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連載小説『J-BRIDGE 』.5

「明石ー、そろそろ昼休憩にしようや!」
「はい! これ終わらしたらすぐに!」
 二つほど年の離れた先輩に返事をし、目の前にある段ボール箱から女性者のパンプスを一つ取り出す。どの年齢層が好んで履くのか想像もつかない、向日葵の花柄をあしらった24.5cm。明石がそれを机に置くと、なんとかバランスを保って自立こそしたものの、少し左に傾き踵部分に隙間が生まれていた。
「今度はこっち向きか」
 明石の物言いには余裕が窺えた。この程度なら自分にとってなんの障害にもならないという、積み重ねてきた時間に裏打ちされた自信が感じられる。
 現代アートのような傾きを見せるパンプスに目線を合わせるように屈み、今一度目を凝らして角度を確認する明石。左手で上からガッと鷲掴みすると横転させ、空いた右手を支点として踵部分に思いっきり体重をかけた。
「ふっ」
 力みに則して息が漏れる。再び机に立ったパンプスは、すらりと背筋の伸びた女性のように直立していた。

「お疲れ様です、休憩入りまーす」
 先に休んでいた銘々に明石が声をかけると、雑で気楽な言葉がそれぞれから返ってきた。朝コンビニで買ってきた弁当を備え付けの電子レンジで温めている間も、最年少者の明石に対して皆が甥っ子や弟のように話しかける。それを煩わしいと感じたことが無いわけではなかったが、それ以上に明石は暖かさを感じていた。
 明石が高校を卒業し、この職場に勤めだしてから一年と少しが経つ。 担任の教師が薦めるままに入った物流倉庫の会社だったが、不満はほとんど無かった。贅沢はできないまでも最低限の一人暮らしが出来るほどの給金がもらえ、出世のための派閥争いなども無く、面倒な資格勉強もない。その環境は自分に合っていると、明石はそう感じていた。
 ときどき、送られてきた商品が不良品だった場合があると、今日みたいに補正してから得意先に発送する。それが人力であることだけが、明石が職場に対する不満である。
 同い年の彼女は会社の事務担当で、付き合いだしたばかりながらも、いずれは結婚したいと考えられるほど気が合う。何もかも順調だった。
「あちっ」
 湯気と共に取り出した弁当は、いつも通りプラスチックの蓋がひしゃげていた。ここまで温めることが、最も美味しく食べるコツ。数多くある明石の持論のうちの一つである。
 爪先で熱を伝えないようにして、落とさぬよう慎重にテーブルへと運ぶ。さてやっと食べようかとした砌に、班長の声が休憩室に響いた。
「ちょっとみんな聞いてくれ、高田の財布が無くなった。ロッカールームに来て欲しい」
 班長の声を起点として休憩室にざわめきが広がる。明石と同じく食事中の者も数人いたが、休憩時間はきちんと後に回すと続けた班長に、皆素直に従った。
 心当たりを聞かれ、誰も答えず、一人一人ロッカーを確認することになった。一人目は班長。開いた縦長のロッカーには数枚の制服がハンガーに掛かっている他は、これといった特徴も無い簡素な中身。下部にある物置の簡素なラックには、リュックサックが苦しそうに詰まっている。 そこから順に隣へ隣へと開いていくロッカー。その数が半分を過ぎた頃、そこはプライベートの見本市になっていた。
「次は明石、開けてくれ」
 班長に促され、取っ手に指をかける。鍵がついてないのだから、勝手に確認すれば良いのにと思い、一気に引く。ハンガーにかかる制服、ラックには黒い長財布が所在なさげに佇んでいた。
「あっ、俺の!」
「は?」
 高田が声をあげると、皆の視線が三点を飛び跳ねた。ロッカー、財布と移りゆき、最後は明石の顔面で視線が停止する。
「いや……、俺じゃ無いですよ、俺じゃ……」
 身に覚えの無い困惑から歯切れが悪くなった明石の言葉と、集まった十数人の疑惑が、静まりかえったロッカールームに広がった。隣とひそひそ話をする声が時間が止まっていないことを示している。明石はもう一度、今度は力を込めて言った。
「俺じゃ無いです! 班長、信じてください」
 明石を誰よりも強く見つめていた班長に向かって言葉を投げる。それが届かず払い落とされたことが、表情で解った。
「解るで明石、生活が辛いのは解る。けどな、人のものを盗ったらあかんねん」
 幼子に諭すように語りかける班長の口調が、皆の総意を固める。見つかったからもういいだろうと誰かが言った声に班長が頷き、その場はそれで終わることとなった。
「俺じゃ……」
 三度否定する明石の声は、もう誰にも届いていない。翌日から、明石の周りには人が近づかなくなった。充実していたはずの環境は、ごっそりと鍬で取り除かれたかのように明石の身から削られていく。いたたまれなくなった明石はついに潔白を晴らすことの無いまま、職場を離れることにした。

「もう会うのやめない?」
 高校を卒業してからの間、明石の生活において欠けることの無かった環境を失った明石には、まだ削られる身の部分が残っていた。
 職場を離れてから三日も経たない立夏の頃、チェーン展開しているカフェの一番手前のソファー席。昼下がりにコーヒーを飲んで談笑する客に混じって、明石は振られていた。
「えっ、なんで? 俺が仕事辞めたから? 泥棒って言われてたから?」
 啜ろうとしていたコーヒーから口先を離し、中身が零れないように丁寧にテーブルに戻す明石。豆鉄砲を食らったかのようなその顔は、相対する彼女に向かって正気かと問いかけているよう。いくら待っても視線は合わず、それが意図的なものだと気づくのにしばらくかかった。
「あれは俺じゃ無いんやって、誰も信じてくれへんだけで……」
「信じてるよ」
 手元のコーヒーカップを見つめながら、彼女が言った。「私は海くんを信じてる」と続けた彼女に、ほとんど反射で明石が「じゃあなんで」と返す。「すぐに次を見つけるから、絶対に幸せにするから」とまで言った所で、そのいかにも芝居めいたやりとりに、周囲の耳がにわかに大きくなったように感じ、明石はそこで口をつぐんだ。
 少しの沈黙が流れて、今度は彼女の台詞となる。
「まあ、それはそれとしてさ。……別れよ?」

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