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旅のすえ また大川に めぐりあう

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彷徨を続けた人生でしたが、いまは大川の畔にもどっています。
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2021年10月の記事一覧

江戸と東京をめぐる無駄話#14/天皇の資産形成#02

薩長明治政府は、天皇家の功績に対してまず、ほぼ10万石だった禄高を15万石に増加させた。財源…

勝鬨美樹
2年前
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江戸と東京をめぐる無駄話#13/天皇の資産形成

時代の趨勢で徳川幕府に取って代わった天皇を頂く明治政府だが、中身は薩長の下級武士と京都の…

勝鬨美樹
2年前
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江戸と東京をめぐる無駄話#12/明治政府の財布の中

1868年(慶応四年)4月11日。江戸城無血明渡しによって、江戸は完全に薩長が先頭を走る東征軍の…

勝鬨美樹
2年前
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江戸と東京をめぐる無駄話#11/無能な王は当然国を亡ぼす

戦争は国力を削ぐ。まして内戦は傷が深い。海外から嗾けられて長州・薩摩・土佐が徳川幕府に食…

勝鬨美樹
2年前
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江戸と東京をめぐる無駄話#10/見間違えた政敵#03

1860年3月24日/安政7年3月3日。この日の江戸は明け方から季節外れの雪模様だった。 3月3日の雛…

勝鬨美樹
2年前

江戸と東京をめぐる無駄話#09/見間違えた政敵#02

ペリー来訪が1853年7月8日。 蒙昧病弱だった家慶死(1853年7月27日)後、将軍席は実子・家定が継…

勝鬨美樹
2年前

江戸と東京をめぐる無駄話#08/見間違えた政敵#01

不運なことに・・徳川幕府は、徳川家斉の長期安定政権のあと、将軍席を実子・家慶が継いだ。 家慶時代、幕府財政は家斉が実施した改鋳という金融緩和政策で一時驚異的な回復を果たしがらも、家斉自身の放埓な浪費と石高制の機能不全が全く手つかずに置かれたため。家慶の代には再び深刻な財政難に陥っていた。その危機を背負いながら、蒙昧な上に病弱だった家慶は、何の起死回生となる策も打てないまま漫然と統治を続けていた。 そこにペリーの船がやってきたのである。 家慶自身は、開国について否定的だった。海

らく町まぼろし散歩#06

「これ、おいしいね」と僕が言うと、母の額にピッ!と走るものがあった。 「男はね"うまい"で佳…

勝鬨美樹
2年前
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らく町まぼろし散歩#05

有楽町駅前のすし屋横丁の中に「コンボ」というジャズ喫茶が有った。オーナーは川桐徹という方…

勝鬨美樹
2年前
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らく町まぼろし散歩#04

嫁さんの誕生日で先日道東にあるオーベルジュまで食事に出た。片道9時間の晩飯行だった。 さす…

勝鬨美樹
2年前
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