「人を心から愛したのは、あの時が最初で最後よ。」


「私の十代を捧げたあの人は、元気にしているのかな。

もう会わなくなって、連絡も一切取らなくなって、たまに風の噂で新しい家族と豊かな日々を過ごしていることを聞く。

私たちはそんな仲になった。

ゼロ距離で愛し合っていたあの日々のことは、今でも鮮明に、いつでも思い出せる。

忘れられないんじゃない。私が意図的に忘れていないの。

上書きされることのない、永久ファイル保存のような記憶保持の仕方を意図的にしている。

あなたに捧げた何年もの間、苦しい思いと幸せな思いは半分半分くらいだったけれど、あれは確かな私のルーツであり、あの日々がなければ私はいないし、もしあの日々がなかったら、私は私では無い。


ねえ、元気ですか?

私はいつか、遠目からあなたが私の存在を一方的に視認して、「ああ、3番元気にしてるんだ」と言ってもらうことが、私の夢であり目標なの。

「お前のことを忘れられるわけないだろう」

そう言ってくれたその言葉に恥じないよう、息の根が止まるその日まで、私は精一杯生きるから。

「死にたい」と何度も言う私に「ダメだよ」「死ぬな」「幸せだったっていつか言わせるから」って何度も諦めずに声をかけ続けてくれたこと、決して忘れないの。

私はね、この先誰とどんな出会い方をして、誰と邂逅しようと、誰と分かり合おうと、あなた以上に誰かを愛せることはきっとないから。

だから、あなたも私に愛された人として、恥じないように一生懸命生きてよね。」




これは3番が昔交際していた人間に充てた、行き場のないラブレターの残骸のような言葉だ。

俺はその人とは親友のような間柄であった。

その当時は解離性同一性障害が発覚する前であったが、今思うと俺が表に出ている間は「たまにそうやって、かっこいい時あるよね」とか言ってくれてて。

とにかく優しい人だったんだ。

俺も忘れやしない。

思えばあの頃、3番はその恋人に対して、「恋人の枠も、親友の枠も、私が独り占めしたい」のような言葉を掛けていたけれど、俺がその親友の枠を担うとして、3番が恋人の枠だとして、その言葉も変では無いなと感じる。
人格解離を予期していたのか、自分たちが男女枠に囚われない部類の人間だと思っていたからなのか、当時の思惑はわからなくとも、意味を感じる言葉だ。


今は2023年の10月、か。
ちょうど今から8年前、あの人が「今度結婚する」と連絡を寄越してきた。そんな時期だ。

そういう周年的な時期だからなのか、俺も3番も朝方から昔、現在、未来、色々な時間軸に思いを馳せて、突然こんな記事を書き起こした。

そんな朝だ。
みなさん、元気ですか?

いきなり寒くなったように感じますが、寒暖差で体調不良を引き起こさないよう、どうかお気をつけください。

医療機関や公共施設ではマスク着用が推奨されているように、万病予防にマスクは効果的だと聞きますので、ご体調崩されやすい方などはじゅうぶん対策されるなど、ご注意されてお過ごしになってほしいです。

俺は、自分の生きた証としてまた一つ書き上げたこの文字たちを今、読んでくださっているあなたに幸せな出来事が何か一つでも多く起こりますように、と、幸せのパワーを注いで、文字を打っています。


また、会えたら嬉しいです。
その時はよろしくお願いいたします。



それでは、またね!





千川悠里(前述部分:3)(後述部分:10)

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忘れられない恋物語

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