見出し画像

4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した

読んだ

画像2

"SURVIVORS CLUB", the true story of a very young prisoner of Auschwitz






ホロコースト、ナチス、強制収容所(絶滅収容所)、そういう歴史とか「負の遺産」って言われるものって人種、時代問わず知っているべきものだと思う、強要はしないけど、個人的に



図書館で読んだり、ネットで調べたり、とかは好きだったしよくしてた

この本もずっと読んでみたくて気になってて、けど買って読んだとして後味は正直良くないわけじゃん。そういう本が家にあるのがなんとなく、なんて言うんだろう、悲しいというか怖いというかそういう感覚があったからなかなか買えなくて


でも買った、ついに





ネタバレも何もないと思うけど、引用は多い







マイケル(僕)の母親ソフィーが楽観的で前向きで、陽気な性格で好きなんだけど、実際大切な人の命が、自分の命が脅かされるような状況に陥って前向きでいられる人ってどのくらいいるんだろうって思った


「イズラエル、戦争はもうすぐ終わるかもしれないでしょう?そのときどうするの?いくつか置いていきましょう。未来のために」「未来だって?」。父さんは混乱したように言った。「まず必要なのは、今日を生き延びることだろう、ソフィー。わからないのか?収容所では、人間が石鹸にされるんだ。あそこでは、人の体を燃やして出た油で石鹸を作っているって噂だ。ユダヤ人は蠟や石鹸にされてしまうんだぞ!」「それなら私はとびきり上等の石鹸になるわ、イズラエル。ラベンダーの石鹸、それともライラックやローズヒップ?」。母さんは不安げなほほえみを浮かべて言った。「私の肌は香水の香りがするから、最高の素材になるはずよ」。ぎこちないやり方ではあったが、母さんはユーモアで父さんを落ち着かせようとしていたのだ。


こんなユーモアわたしなら絶対に出てこない。一家が処刑されたり罪もない人が殴られ殺され撃たれ、っていうのを目にしても、大切なものを奪われても「私にはまだこれが残っている」ってプラスの面に目を向ける、そんなことできないと思う

この石鹸のくだりで、戦後アメリカを目指すために一度ミュンヘンに行くんだけど、やっぱりドイツ語を聞いて収容所の生活がフラッシュバックしたりドイツ人はいまだにユダヤ人を憎んでいたりするのね


少年が二人、近づいてきた。おそらく十二歳ぐらいだろう。二人は「ユダヤ人!」と叫びながら寄ってきて、代わる代わる僕を小突いた。僕はよろけながらも倒れまいとした。「のうのうとよくもこの町を歩いているもんだな。俺らの脇の下を洗う石鹸になっていたはずなのに」と一人があざけった。そして、もう一人が僕の帽子を取り上げた。みっともない頭皮があらわになるのは、殴られるよりももっといやな気分だった。二人は、生えそろっていない綿毛状の僕の頭を見た。彼らが僕を指さして侮辱的な言葉を叫び、意地悪く笑ったようすを、僕は決して忘れない。


国と国、文化と文化が違って忌み嫌い合うことって起こるじゃん。その人によって「信じるもの」も違えば「当たり前であること」も違うわけだし、話せばわかる、っていうのも話す機会すらなければ意味がないことだし

例えばわたしも物心ついた時から「A国であなたの両親はこんなことをされた。A国に行けばあなたもこんなことをされる。A国はひどい国」ってずっとずっと教えられてきたらそれが自分の考え方の軸になるわけでしょ。実際にA国に行ったことはなくても、A国で生きている人のことを知らなくても、それがわたしにとっての「常識」として固められていくわけだし

実際そういう教育しているところもあるでしょ


改めて「知ろうとすること」「理解しようとすること」、あと「教育」の大切さを読みながら実感してた



あとがきで、

英語が少ししか話せず、腕に「奇妙な番号」のある男の子のことを彼女はずっと覚えていたという。そして、こう続けた。「今思い出しても残念なことに、彼の同級生をそばに呼んで、彼がどういうつらい思いをしてきたかを話してくれた先生がいた記憶がないのです……そうしてもらえれば、絶対に私たちは理解できただろうし、おそらくもっと思いやりをもって彼を迎えただろうと思います」そうであったらと私も心から思う。けれども、その同級生をはじめ、多くの同級生たちがクラス会で温かく私を歓迎してくれたことに感謝している。遅すぎるということは決してないのだ。


