柚佳 | yuka

日記とエッセイ 東京-逗子

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生かされてる、とかではなくて

そのときわたしは、六本木のDEAN&DELUCAにいて、韓国の詩人ハン・ジョンウォンのエッセイ「詩と散策」を開いていた。 その本を読み進めることは、静かな森の中を進むことに似ていて、冬の朝のように澄んだ空気と、穏やかな水辺の気配がした。 だけど同時に、その森のどこか奥の方では、ごうごうと何かが燃えていた。雪の結晶のように美しい言葉たちからは、うっすらと怒りや憤りが香った。 混沌を見つめる人の言葉だと思った。混沌の中でも美しいものを瞳に映すことを諦めない人の、凛とした眼差

    • 晩夏(8.17-8.21)

      8月17日(土) 夕方の海を見ていると、もうなんでもいいや、という気持ちになる。裸足で砂浜を歩いて、波に足をつけて、適当な場所に座って、夕陽が沈んでいくのを眺める。やがて日が沈むと、夜になる前の特別な青色が広がって、そのなかに白い月を見つけることができる。 こういうのばかりでいいよ、夕方の海より好きなものはないよ、ここで本を読んで暮らそうよ、とわたしの声が聞こえる。 8月20日(火) さっぱりした気持ちで満月の夜を歩きたいから、急いでシャワーを浴びて髪を乾かして、さら

      • 夏の京都滞在 / この街でまた会いたい(7.25-7.28)

        店の戸をそっと閉めるとき、またこの場所に戻ってこれますようにと願い、出会ったひとに手を振るとき、また会えますようにと祈る。 その「また」がいつになるか分からないから、旅先での1日はいつもよりぎゅっと、抱きしめたくなる。 できごとは曖昧でいい。キッチンからカレーの匂いがしたとか、真夜中にアイスを食べながら笑ったとか、そういう断片的な記憶をずっと覚えていたい。 7月25日(木) のそのそと布団を抜け出す8時半。9時半に始業。うちの会社では最近リモートワークが廃止になったの

        • 今日を生き直すことはできないけれど(8.10-8.14日記)

          昨日の出来事を何度もなぞることは、タイムリープ映画みたいだと思う。同じ日を生き直すことはできないけれど、何度もなぞることで、はじめは気付かなかった部分が見えてくる。 本当は、そのときの生ものみたいな感情や言葉を大切にしたいけれど、どうしても向き合えない日がある。まだ言葉にならない、言葉以前のもにょもにょした何かが、自分の中に渦巻いているとき。 脳内はわーわーと騒がしいのに、心はぴたりと動きを止めてしまうような感覚。そんな日の日記には「なにを食べた、だれと会った、どこへ行っ

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        生かされてる、とかではなくて

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        • エッセイ / 散文
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        • 日記
          33本

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          夏の京都滞在 / どしゃ降りの山鉾巡行(7.24)

          7月24日(水) 朝、桃を食べながら「巡行って何時からだろう」と調べたら、もうはじまっている!と気づいて、慌てて家をとび出す。ああ、呑気に桃をほおばっている場合じゃなかった。 今日も抜群に暑い。じりじりとした肌の感覚は、いくら日焼け止めを塗っても不安になる。でもUVカットパーカーは可愛くないから、彼の隣では羽織りたくない。 地下鉄で四条まで向かう。四条通りは、人、人、人。湿気と熱気でサウナみたい。しばらくすると、遠くからお囃子の音が聞こえてきた。最初にやってきたのは「南

          夏の京都滞在 / どしゃ降りの山鉾巡行(7.24)

          ひとり暮らしの記録 (7.29-8.7 日記)

          7月29日(月) 昨晩、京都から東京へ戻ってきた。余韻に浸りたいような、さっと日常に戻りたいような。どちらとも自分で決めないまま、仕事が立て込んできて、強制的に日常に引き戻される。 夕方、コンビニのおにぎりとチキンをもくもくと食べながら、今週の慌ただしさを予感する。 22時、会社を出る。もう10月の投稿企画をしている。さつまいもや南瓜のレシピを調べながら、この夏がどんなふうに終わるのか考える。 7月30日(火) 強烈な日差し。先輩とお客さんの展示会へ伺ってから、恵比

          ひとり暮らしの記録 (7.29-8.7 日記)

          夏の京都滞在 / ひとり丸太町の夜に(7.23)

          7月23日(火) 京都へ行く新幹線の中、スピッツの「桃」を聴きながらこれを書いている。このイントロが好き。 さっきからずっと、隣に座っているおじさんがたのしそう。駅弁のお品書きをじっくり読んだり、富士山が見えたら慌ててスマホを構えたり、肩越しに高揚感が伝わってきてくる。 わかります、この時間がいちばんたのしいですよね、と心で話しかける。おじさんはどこへ行くのだろう。いい旅になりますように。 京都駅について、バスで北へ向かう。 バスを降りると、空気がじっとり熱くて、肌

          夏の京都滞在 / ひとり丸太町の夜に(7.23)

          なにもしてなくない日記 (7.15-7.21)

          7月16日(火) 漠然と「何もしていないなあ」と思うとき、つけた日記を読み返すと、自分の足跡がそこにあるようで「たくさん生きている」と嬉しくなる。 7月17日(水) 来週は京都へ行くので、重たい仕事はなるべく片付けておきたいところ。少し残業。 今年も夏の京都へ行けるのが嬉しい。 1年前のわたしは、今よりずっと働き詰めで「1週間くらい京都でうつつを抜かすか」と無計画に夏休みをとり、そして思う存分うつつを抜かした。 今回はなにをして、どこへ行こう。京都に住んでる方のno

