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小劇場はスパイシーで美しい

今年に入ってから、演劇を見るために小劇場へ足を運ぶようになった。

主に足を運ぶことの動機は目当ての役者さん、脚本家さんがいるからなのだが、それ以上に心を惹き付けられるものがあの場所には有ると感じるようになってきたこの頃である。

私は演劇に関して完全に素人で、知識もなくただただ観ているだけの人間なので間違ったことを書いていたり、なにか癇に障ることを述べてしまうかもしれませんが、悪しからず。

小劇場に足を運び、いくつかの作品を観劇するうちに分かってきたことがある。

それは、小劇場だからこそ出来る振り切った表現があるということ。これ、1000人も入るような大きな劇場では出来ないだろうな、ということとか、50人も入らないような街の片隅にある小さな劇場だからこそ許される表現というか。あまりに大勢の前で披露するには刺激が強すぎてしまったり、批判に晒される恐れがありそうな感じがしたり。

小劇場には少しニッチなところを突いた作品を求めてやってくる人が多いんじゃないかと思う。容赦なくバッドエンドだったり、観終わってからしばらく心がぐったりしてしまうようなものだってある。好みの分かれるようなものが多くて、大衆向けではないんだろうなと感じることが多い。作り手、演じ手もそれを承知の上で取り組んでいる感じがする。

自分でもよく分かっていないが、私は案外ストライクゾーンが広いのか、この作品は苦手だと感じるようなものにはまだ出くわしたことがない。ただ、SNSでは「あまり好みの話ではなかった」とはっきり感想を述べている人もいて、良くも悪くもそういう世界なのだと思う。

私は自分の好み以前に、その作品を作った人がいて、それを演じている人がいて、披露されるまでに積み上げられてきた時間があって、と考えるだけで全ての作品は尊いとすら感じてしまうので、好き嫌いで判断をする方とは考え方が根本からちがっているのかもしれない。

とはいえ、その前提を考えず作品を自らの好き嫌いでジャッジすることも決して悪いことじゃないと思う。お金を払いチケットを買って観劇している観客には、好き嫌いでジャッジする権利があると思うから。作品と観客は一期一会、その作品が自分にとってどんな存在になってくれるのかは観終わる瞬間まで分からない。

ただ、私にはあのサイズ感の箱でしか感じられない毒素というか、尖っていて、ギラギラしていて、どこまでも際限のないあの感じが、その様が、どうにも美しくて仕方なく思える。そして、それがどうにも癖になってしまっている。

小劇場では、マイクを通すことなく役者さんの生の声がダイレクトに耳に届く。息を吸い込む音ですら拾うことが出来る。そのとき、めちゃくちゃに「生きてるな〜」という感じがする。息が詰まるシーン、心臓がバクバクするシーン、ホッとするシーン、涙腺が緩むシーン、そのどれもに顕著に翻弄されて、感情の躍動を感じてやまない。人間って悪くないな、って思わされてしまう。人が生きることの美しさをひしひしと感じる。

「演じる」ことを選択した役者さんたちへの尊敬の気持ちとか、はたまた嫉妬してしまうほどの憧れとか、沢山のものを両手に抱えて帰路につくことになります。劇場で貰ったものを自分なりに言語化して、感想をブラッシュアップしてSNSに投稿するのもたのしくて好きです。

板の上で何者かに憑依する役者さんたちの姿に心が揺られて、その揺らぎから明日からまた生きていくための勇気やヒントをもらえるような気がするのです。

大きな劇場に比べると、チケットもかなりお手ごろです。
なんでもない1日の終わりに、”演劇を観に行く”という予定が入っていると、どうしようもなく心が躍ります。

最近刺激が足りないという方は是非、小劇場を訪れてみてください。
とっても美しくて、最高にスパイシーですので。

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