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自分に向いていないな、と思うこと

投稿したいお題がnoteに溢れてる〜〜けれどあと30分くらいでベッドに入りたいと思っているので、お題投稿は年末に詰め込もうと思っている。



ところで、サイバーエージェントの石田さんの記事がまさに真理、この世の真理は言い過ぎかもしれないが就活の真理!だったので、就活生もしくは企業で採用に関わっている方は是非読んでみてください。

この記事に対する感想は就活を終えてからまたまとめて書く。



本題。自分に向いていないな、と就活を通して気づいたこと。
それは「メンターをつけること」。
今日はあえてこれを書く。

これが私には本当に向いていない。別に自己開示は嫌いではないし(こうやって発信もしているし)、知らない人と話をするのも好きである。

でもなぜかやっぱり「メンター」というものは自分には合わないのだなと思う。「メンターをつける」ということが自分には向いていないのだ。



就活において いわゆるメンター、アドバイザー、エージェント....みたいな感じで個別に色々支援してくれる大人(大学生の場合もあるかな?)をつけている学生は少なくないと思う。

もちろん自分に合う人に出会えればそれが1番だし、合わないと思ったら自分のこれからの仕事人生のためにもすぐにサヨナラするのが理想だと思う。



私の場合はメンターとの距離感、そして日程調整が必要なことが向いていなかった。

1つ目の距離感に関して言えば、一方的に自己開示しなければいけないことに納得がいかなかった。いまいち。今後その人とどうにかなるわけでもないのに。
面接官に自己開示するのは逆に抵抗がないのだ。落ちればもう二度と会わないし。一緒に働くことになっても(こちらが覚えていても)相手の方に覚えられている可能性は低い。全てを覚えていてもらえるわけがないし。だからこの距離感がちょうど良いのだ。面接時間は本当に短いしね。
メンターに就活支援をしてもらうには、ある程度の量の自己開示が求められる。だからこそ開示すればするほど、「この人は私の人生をより良くするためにここにいてくれるのだろうけど、自分はこの人に自分のことを話すことによって何かに気づけたのだろうか?」と思ってしまうのだ。
内省を1人で出来るタイプだからかもしれないけれど。口にしながら、あぁこれもう自分では分かっているのに、なんで今改めて言葉にしているんだっけ、と考えてしまう。

だから徐々に気持ち悪くなってしまう。自分の人生に介入するだけされて、どこかへ行ってしまう感じが。
自分は教師になりたかった期間も長く、踏み込んできてくれる先生たちをかなり信頼していた。だからこそ「そういう人たちとは違うんだ」と思ってしまうのかもしれない。
何より就活を応援しつつアドバイスをくれる今のインターン先の社員の方々の存在が私にとっては本当にありがたいし、きっと彼らだけで良かったのだ。今は。


2つ目の日程調整に関して言えば、頻繁に相手と話さなければならないことがとても億劫だ。月一で十分。その日のための準備に時間をかけるくらいなら、面接練習した方が良くない?とどうしても思ってしまう自分がいる。
面接というアウトプットだけを続けていても就活はうまくいかないし話すことが上手にはならないけれど、インプットに割ける時間は限られている。(まぁnote書いてインプットしてるし)
日程調整がうまくいかないと申し訳ないし、予定が空いていないということをなんだか言いづらい。もう本当に空いてないし限界だし、優先順位の付け方は1人で整理したい気がするんだよなぁ。



ごちゃごちゃ書いてしまったけれど、私は浪人時代もメンター(予備校でいうチューター)と決裂してしまっている。だからこそ自分の人生における大きな意思決定の場面で必要なのは、"それを支援するためだけに突如現れた大人"、ではないんだろうな。最初は知らない人と話している気分になるだけで楽しいんだけれどね。。。


自分に必要なものが何かわかっていたはずなのに、あれよあれよとメンターがついて流されてしまった。
就活がうまくいかないと思う原因が選考結果ではなくて メンターとのやりとりになってしまっていたので、本末転倒。


これを学びに、どこかに入社したら上司とは良い距離感を保てるように頑張ろう。自分のことを自分以上に理解してくれる存在のありがたさは分かっているけれど、自分のことを客観視する努力だけは辞めずにいよう。

そう思った。





明日はなんと10:00から21:00まで11hのインターンなので、その感想を書こうかな。

今日は面接→授業→学生団体→授業→帰省するためにお土産購入(笑)
と、なぜか自分へのご褒美に久しぶりにタピオカ飲んだので満足。

おやすみなさい。