」球児が面白い。
印象的なのが、進路希望が消防士の選手だ。甲子園が中止になって、やめるかもしれない生徒として名前がたびたび出た子で、理屈でいえば甲子園で最高の思い出を作れないなら、すぐに退部して勉強をして、合格したあとでも甲子園のない野球はできる。

済美高校には、かつて甲子園で唯一、逆転満塁サヨナラホームランを打った選手の弟がいる。3年生だから最後のチャンスだった。
兄より体格に恵まれて期待されてきたのに、兄が甲子園でヒーローになった日以来、「ホームランを打ったあいつの弟」と周囲に呼ばれた。家族も「あの人の父、母」
「あの人の弟」が、自分自身を評価されたくて挑むはずの舞台がなくなった。

星稜高校は中学から6年間いっしょの部員が多く団結力のあるチーム。松井秀喜を生んだ郷土の誇りで、レギュラーになれなくても星稜の野球部で厳しい練習に耐えたことが誇りになる。

甲子園に照準をあわせて、その日程で人生最大に集中して戦うつもりでいたのに、それがなくなって、困惑したり逆にリラックスして楽しくなったりしていたところで、甲子園のかわりの交流試合が企画される。

プロ意識が高くて全試合を全力で勝つつもりの生徒と、ちょっと気が緩んだ生徒のあいだで足並みが揃わずに、試合は大差で勝っているのに空気がおかしくなる。
表面ではおだやかな今時の球児たちが心の底は爆発しそうな気持ちを隠していそうでハラハラする。この本になぜか怖さがあって引き込まれたのは、

甲子園って異常じゃないか?
と改めて思ったらから。
野球をやってない人は思ったはず。なんで野球だけ他の生徒も応援に駆り出されて、まだ十代で、ワンミスで号泣して一生を左右するような大会に出て、すごい数の大人が熱狂して、活躍した生徒がどこのチームにいくのか口出しされる。
特に気温が上がって熱中症の危険が大きくなってからは
「これは狂ってる。青春などではない」とSNSで主張するのもよく見る。本人たちはどう思ってるか知らないが、少なくとも監督はわかってる。

ぼくみたいに「コロナ禍でも生活に支障ないもんねー」の人たちがいる。
もともとインドア派だし友達いないから平気、気がねなく誘いを断って、家にいれてサイコー。群れないと楽しめない人種とは違うのさ。と外の人を眺めている、自分をふくめた人たちに問いかけられた気がした。

直に会いたい人もいない、心の底から行きたい場所もない、コロナで傷つけられない程度の人生で満たされるのか?と。


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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。