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#8月31日の夜に

え、まだ8/3じゃなくない?と思った方は少なからずいらっしゃると思うが、8/31は、というか8月末はインターンで書く時間がないだろうから、あえて今書いておく。

去年も同じ題名でやたらとクサいセリフを書いていた。読み返すと恥ずかしいnoteって、こういうnoteのことを言うんだろうなぁ()なんてしみじみ思ってしまった。

まぁ去年の8/31の私は、1年後の今 去年よりひどい状況の中オリンピックが開催され、大雨で町内の川が氾濫し、どんどん恐ろしい状況になっているなんて思いもしなかっただろう。
まぁまずコロナがこんなに長引くと思ってなかったし、何より1年延期になったはずの成人式は結局中止になった。


去年と今年で#8月31日の夜に で募集する投稿の意味合いは違っているようだが、私はそこまで意識せずに書く。

どこかに寝っ転がって満天の星空を眺めたいなぁ、などと思うことが度々あるのだが、そんな夜に自分が考えていたいことってなんだろう、とふと頭に思い浮かべてみた。

去年は大学受験だったし、今年は就活なんだろうなぁ。正直浪人してだいぶ自分と向き合ったつもりだったけど、就活を始めて全然足りなかったと気付いたし、
教職課程を履修しながらも長期インターンにも行く、という少し変わった選択(?)をして良かったのではないか....と思っている。


でもこれら以外に考えている、というかなんとなく考えてしまうことがある。


1つは、「素直であるためには『素直になる』という努力をしなければならないのか」、ということだ。これは何かしらの?ツイートを見かけてずっと考えていることである。

「素直な人」というふうに人を褒めることがあると思うのだが、そもそも素直な人というのは自分で自分のことを素直な人だと思っているのだろうか?別に自分に自惚れているということではなくて、少なくとも周囲の人よりそこの部分を多少長所だと思っている....くらいのことだとして。

例えばサイバーエージェントは欲しい人材として「素直な人」をあげていると思うが、そういう人になることは誰でも可能なのだろうか?それとも「素直」は性格なのか。生まれ持った、というか育ってきた中で自然と身についたものであって、意図的に身につけるものではないのだろうか。

素直であり続けることは自然とそうなるというわけではなくて、努力が必要なことなのだろうか。



もう1つは「多様性と個性」だ。私は答えのない問いを永遠に考え続けていられてしまうタイプの人間なので、これに関しては自分なりの答えを1度出したとしても、それは変わり得る、というか変わり続ける考えであって良いと思っている。
長くなるのでここでは割愛するが、机上の空論を並べ立てようとする前に、「実際のところ、現場はどうなのか」を、行動して自分の目で見ることによって知らなければならない。無知は恥、とまでは言わないが 決して無知であることは自慢できることではない。




8月15日、終戦の日の夜。テレビ画面には避難指示が続々と出ている。
多分明日の私はこんなことを考えているのだ。
「このままであってほしい、と思う関係性ほど刻々と変わり続けるものであってしまう。悲しいことに。」、などというふうに。