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構造の中で生き、構造の中で全ての命について考える

NVCトレーナーロクシーの講座の後に考えた。あ今取り組んでいるもの、特権について考える「私たちのトランスフォーメーションとNVC」のクラスにも重なること。

自分の身近な構造がもたらすのもの。
あ個人、地域、社会。
「社会的構造」「構造的暴力」について考えていた。
私個人が直面している社会的構造による恩恵に対する感謝がある。と同時に福島は地域として経験してきた構造や暴力がある。
「私」の住んでいる福島県は東日本大震災、福島第一原子力発電事故の被災地ではさまざまな心理的・社会的・経済的要因によるストレスを感じている人が数多くいます。
福島の土地を離れても、福島の自然や環境を守る活動をしている仲間もいます。

今もなお「相談者がいない・家族関係に困難」を感じ、ソーシャルサポートを必要としている方、
「不動産の心配・生活費の心配」などの経済的要因を抱えている方、
震災当時に感じた「死の恐怖」「津波や原発から必死に逃げたその時の恐怖」「被曝という絶望的な気持ちになるその瞬間の記憶」思い出しただけでも凍りつくような記憶の数々が、呼吸を狭め恐怖を思い出させます。
「賠償」や「帰還」の問題、政策決定されたことを受け取るだけでは 聴かれる必要のある声が聴かれないまま蓋をされてしまう。
「元気」を誘ってくれる活動はあるものの、本当の声に寄り添う方法は、多様にもっ身近にあってもいいのではないかと思っている。


東日本大震災の後、何が起きていたのか。
私は、この土地 福島に住む住人として知る必要がある。
そして、固まったまま、萎縮したままの状態で生きることから 少しでも解放される日々を送ることに 私という人間が貢献できるかを考えていた。(自分のしてきたことしかないけれど、必要としている人はいてくれると思ってる。)

私一人でやらない。サポートは求められるか。
昨年の活動では、多くの方の会うことが現実的に難しかった。
仲間は全国にいる。そのエネルギーを自分の身体で確認する。

同じ人間として、暮らしや日々を共に生きたいと願う。
そこにある声に耳を傾けること、聴き合うこと。
権威者は声を聞いてしまったら、何かしなければならない「責任への恐れ」があるのかもしれない。

「対策」や「解決」ではなく、聴かれることが必要なのであれば、
跳ね上がるような声も、分断を招く言葉の選択にも、その声の下にあるのは大事な声。
妬みや恨み、怒りや怖さ、感情の下には命が知らせてくれる大事なメッセージがある。それを願いとして掴むこと。
自分の意図を確認した時に、嫌悪感を持っているにも関わらず、自分がそ
構造的暴力の一つになっていることに気づく場面もある。
その繊細なハートをつなぎ合わせる活動をコツコツしていきたい。


自分ごととして考えてみることが、未来を想像する。
未来に起きる事は全てが予測可能なものばかりではない。
予測できない出来事に直面した時、私はどうするだろうか。何ができるだろうか。
福島原発事故被災者 苦難と希望の人類学 (単行本)

辻内 琢也 編著/トム・ギル 編著


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