教えられる人も場所も機会もあったのに、って憎むことなく「遅すぎるということは決してない」って言えること

傷ついた人こそ人の傷に敏感というか、優しいよなあって

そんな軽い次元じゃないけど







映画『キーパー』の感想でも少し書いたけど、善と悪なんて一目見ただけじゃわからないし、集団でいたら尚更麻痺することもあるし、ていうかそもそも善と悪って何?って話

ホロコーストに関わったナチス党員のアドルフ・アイヒマンも、妻との結婚記念日に花束を買うような、いわゆる「根はいい人」と思われるような人で

人体実験で有名なヨーゼフ・メンゲレも、逃亡していた南米の同僚は後から彼の悪事を知って、「彼がやったとは思えない」って言って

よくニュースでも「そんなことをする人には見えなかった」っていうけど、本心なんて本人にしかわからないじゃんね。それに何が引き金になるかもわからないし、集団心理とか「自分がここで断ればターゲットになるかも」って恐怖心とか洗脳とかも起こりうるわけじゃん


みんなに合わせた方が楽だし安全だもん、って





心理学の話になっちゃうけど、ミルグラム実験

東欧地域の数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に輸送する責任者であったアドルフ・アイヒマンは、ドイツ敗戦後、南米アルゼンチンに逃亡して「リカルド・クレメント」の偽名を名乗り、自動車工場の主任としてひっそり暮らしていた。彼を追跡するイスラエルの諜報機関がクレメントは大物戦犯のアイヒマンであると判断した直接の証拠は、クレメントが妻との結婚記念日に花屋で彼女に贈る花束を購入したことであった。その日付はアイヒマン夫婦の結婚記念日と一致した。またイスラエルにおけるアイヒマン裁判の過程で描き出されたアイヒマンの人間像は人格異常者などではなく、真摯に「職務」に励む一介の平凡で小心な公務員の姿だった。 このことから「アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか。それとも妻との結婚記念日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか」という疑問が提起された。この実験は、アイヒマン裁判(1961年)の翌年に、上記の疑問を検証しようと実施されたため、「アイヒマン実験」とも言う。 






話は戻って



ソフィーとマイケルの親子がミュンヘンで暮らす時、支援機構みたいなの(曖昧)を頼って保証人になってもらったから、まだ賃貸の家主と会ったことはなかったの。初めて会って、


「ごあいさつと、ご用があれば下にいるとだけ知らせに来ました」。僕たちが荷物を下ろした二、三分後にドアをノックした女性が言った。女性は、ルネ・ミュラーと名乗った。母さんは息をのんだ。やせぎすで、鼻筋が通ったその女性は、厳しい表情を浮かべていた。暗褐色の髪はボブに切りそろえられ、地味なベージュ色の上着とスカートのセットを着ていた。けれども、母さんがそれとわかるほどにハッと息をのんだのは、女性のいかめしい外見のせいではなかった。原因は女性の首飾りだった。首にかけた金色の鎖に下がっていたのは、金色の太い鉤十字だった。ナチスのシンボルは母さんと僕にとって夜の月と同じぐらい見慣れたものだった。そのシンボルを身につけていることは紛れもなく、「ユダヤ人は大嫌いだ」という無言のメッセージだった。


「日本人が嫌いです」なんてシンボルを身につけた人とほぼ一緒に暮らすような生活なんて、警戒するだろうし息が詰まる

『キーパー』の映画でも、友人が殺された経験を持って、「ドイツ人」だから警戒して嫌ってた人と暮らすうちに人種や国籍よりもその人の人柄を知って理解して近付いていってたじゃん。読んでて重なった


マイケルがユダヤ人だからって理由で嫌な思いをして帰ってきた時に

けれど、アパートに近づくうちに、思い出した。鉤十字の首飾りをした家主のミュラー夫人がいることを――。あんな首飾り、大嫌いだ!いつものように通り道をふさいでいるミュラー夫人のそばを、僕はすり足で通り抜けようとした。夫人がやさしく僕を呼び止めた。「ここに来て座らない?一緒にお母さんを待ちましょう。お母さんは仕事のときは始終、出入りしているからね。きっと、もうすぐ戻ってくるわ」
ようやく戻ってきた母さんは、夫人と一緒にポーチにいる僕を見て啞然とした。母さんは僕を胸に引き寄せ、ミュラー夫人にわけをたずねた。夫人はただ、こう言った。「マイケルは今日、とってもいやなことがあったの。シャワーでも浴びてから、どうぞ、台所にいらっしゃいな。お二人に何か夕飯を用意しますから」