          なにもしてなくない日記 (7.15-7.21)

          静けさの塩梅(7.9-7.14日記)

          7月9日(火) 深夜のデニーズで 「小さな桃のパルフェ」を食べる。小さな桃のパルフェの1.5倍くらいのサイズのパフェもあったけど、それは「フレッシュ桃のザ・サンデー」という名前だった。「大きな桃のパルフェ」じゃなかった。 パルフェ、サンデー。サイズで変わるのだろうか。パルフェの方がかわいい。 書くためにここへ来たのに、Spotifyの「宇多田ヒカル ArtistCHRONICLE」に聴き入ってしまって、制作エピソードと楽曲をうろうろしていたら、時間が溶けてしまった。

          静けさの塩梅(7.9-7.14日記)

          世界が少しばかり違って見えるようになる、そんなものを

          頭の中で無数の考えが浮かんでは消えていく。泡のような思考をつなぎ合わせて人に伝えることは、気が遠くなるほどにむずかしい。端的な言葉なんて到底無理だから、いつも冗長な言葉を並べてしまう。 頭の中にあるものを、圧倒的な創作に変換してしまうたちがいる。その人たちが生み出す作品のエネルギーは凄まじい。出会う前と後では、世界の見え方が変わってしまったりする。 人生ではじめて「世界が変わってしまった」と感じたのは、17歳で劇作家・野田秀樹さんの演劇を観たとき。NODAMAP第15回「

          世界が少しばかり違って見えるようになる、そんなものを

          わたしに潜る(6.27-7.8 日記)

          6月27日(木) ただただ、潜るように文章を書いている。村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」に「書くという行為は孤独だ」という文章が出てくるけれど、本当にそうだなと思う。潜水しているみたいな時間。 気分転換に中目黒まで歩いてCITY BAKERYでクッキーを食べる。お供は「私が望むことを私もわからないとき」。数年前に購入して、何度も読んでいる。 頭から通しで何度も読了するわけではなく、パラパラとめくって文章に触れる。お気に入りのプレイリストのように、日常に寄り添ってほ

          わたしに潜る(6.27-7.8 日記)

          食欲だけはある(6.14-6.23日記)

          6月14日(金) 15歳からの友達とうちで晩ご飯。 ・長谷川あかりさんのポークレモン ・冷たいうどん ・夏野菜の焼き浸し すっかり、夏の食卓。 ご飯のあとコンビニにお菓子を買い出しに行って、延々お喋り。 なっちゃんはよく「今日もなんとか生きてこう」とLINEをくれる。それがいつもちょっと面白い(ほっこりするの意味で)と話すと、 「そんなん思ってたん?もう二度と送らん、こっちは必死で生きてんねん」 と拗ねていて、それもちょっと面白かった。(なっちゃんは大阪出身)

          食欲だけはある(6.14-6.23日記)

          いつも少し緊張しながら(6.2-6.7日記)

          6月2日(日) トークセッション「公園を哲学する」を聞きに、銀座へ。 登壇されていた哲学者・永井玲衣さんの「みんな集うことに傷ついている、という点から考えていきたい」という言葉が、すこんと心に落ちてきた。 終了後、会場内に置かれた「あなたにとって公園とはどんな存在ですか?」というアンケートに、すこし迷ってこう書いた。 みんなで遊ぶ、というのが楽しみで、でもいつも少しこわかった。「ついていけるかな」といつも少し怯えていた。だけど、ひとり遊びでは感じられない楽しさを知った

          いつも少し緊張しながら(6.2-6.7日記)

          茹で上がった失恋に

          深夜2時半、お腹を抱えて猫のように丸まり、鎮痛剤が効くのをじっと待っている。普段それなりにひとり暮らしを満喫していると思う。だけど、うなされて目が覚めた夜中は「誰か隣にいて背中をさすってくれたらな」なんて思ってしまう。 よしもとばななさんの小説「白河夜船」の中に、添い寝を仕事にしている女性が出てくる。その女性は「私の仕事は決して本当には眠ってはいけないの。その人が夜中に起きたとき、笑顔でお水を渡してあげるの」と語るのだけど、たしかにこんな夜、そっと温かい飲み物を渡されたら、

          茹で上がった失恋に

          日記は今日を明日に繋ぐもの

          5月19日(日) 旅からモードをうまく切り替えられず、久しぶりに「冴えないモード」が忍び寄っている感じ。まだ浮遊モード、ぎりぎり。でも、昨日も今日も昼過ぎまで寝てしまった。昼に起きると自己嫌悪が押し寄せるので、ちゃんと生活リズムを整えたい。5月はまだやりたいこと沢山ある、頑張りたい。冴えないモードはぬるっと私を飲み込むし、飲み込まれたら長引くから、必死に抵抗したい。 こういうときは対処療法的な日記を、毎日書く。 * ドラマ「アンメット ある脳外科医の日記」を1話見てみ

          日記は今日を明日に繋ぐもの

          台北パラレルワールド、夜中の卓球

          1週間近く、台湾に行っていた。帰ってきて1週間、ずっと飛行機に乗ってるみたいに、どこにも所在してないような、時間がなくなってしまったような、ふわふわした気持ちで過ごしている。 台湾にいるときも、なんだかふわふわしていた。夢の中を歩いているみたいな時間だった。 旅のことは別のかたちで出す予定なのだけど、ひとつだけ、昨日みた夢の話くらい、ふんわりした話を。 台南から台北に移動した夜、ふらりと入ったお店で「MIDNIGHT PING PONG」というCDを見つけた。ジャケット

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