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【第8-X芸術】 Issue 01: First Session

mikukawaigardeです。

序章

本プロジェクトについて

本日2月3日から、
第8-X芸術の研究のために
このようにシリーズ化した記事の執筆を開始します。

荒川修作氏+マドリンギンズ氏著
「建築する身体 ARCHITECTURAL BODY」
のような論文を書いていきたいと思ったのが理由です。

まずは書いていくことだと感じ、
昨日、23歳の誕生日を迎えた節目を受け、
本日から開始します。

※誤字脱字・構成のわかりにくい文章など発生すると思います。
とにかく走り出したんだな、と
寛容に見ていただけますと、幸いです。

それでは、スタート。


00

本書のキーワード

exist architect [造語]
"存在を建築する"
参考: 荒川修作+マドリンギンズ著「建築する身体 ARCHITECTURAL BODY」

high dimensional existence [造語]
"高次元での存在"

第8-X芸術 [造語]
参考: リッチョット・カニュード 第七芸術宣言 
https://artscape.jp/dictionary/modern/1198689_1637.html

Void
建築的解釈:”空白”の意。
Mode的解釈:虚無/空虚

avant-gardé
前衛
参考: ロシア・アバンギャルド/川久保玲/マルタンマルジェラ

mikukawaigarde [造語]
mikukawai 形容詞 + gardé ガード


01

第8-X芸術とは、
わたくしmikukawaigardeが、考案したものである。

ユリイカのグザヴィエ・ドラン監督特集号に
”映画は第七芸術である”という一文が記載されていた。

目立つ文章ではなかったが、私にとって鮮烈に刺さった。
冒頭のひと段落を以下に引用する。

グザヴィエ・ドランの映画は時間の映画である。
もちろん、映画とはそもそも時間や運動と深く結びついた媒体であり、表象の形式である。最初期の映画理論ともいうべき『第7芸術宣言』(一九一一年)において、リッチョット・カニュードが、映画を時間芸術(音楽、詩、舞踏)と空間芸術(建築、彫刻、絵画)とが統合された第七芸術であると定義したことを考えれば、 時間の映画などという言い方には、目新しさもなければ、独自性もないと思われるかもしれない。
だが、映画を時間の芸術とする とき、そこで想定されていたのは、何よりもまず、一定の方向に 向かって進む流れとしての時間であり、また、始まりと終わりによって境界を定められた時間であった。
多くの物語映画において、そうした時間的側面を体現するのは原因と結果というロジックであろう。運動を伴った表象の装置としての映画を考えてみても、そこには時間性が色濃く刻まれている。

『時間の映画 グザヴィエ・ドランのスローモーション』菅野優香氏(クィア・スタディーズ)
2020年04月, 『ユリイカ』, 52, 4, 66, 71,

映画が第七芸術という分野に定義できることを、こちらの評論を読み、
初めて知った。

私が創りたい"存在"のイメージにとても近かったのだ。


現在調べたところ、第九芸術まであることが判明した。

1. 文学
2. 音楽
3. 絵画
4. 演劇
5. 建築
6. 彫刻
7. 舞踊
8. 無声映画
9. 発声映画





参考文献:


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