善と悪なんて一目見ただけじゃわからない、何回でも書きたい


僕たちは祝祭日を順繰りにたがいのアパートで祝った。そういうときに母さんはいつもわが家のキドゥーシュのカップの包みを開けた。ミュラー夫人を安息日のごちそうに誘ったこともある。だが夫人は辞退した。夫人にとっては、それは越えられない橋だったのだろう。けれども、母さんは夫人を親しい友人の一人と考えていたし、夫人も気持ちの面で可能なかぎりのことは、僕たちと分かち合ってくれた。台所も使わせてくれたし会話もともにした。でも、人前に僕たちと出かけてくつろいでいる夫人の姿は、記憶していない。夫人はあいかわらず鉤十字の首飾りをしていたけれど、家賃の集金や訪問で僕たちの部屋のドアをノックする前に、首飾りをブラウスの下にしまっていた。


ここの描写

罪悪感というか、なんていうの、うまく言えないけど政治的には自分は反ユダヤ主義のナチスのもとで生きているけど、でもユダヤ人=全ての悪、ってわけじゃないって理解してる(してきた)というか

ソフィーとマイケルの人柄を知って、でもやっぱりユダヤ人と仲良くするわけにはいかないし、葛藤というかなんというか









混乱と暴力の部分で、何回か「うわ…」ってなって目を閉じたし、本も閉じた


「みんな、行ってしまったんだね。今はもう、風の音になってしまったんだね、きっと」おばあちゃんは、眼下に広がる薄汚れた町を見つめていた。町には、動くものは何もなく、人っ子一人歩いていないように見えた。「塵になり、灰になってしまったんだね?それとも私が呼吸しているこの空気に?さあ、私の足を動かしておくれ。もう私一人の力では、これ以上動けやしない」おばあちゃんは気のふれたようにしゃべり続けていた。僕は口をはさむことができなかった。


途中の、「死の収容所」での生活や労働については書かないでおく、読んで欲しいから










どうしても自分に重ねてしまう(自分の家族に置き換えて想像しちゃう)からか、後は描写がリアリティあって感情移入というか入り込みすぎちゃったからか、心が痛くて何回も泣いた


けど

アウシュビッツ博物館の元館長、カジミエシュ・スモレンは、自分自身が収容されていた経験を持つ方なのね。その方が「涙を流してもらうだけでは不十分だ」って言ったらしくて、やっぱり自分で知って自分で考えて自分で選ぶ、っていうことがすごく大切だと思う

「怖い」「つらそう」「やばい」って平和な時代で安全な場所からふわふわ~っと泣くだけじゃ意味ないし、ちゃんと理解して伝えていって同じことがないようにする義務があると思う


日本人ガイドの中谷さんのインタビュー


(わたしここずっとずっと行きたいって言ってる)









わたしは無宗教だし神様とか特別信じてるわけじゃないし、絶対的な存在も特にないんだけど、「守るもの」「信じるもの」があることって人を強くさせるんだなあってしみじみと思った

神様にしろ、家族にしろ、自分自身にしろ


あとは当たり前のことに聞こえちゃうけど自分にあるものに感謝して「持っているもの」「楽しいこと」「うれしいこと」に目を向けること、悲観は悲観を生んで負の連鎖になる



画像1






ホロコースト関連の本読む時ずっとAdeleの Make you feel my love をリピートで聴いてる

集中するから歌詞は頭に入ってこないんだけど、ふと休憩する時とかに聞こえてきてかなり心に来る

When the rain is blowing in your face
And the whole world is on your case
I could offer you a warm embrace
To make you feel my love
When the evening shadows and the stars appear
And there is no one there to dry your tears
I could hold you for a million years
To make you feel my love
I'd go hungry, I'd go black and blue
I'd go crawling down the avenue
No, there's nothing that I wouldn't do
To make you feel my love






映画では

これ、ストーリーは事細かくネタバレも解説も読んで知ってるの。けど映像で観る勇気がない、けど観たい、今年のうちには観たい

ライフ・イズ・ビューティフルもめちゃくちゃ引きずった







読みながら改めて勉強したり調べたりしてるから、かなりずっしり来たし次はポップでハッピーな恋愛小説とか読んで気分転換したい

とか言いつつ今「ヨーゼフ・メンゲレの逃亡」を買おうとしてる。調べ出したら止まらない






多分追記していく



2020/12/16 追記

これ買ってきた 読む



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?