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J-BRIDGE 1.

「おい明石、いつまでもフリーターじゃ厳しいんじゃねえの? 二十二って、もう大人なんだよ」
 週末、街中の居酒屋、簡素な四人席。お互いの声を届かせるのに多少声を張らなければならないような喧噪の中、向かい合う二人の交わす言葉が無邪気に宴席を飛び回っていた。
「二十二が大人なんて誰が決めたん?」
「世間一般的に、だよ。子供って年じゃねえだろ」
 まだ同じ教室にいた頃には等しく大人になることを嫌っていたはずの二人。抗いようも無く学歴で左右される現代社会において、高卒ながらもいっぱしのサラリーマンになった彼は、もうすぐ一児の父になる。
 そんな彼に相対するのは、定職に就かず気ままな生活を送る「明石 海」。必死にこねくり回した理屈を掲げ、何かを守るように言葉を並べ続けていた。
「だからって大人な訳じゃ無いし、大人が子供の上位互換という訳でも無い」
「上位互換だろ、子供から大人に成長するんだから」
「それはほんまに成長か?」
「……もういい、めんどくせえよ」
 しまりのない赤ら顔をした男は、そう悪態をついてジョッキを手に取り一気に呷った。麦芽色の液体を勢いよく流し込むと、近くにいた店員に声をかけ、同じものをとジョッキを掲げる。
 その様子を睨み付けるように眺めていた明石。もうほとんど中身の無いグラスに視線を移すと、体にすっかり馴染んでいる猫背を崩さないまま、そこに残る微かな液体を大切そうに舌に染み込ませる。子供がいるのがそんなに偉いか、結婚してるのが人として優れてるのかと、語り部を瞳に任せて黙り込む。
 それまで口を開きっぱなしだった二人が同時に言葉を途切れさせると、しばしの静寂が場に顔を出す。二人のバトンを引き継いだのは、明石の隣で一心不乱に枝豆を摘まんでいた男。男は手にした枝豆の皮をしがみながら、誰かにと言うよりも場の空気に対して話しかける。
「いやー、まさか岡本に子どもなんて驚きよな。でも明石、お前も元気そうで良かったわ。仕事は順調か?」
 ただのアルバイトであるはずのものを仕事だと呼ばれることに、明石は引っかかりを感じた。気を遣って持ち上げられているように思い、そんな風に考える自分がどれほど卑屈な人間かと、ただ落ち込みながら「ぼちぼちやってるよ」と返す。
「……ただ、一つだけが心配事がある」
 もう少し近況を話した方が良いかと考えた明石は、目線をテーブルに落として語り出す。
「今のアルバイト先で、近々大規模な人員整理が行われるらしく、生活するのに十分なだけの時間を入ることが難しくなるかもしれない。そのことを考えると最近眠りの質が下がっているような気がするんだ」
 そこまでを一気に語ったつもりでいた明石は、二人の反応が無いことに顔を上げる。そこでやっと、二人が自分をそっちのけで会話が進んでいたことに気がついた。
「えっ、おい……」
 明石の声が届いていなかった訳でも、ましてや届きながらも感心を示さなかった訳でも無い。ただ、明石から声が発されていなかったのだから、二人は声を聞きようも無い。「ぼちぼち」の曖昧さで近況報告が満ち足りたことを感じ取った明石自身が、それ以上を声にすることを拒んでいた。
「なあ武田。お前も彼女でも作ってさ、早くこっち側に来れるよう頑張れよ」
 明石の耳にやっと届いたのは、店員から新たなジョッキを受け取った岡本が上げた声。その音に含まれる上滑りしたような風合が、整いかけた空気を再びざらつかせる。なみなみと注がれていた液体を豪快に流し込んでいる岡本は、枝豆をしがみ続ける武田に対し、高僧が弟子に法話を説くかのように話していた。
「俺なりに頑張ってんだけどな。簡単に上手くいかないもんで、だからまあ、楽しいよ」
「もっとガツガツ行けよ! そしたら絶対いけるって」
「いやなあ……。焦らなくて良いんじゃない? 最近、仕事が楽しくなってきたんだ」
 岡本の独善的な物言いには、その影に裏打ちされた自信を感じる。対する武田は、説法を続けるお師様よりも穏やかな口調を崩さず、そんな武田もまた明石の目には目映く映る。
 彼らがこれまで積み上げてきた日々と、ただ目の前の苦しみから逃げることで得られる仮初めの安楽に浸りきっていた自分との違い。記号的に表れた結果を受け止めることすらできない明石は、目の前の二人から逃げ出して自分だけと語らい始める。
 段々と遠くなって行く目の前の二人の声とは裏腹に、鮮明になっていくのは明石の日々を彩る記憶。同じスタートラインから始まったはずの二人との違いに対する悔しさが、明石に記憶の振り返りを行わせた。

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