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江戸と東京をめぐる無駄話#13/天皇の資産形成

時代の趨勢で徳川幕府に取って代わった天皇を頂く明治政府だが、中身は薩長の下級武士と京都の貧乏公家の集団でしかなかった。だからこそ己を大きく見せるために虚勢ばかりは張った。たいていの革命政府はそうした虚勢のために混乱を招き失速してしまう。ところが薩長による新政府は、幾つもの幸運が重なって崩落までは至らずに進んだ。
それは「天皇という錦の御旗」のおかげだろうか?それとも薩長下級武士の裏で暗躍した海外資本のおかげだろうか?いずれとも思えない。
・・時代の必然とでもいえば良いのだろうか?
欧州に蚕食されていく隣国清の趨勢を、かなり正鵠に見つめていた日本国は、おそらく旧態依然とした幕府体制をそのまま続けたりはしなかっただろう。
もし、井伊直弼が見誤って水戸藩弾圧を行わなかったら・・時代は大政奉還には向かわなかったと僕は思う。天皇家は直属領地を僅かばかり持つだけで、他幕藩からのお布施だけで成り立っていた弱小勢力だったからだ。それを国の冠に頂く必然性はそれほどなかったはずだ。・・したがって・・もしあのまま徳川幕府主導で日本国が開国へ進み、統治体制の大幅な変革を試みたとすれば・・それはおそらく徳川を中核として米国を模した合衆国制へ進んだのではないか?そんな風に思えてならない。
あのとき・・日本が「道州制」へ進んでいたら・・この150年は、まったく違う道を突き進んでいただろう。

残念ながら、悉く重ねる失政と無能な王の連続で、有能な官吏を持ちながらも徳川幕府は解体の道を進むしかなかった。ある意味清国の解体と同じ道を歩み、米国の弁護士だった孫文が台頭したのと同じように、天皇を冠にいただく薩長下級武士と京都貧乏公家の集団によって新政府が誕生した・・わけである。
しかし新政府は、あまりにも貧乏だった。潤沢な資金を備えての革命ではなかったからだ。ほとんどカラっ尻で起こした戦いだったから"勝ったわ金はないわ"という状態だった。
なので新政府は先ず徳川幕府の資産を蚕食することから始めている。
利用したのは、もちろん天皇という冠である。
「徳川は私利で貯め込んだ全ての資産を、天皇へお返しする」という理屈で、新政府はすべて自らのものにしている。
この蚕食はほぼ一年で完了し、薩長新政府はたった一冬越すだけで、貧乏集団から大金持ち集団に変貌している。準じて薩長下級武士と京都貧乏公家らはすべて貴族となり、その婦人/芸者・下女たちは一夜にして侯爵子爵夫人と歩成りした。

僕と別れて まだ間もないはずに 女は出世の早いもの
という都都逸そのままだったということだ。

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました